雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

文芸部誌あれこれ~高校文芸部編集へのアドバイス的な何か~ その1

 

 私は地方のしょぼくれた高校の文芸部員だった。

 うちの高校はいわゆる自称進学校で、部活動にかける時間は短かったけど、楽しく活動させてもらった気がする。

 特に高校二年生になってからは部誌編集と部長にも任命され、あれこれ試行錯誤頑張ってきた。優秀な先輩からの教えもあったけど、まだまだ部としての歴史も浅かったから、はじめての企画もいっぱいたてた。編集といった丁寧さが求められる作業はどうも苦手だったけど、今思い返すと奥の深い楽しみでもあった。

 

 直接の後輩への引き継ぎは、活動時間の短さからあまり上手くいかなかった。彼女たちへのごめんね、という気持ちをこめて引き継ぎの文章を書いた。目標は、「私自身が高1の時に見つけたら歓喜したに違いない文章」。

 

 弱小校のノウハウなんて何の価値もないかもしれないけれど、別に秘伝の教えでもないので、その引き継ぎ文章をブログに掲載しちゃえと思った。もしかしたら、うちのような高校の生徒がネットをさまよっているかもしれないし。誰かのアドバイス的な何かになれたら幸いだ。

 

 ということで、学校名が特定されそうな情報を除いた全てを教えちゃうよー。それなりの文字数だから、何回かに分ける必要がある。よって、これは連載。

 

 

そのはじまり

 自称進学校高校の部活はつまらない。授業が終わるのが遅い上、土日の活動も難しい。しかも、1年の2学期からは希望者講座さえもはじまる。この限られた時間では、部員同士で仲良くなることさえ叶わない。そう、思っていた。そう思い込んで、どこまでも環境のせいにして、私は高校生活をつまらないものにしていた。

 

 しかし、ここは文芸部。自宅へ部活の内容を持ち帰ることは容易である。いくら課題が多いと言えども、全力で取り組んだら文芸誌を一冊作るくらい出来るだろう。高校生活を楽しいものにするのは自分自身なのだ。ただの文句垂れから、一念発起。私は高校文芸部編集係に立候補した。

 この冊子は私が試行錯誤しながら部誌編集、そして部長と文芸部で過ごした日々の記録である。我が高校文芸部には伝統がない。部誌編集においての規定もない。だからこそ、私は好き勝手にやらせてもらった。廃部の危機が迫るほど少ない部員に頭を悩ませ、この高校ならではの時間のなさに何度も追い詰められた。分からないことだらけだったこともあり、至らないことは多いだろう。

 だからこそ、私は後輩たちに自分たちの作品を作って欲しいと思う。コンクールに入賞するような作品よりも、作成が楽しくて仕方がないような部誌を作って欲しいと思う。この冊子は決して、部誌作成の指南書ではない。過去に居た、学校嫌いな文芸部員の体験談としてこの冊子を読んで欲しい。失敗談も、願望も全てこの冊子に託すから、その中で面白そうなものだけを取り入れて、自分たちなりの作品を作って欲しい。その手助けにちょっとでもなったら、とても嬉しい。

 

 

部誌を発行するということ

 部誌を発行するのは何故か。学園祭で配布したいのか、それともコンクールに出品するのか。目的は様々だろう。しかし自分たちの文章を社会へ発信する、この点ではいかなる理由で部誌を発行しようとも変わらない。

 たかが高校生の文章だから許してもらえるだろう、そう侮ることなかれ。自分たちの文章に責任をもって欲しいと思う。それは、文章のクオリティーの問題ではない。誰かを傷つけることは書いていないか?嘘はないか?そういった気配りができる人になって欲しいと思うのだ。その気配りは必ず文章のクオリティーにも良い影響を与えるだろう。

 この話は私が高校1年生の頃から、口酸っぱく言われてきたことだ。文芸部誌を発行するにあたって、必ず忘れていけないものがある。それは奥付だ。奥付には部誌名・発行者名・部長名・発刊日・連絡先を記す。奥付をつけるということは、この本をどういう人が書いたのかを記すこととなり、部誌に対して責任をもつということにつながる。何か不備があれば学校に連絡が行くのかもしれない、そう思うだけで気が引き締まるのを感じる。私たちは部活動で部誌を作っているかもしれない。しかし一度モノを発行する以上、背負うべきものは確かにあるのだ。なお、コンクールにおいてこの奥付がないものは、失格となるので気をつけて欲しい。

