雑記帳

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文芸部誌あれこれ~高校文芸部編集へのアドバイス的な何か~その4

その1、その2、その3はこちら。

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 ネットを彷徨っている弱小文芸部員に捧げる文章(直接の後輩への引き継ぎ文章だったりする)いきなりだけど、続き。

 

編集の仕事

 さぁ作品も出そろい、特殊紙や製本テープその他もろもろの準備も済んだら、いよいよ部誌編集に取り掛かる。ここに、編集の主な仕事を挙げる。なお順序は私流であり、私自身編集作業がそんなに得意でなかったことも記載しておく。そう、あくまでも参考程度に留め自己流を模索してほしい。

 

企画モノの編集

 部誌という大きなものに取り掛かる前に必要なのがこれ。部誌に向けて行った企画をテキスト化する。前述のように文字起こしをすることもあれば、部員それぞれの似顔絵を描いたこともある。なるべく部活の雰囲気が伝わるように、説明書きやイラストもその都度挿入する。

 企画モノといっても、多岐にまたがるのでここで的確なアドバイスはできないが、企画モノの編集のコツはとにかく楽しむことである。個人作品と違って、企画は部員全員で作り上げるものである。自分の世界観につかりすぎてはいけない。また、内輪ウケは外から見て興ざめである。自分たちがやったことをテキストだけで表現するのだから、個人作品にはない気配りが必要となる。ちなみに私はこの作業が一番楽しかった。

 

作品の掲載順を決める

 コンセプトによっても異なるが、一番はじめの大仕事がこれである。編集において、唯一華やかさが残っている仕事ともいえるかもしれない。多くのジャンルにまたがる、たくさんの作品の掲載順を決めていくのだ。

 例としては、部誌の一ページ目から長編小説は苦しいので韻文を先に持ってくる。個人作品が多く、単調になりつつあると思われる中間部分に企画ものを持ってくる。といったことがあげられる。しかし、いつかの部誌では作者別(ジャンルはバラバラ)に掲載したこともあり、またいつかの部誌ではジャンル固定で掲載したこともある。やっぱり、そこは編集のセンスなのだ。

 

体裁を整える

 これが何より地味な作業。先ほど決めた掲載順に従って、部誌のかたちを成すよう体裁を整える。私の場合はwordで作業していたが、過去の先輩には一太郎を使っている方もいた。部誌編集においては一太郎の方が便利だという。もしwordを使って作業するのなら、私が作った部誌フォームを利用してもよい。部誌フォームは段組み、余白等の設定が既にしてあるため、個人作品をコピペするだけで、一応の部誌の体裁は出来上がるはずだ。印刷に関しても製本用の設定になっているから、一気に出力してもよい。

 

 しかし、それでは美しくない。また、目次や企画ページなどその都度設定をいじる必要もあるだろう。それが編集の腕の見せ所なのだ。私は苦手だったけど。部室に保管されているだろう過去作品を見れば分かるが、作品や場面に応じて文字フォントの変更、文字の大きさの変更も行っている。地道な作業が続くが、辛抱強く頑張ってほしい。この作業が部誌全体のクオリティーを決めるのだ。

 

 また、忘れちゃいけないのが誤字脱字・表記ゆれの確認作業である。編集が一人ひとりの作品を読み、誤字脱字の訂正を行う。これがまた非常に面倒くさい。締切直近になるとおなざりになってしまう。私は大嫌いな作業だった。私と同じようにこれが面倒だと思うなら、個人作品提出時に誤字脱字のチェックを行うようしっかり伝えておくべきである。

 

仕上げ

 最後の仕上げとして、あとがき・目次・最終ページ・編集後記の作成がある。これは過去の部誌を参考にして欲しい。簡単なので、特に悩むこともないはずだ。

 

 

部誌の数々

編集工程のなかには、いくらでも工夫ができる場面がある。私が向陽高校文芸部に所属した3年間で作られた部誌の数々をここにあげる。

 

部誌14号 学園祭特別号

 入部したばかりのホヤホヤ1年生だったこともあり、内容についてはよく知らない。(先輩達に頼りっきりだった。今思うとすごくアホちん)その代のカラーなのか、企画物はゼロ。ジャンルも詩と小説が圧倒的に多い。他校の文芸部誌と似た作りで、これぞ一般的な文芸部誌。

 