 また、奥付の次に書いて欲しいのが顧問名と部員名である。コンクール等外部に発表する際は、そのほかにペンネームとの対応表をつけるとなお良い。これもまた部誌に掲載されている作品を書いたのは誰なのか示すこととなり、文章に責任をもつこととつながる。

 

どのような部誌をつくりたいのか 

 どのような部誌をつくりたいのか、そう考えることは部誌作りにおいてとても重要なことだ。なんせ、どのような装丁にするのか、どのような文章を揃えた部誌にするのか、その全てが自由なのだ。

 私が所属していた2013年から2015年にかけて、文芸部の部誌は企画物を多く取り入れていた。これは、折角本が好き・文章を書くのが大好きというメンバーが集まったのだから、ここでしか出来ないことをやろうという考えをもったうえのことだった。また、様々なジャンルがそろっていたことも大きな特徴だろう。小説・詩・俳句・短歌・琉歌・エッセイ・コラム・戯曲等、どのようなジャンルの作品も掲載した。そのような意味では、私の代の部誌は文芸誌というより文芸雑誌の色が濃いといえる。

 

 因みに私が作りたいと思っていた部誌は、もっと真剣にふざけたものだった。例えば、「なぜ文豪はみんな病んでるのか」というテーマで読書会をしたり、琉球語の係り結びについての評論を書きたかった。高校周辺の文化財をまわった写真エッセーも書きたかった。何なら、漁港近くの天ぷら屋の魅力も伝えたかった。高校生活の忙しさを言い訳にして時は過ぎ、私はもう文芸部を引退している。もうすぐ高校も卒業する。だから、私が書きたかった文章はもう書けないのかもしれない。もっと真剣に、自分が何をしたいのかを考えれば良かったと思ってももう遅い。だからこそ、一度「私たちはどんな部誌を作りたいのだろう」と自分に問いかけて欲しい。

桜が咲きました

  

 桜の季節がやってきました、沖縄に。

 

 

 沖縄の桜って冬に咲く。しかも、1月下旬から2月にかけての最も寒い時期に咲く。ショッキングピンクの鮮やかな色で、花が散る時は「ぼと」って落ちる。桜吹雪なんてあったものでない。

 それは寒緋桜という品種だからだけれども、春から沖縄を出る私はこの桜が急に惜しくなって、カメラをぶら下げながら散歩してきた。

 

 

 まずは、八重瀬公園。

 

 沖縄県南部に位置し、園内は高台にあるため南部一帯も一望できる。八重瀬城址にある公園だから、見どころもたくさんだ。でも、今回の目的はあくまでも桜。御嶽にも惹かれる我が身をぐっとこらえて、写真を撮った。

 

 

 桜まつりが終わった翌日に慌てて行ったためか、桜はあまり咲いてなかった。時期が遅かったかと思われたけれど蕾も多かったから、これから咲くのだろう。今年の桜は遅咲きである。桜まつりの時期も気候に合わせて変動性にすればいいのに。

 

 

さっきからドアップな写真が多いのは、引いて写すと枝ばかりになってしまうから。

 

 夕方に訪れたこともあって、公園内には散歩している人がたくさん。地元の人が言うには、「この桜は樹齢がまだまだだから、北部に行った方がいいよ~」とのこと。確かに北部には桜の名所がたくさん。そう言われると、心惹かれちゃう。

 

 

 そして、八重瀬公園では文学碑も発見した。

 

高台にあって散歩コースとしてはすごく気持ち良いし、文学碑まで発見したこともあって、楽しかった。しかし、やはり気になるのは「北部の桜」

でも、遠いなあ。そう思っていたら、素晴らしい話がやってきた。「中北部の遺跡巡りに連れてってあげる」という私のための素晴らしいプラン!

 

 

 

 

ということで行って来ました、今帰仁城跡。

  格好いい城壁にも惚れ惚れしたけれど(また別記事で書きたいところ)、桜も綺麗だった。

 

 これで8分咲き。満開のタイミングにはなかなか合えないのが悔しいけれど、城壁とのコラボが見えただけで満足でしょう。

 

 

それにしても、寒緋桜っていつ沖縄に入ってきたのだろう。中世の中ではこの風景を見ていたとは思えないし……。

 

 

ここの桜は日本さくら会による日本の桜百選にも選ばれているそう。確かにこの風景は珍しいかもしれない。

 

 因みにここにも文学碑が建っていた。桜の名所=文学碑の方程式が成り立ちそうだ。文芸部の方で連載していた文学碑巡りのネタが増えて嬉しい。

 

 

 

 八重瀬公園で言われた北部の桜はこの目に収めることができたけれど、欲深い私は那覇の桜も見たくなった。

 いつの間にか始まった桜巡りの三軒目は与儀公園。

 

 

 

 

 季節はもう2月中旬。すっかり散ってしまったかと心配したけれど、そんな心配は必要ない。満開の勢いだった。

 沖縄ではヤシの木と桜のツーショットが撮れる。

 

同じ公園内にハイビスカスも咲いているからすごい。

地味にぼやかした足元も写っているけれど、わざと。サブカル女子の定番ショットなんて言われるけれど、私は足元の写真が結構好きです。靴も気に入っているし。

 

 

淡いピンクの桜も咲いていた。

満開だったからか、与儀公園には一眼レフを構えたおじさん、おばさんもたくさん居た。カメラを持っていない人もみんな、立ち止まってケータイで撮影。思わず撮りたくなるような美しさが桜にはきっとある。

 

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そして、ここにもありました文学碑。

有名な詩人である山之口貘の作品の『座布団』。因みにこちらは、いつかの文学碑めぐりにも書いている。

kinokonoko.hatenadiary.jp

 

 全部で3つの名所を巡り、今年はちゃんと桜を満喫できたと思う。春には大学でソメイヨシノが見れると思うと今から少し楽しみ。

北の海に行こう

 

 

 旅行の次の日や行事の翌日が私は好きだ。昨日まですっかり浮かれていたみんなが、すっといつもの顔に戻る日。あの日あんなにも輝いていた太陽も、いつもの気温に戻っている日。そんな日は非日常と日常の境界線がくっきりと見える。私だって、同じようなことの繰り返しにはうんざりするし、旅行は好きだ。でも、非日常には緊張してしまう。つい張り切って、一日が終わるころにはすっかりくたびれてしまう。だからこそ、私はイベントのある日よりもより、その翌日のほうが安定感をもった幸せを感じるのだ。

 

 

 昨日私は、旅に出た。朝起きて、少し迷ったけれどサトウキビ色のスカートは履かなかった。そして思ったのだ、海に行こうと。私の家は海のそばにある。そもそも、ここは沖縄だ。海のない街の方が圧倒的に少ない。でも、私はいつも見ているあの海の風景では駄目なのだ。もう満足ならない。もっと、もっと、光輝くような海が見たい。そこに行けば自分のなかの何かが変わるような、そんな海でなければ駄目なのだ。

 

 

 だから、私は旅に出た。ありったけのお小遣いを財布に入れて、旅に出た。フリルのついたスカート履いて、腕には青のブレスレット。私の中のとびっきりのおしゃれをしてやろう。お供は大好きな音楽と文庫本、そしてキャラメル。目的地は、とにかく北にある海。それだけ揃えばもう準備は万端だった、少なくとも私はそう思っていた。

 

 さとうきび畑に囲まれた小さな私の町から、県庁所在地の地方都市へ。私の気分はもう舞い上がっていた。都市にはひっきりなしにバスがやってくる。このバスにさえ乗ってしまえば、私はどこへだって行けるのだ。私がいまだ踏み入れたことのない街がこの世界に一体どれだけあるというのだろうか。一刻も早く、未知なる土地をこの足で踏みたい。北に向かうバスに乗り込んだ私は、この非日常を胸いっぱいに吸い込んだ。私を乗せたバスはどんどん進む。山を越え、街をこえる。アメリカンな基地の町、少しさびれたアーケード通り、ライブハウスが立ち並ぶ音楽の町。なぞの鳥居も不思議なオブジェも、バスはどんどん越えていく。バスの乗客は、外国人の旅行客、大学生の男、そしておばぁちゃん。高校生は私以外にいなかった。なんせ、平日だ。童顔ゆえに中学生と間違えられる私は、道行く人に二度見されてばかりだった。しかしその視線さえも、私には心地よい。私の体が北上することで、私は私の身分さえも越えられた気がしたのだ。

 

 

 そして気が付いたら、私はまたさとうきび畑に囲まれた小さな海の町にいた。私が待ち望んだ北の町。迷わず降車ボタンを押して降りる。待ち望んだはずの海は汚く、どこか濁っていた。どこかの小学生が遠足で海に来ていた。先生がときおり吹き鳴らすホイッスルの音が、胸に刺さった。

 

 海岸の端で私はビンを投げる。中に手紙を入れたビンである。ここにはいない人への手紙。しかも宛先も不明である。どうすればいいのか見当もつかないから、私はこうして海へ託す。世界中につながっている海はとてつもなく広いから、地球をこえたどこかへもきっとつながっているのだと信じた。いきおいよく投げたはずのビンは、波の流れに沿って岸のほうへと流れてきた。海岸のゴミについてはうるさく言われていたのだろう小学生が、何か言っている。私の思いを込めた手紙は、このままでは彼らに拾われてしまう。遠いどこかへ届けたくて、手紙をしたためてきたのにそれじゃああんまりだ。手紙のビンをどうにか拾いだし、もう一度沖へ投げようかとも思った。きっとビーチに投げ込むからいけない。岬や船上などもっとふさわしい場があったはずだ。

 

 

 しかし、それも叶わない。私は着替えを持ってないのだ。海の中に入ってしまったら濡れてしまう。しかも、ここらは田舎だからこれといった店も無かった。仕方がないから、ただ岸へ岸へと流れてく手紙のビンを眺めていた。そして考える、私はいったい何がしたかったのだろうかと。そもそもだ、ビンに手紙を入れて海へ流すなどロマンチックすぎではないか。どこか自分に酔っているように思われても仕方がないくらいだ。それだけではない。どうして私はこんな遠い北の町にまで来てしまったのだろう。

 

 

 手紙を流したかったから、北の海へ行きたくなったのか。それとも北の海へ来たから手紙を投げ込んでしまったのか。本当はずっと気づいていた、たぶんこの土地には何の意味もないのだと。それに、海に投げ込んだ手紙にもきっと何の意味もない。私は、北の海を見たかったのではない。手紙を海へ投げるとかいった、センチメンタルに酔った行為をしたかったわけでもない。ただ単に現実から遠ざかりたかったのだ。

 

 

 毎日毎日学校の机と家の机の往復で、私はホトホト疲れていた。センターまであと数百日と大きく書かれた掲示板を目にするたびに私は何かに急かされているような気になる。

 

 

「本当はまだ走りたくないのに」なんて甘ったれたことを言える時期はとっくに過ぎたのだろう。部活動だって最近何だか振るわない。高校生活最後のコンクールを前にして、実績を残せる自信なんてどこにもないけれども、「楽しければそれでいい」と言い切れる思い切りもなかった。明日も学校、明後日も学校、梅雨は続くし、憂鬱な日も続く。私はどこかへ旅に出たかった。甘えと言われてもいい、ただ学校と家以外のどこかへ行きたかった。手紙だってそうだ。誰にも言えない胸の内を手紙に託して海へ流せば、きっと何かが好転するに違いないと信じていた。

 

 現実はどうだ。バスに揺られてたどり着いた北の町。海は近所の海より濁っていた。手紙もきっとどこにも行けない。私には小学生の手によってゴミ袋へ投げ捨てられる手紙の行方がありありと想像できた。それに私は明日こそ学校へ行く。またあの日々の繰り返しだ。日常っていったい何だろう。遠出をした今日は非日常なのだろうか。

 

 濁った北の海で数時間過ごしたあと、私は南へ向かうバスに乗った。また基地の町も、音楽の町も何もかも超えていく。数時間前に通った風景と全く同じもののはずだが、それは異なるものとして私の眼には写っていた。途中、神社が見えたから途中下車した。近くに高校でもあるのだろう、制服を着た高校生が大勢いた。胸が少しだけ痛んだけれど、気にせず私は手を合わせる。「残りの高校生活を楽しく過ごせますように、進路が決まりますように、心穏やかな毎日が訪れますように」そしてまた、バスに揺られる。私の家は南部の端だ。

 

 

 

 

 雨音がだんだん激しくなっていく。運動部はインターハイを前にして熱心に活動している。雨音にも負けず文芸部室にも届いてくるかけ声。そう、私はいつもの日々に帰ってきたのだ。今日も散々な一日だった。体育の卓球ではあまりのどんくささに笑われてばかり、数学の追試の点数はグロテスクとしか形容できないものだった。しかし、なぜだか私の心はすごく晴れ渡っていた。

 

 私はイベントの翌日が好きだ。帰ってきた日常の安定感、肌になじんだ空気、それらは私を寛容な心で受け入れてくれる。またすぐにそんな日々が嫌になるのかもしれない。しかし、それでもきっと私はまたこの日常に帰ってきたという幸せを感じるのだろう。

 

文具☆愛~第五回手紙~

  文具☆愛~第五回手紙~

 

 ポストに手紙が入っているのを気づいた時、私の心は弾む。それが手書きのものだったら、なおいっそう。反対に手紙をポストに投函する時、私の緊張は最高潮となる。本当に届いてくれるのだろうか。書き直したい、でも伝えたいことはもう十分あの封筒に詰めたはず。そんなことを思いながら、私はそっと手紙を手放す。たった五〇円で想いを届ける手紙。大切なものを届けて欲しいから、手紙を彩る文房具にも思いを込めたい。

 

 文香という文房具がある。香木を砕いたものなど芳香を放つ原料を和紙で包んだこの文房具は、文字通り「文」に同封して「香」を送るためのもの。文香は封を開けるときの期待を盛り上げてくれるだろう。文香が生まれたのは平安時代。恋文で恋愛をしていた時代、手紙に込めるのは言葉だけでは足りなかったのだろう。

 

 風流なその伝統を現代に生きる私も受け継ぎたい。文香は手作りすることも可能なようだ。お香を砕いて和紙に包むだけでそれはもうりっぱな文香だ。お気入りの香りを手紙にそっと同封する時、言葉だけでは伝えられない何かも届けてくれる、そんな気がする。一度挑戦してみたいものだ。

 

 もう一つ、特別な手紙を演出する文房具がある。封蝋だ。蝋で手紙を密閉し、その上に刻印を押すことで手紙が手付かずであることを示す封蝋は、一七世紀頃からヨーロッパ各地の貴族に愛されてきた。蝋にも多くのバリーエーションがあり、刻印だってこだわりのデザインがある。蝋をそっと溶かす様子、刻印を押すときの息遣い。そのどれもが手紙の魅力を引き立てる。封蝋は専用のシーリングキットを使うと五〇〇〇円以上と高価になりがちだが、一〇〇円ショップのグルーガンでも代用できる。出来る限りの最高の心遣いで、手紙を包みたい、そんな願いを実現できるのがこの封蝋なのだ。

 

 

ここまで手紙を取り巻く文房具について書いてきたが、そもそも現代では手紙を書く機会が減っている。私自身、毎日SNSに依存してメールすら滅多にしない日々だ。手紙なんてすぐには返事が来ないし、何より面倒だ。そう思っている人はたくさんいるだろう。だからこそ、私はこのエッセイで手間のかかる手紙グッツを紹介した。

 文香や封蝋が無くたって、手紙は届く。だけど、しかしちょっとした一手間が手紙をぐっと特別にすること、SNSやメールでは伝えられない何かを届けてくれることを私は書きたかったのだ。

ポストに手紙が届いた時の胸の高鳴りを誰に贈りたいと思いませんか。