部誌15号 

帯を付けた。

表「秋の香の少しばかりのおすそわけ」

裏「君しのぶ草にやつるる古里は松虫の音ぞ悲しかける『君しのぶ』より」

また、この号からビブリオバトルもはじめた。なかなか意欲的に活動していた気がする。

 

高文祭 文芸部誌部門出品作品

作者が持ち合わせる世界観を大切にすべく、作者別での作品掲載を行った。また、それぞれの個人ページには作者の似顔絵を描いた。設定が「仮定の高校の創作部創刊号」というものだったため、文芸だけにこだわらないよう気を付けた。(似顔絵は想像)

 

部誌16号 2015年文芸部誌コンテスト出品作品

企画:「百人一首図鑑を作ろう」において、各部員の頭文字のハンコを作成・掲載した。単に部員名を記載するだけでなく、和のテイストを保ったハンコにしたことで百人一首図鑑っぽさが出るようこだわった。

企画:「バレンタインを詠む」一つ上の先輩の素晴らしい編集技術をうかがえる。イラストがあしらわれて、全体的にバレンタインらしく仕上がっている。

 

部誌17号 新入生歓迎号

新入部員募集の意味も込めて制作したため、個人作品より企画にこだわった。ページ数も個人作品を企画が上回ることとなった。シンプルな部誌だが、ジャンルも多く一番よくまとまっているようにも思う。あくまでも新入部員募集が目的だったため、ライトな仕上がりを目指した。

 

部誌18号 2014年学園祭特別号

新入部員募集を継続していたこともあり、文芸部の活動を紹介するチラシを挟んだ。また図書館にも置かせてもらい、学校での知名度向上を目指した。特殊紙を用意してから、表紙イラストを依頼するという普段と逆の方法をとったこともあり、表紙が素敵。

 

部誌19号 2015年学園祭特別号

新入部員が多く、全体的にボリュームのある仕上がり。160ページは創部以来一番多いのではないか。企画モノには扉をつけ、必ず説明文を記載するようにした。また、引退する三年生に関してはあとがきを書かず、「引退に寄せて」と題した文章を掲載した。

文芸部誌あれこれ~高校文芸部編集へのアドバイス的な何か~その3

 

 その1とその2はこちら。

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 ネットを彷徨っている弱小文芸部員に捧げる文章(直接の後輩への引き継ぎ文章だったりする)いきなりだけど、続き。

 

 

部誌作り

完成のために必要なもの

 部誌完成のために必要なものを次に挙げる。

作品

目安としてはB5用紙50ページ以上。それ以下になるとどうにも読み応えがないばかりか、見栄えがよろしくない。そもそもそのサイズにあった製本テープが存在しない。

また、その作品はジャンルに富んでいた方がコンクールウケするが、それは各自の部誌のコンセプトにもよるから一概にはそうと言えない。

特殊紙

これは部誌の表紙・裏表紙に使うほか、扉にも使える。文具店で買う場合は、印字可能かどうかしっかり確認すること。

 

製本テープ

最後の仕上げで使用する。マスキングテープなどでも代用できるが、その強度には不信感が残る。長く、部誌を保存するためにもここはケチらずに製本テープを利用した方が良い。

 

B5コピー用紙

 概算してみればすぐに気づくが、大量に必要である。大量に。学校の備品は使わせてくれないため(ケチ)、ホームセンターなどで安く買い叩かれている時にでも購入すべき。コピー用紙だけの話ではないが、部費は限られているため、節約できるところで節約しておかないと後々泣きを見ることになる。

 

表紙イラスト

表紙に使うイラストも製本の時までに用意しておく。文芸部は過去に美術部だった人など画力がある人が多い気がする。私が編集だった時は、画力溢れる文芸部員に依頼していた。部員内で描ける人がいない場合は、クラスメイトや美術部に依頼する。その際はなるだけモノクロで描いてもらうよう気をつける。我が校ではカラー印刷は許可されないのだ(ケチ)。尚、当たり前だがインターネットで拾った画像を表紙にすることは著作権侵害にあたる。外部に発表する以上、その点は神経質になって欲しい。

 

 製品に凝る~部費のお話~

 部誌づくりの楽しみとして、製品に凝るというものがある。第一に特殊紙に凝る。特殊紙は那覇市県庁駅近くのざまみダンボールで購入していた。

 近くには安木屋やMARUZEN、東急ハンズといった文房具店が立ち並ぶが、特殊紙の種類としてはざまみダンボールが一番ではなかろうか。そのため、他校もざまみダンボールを利用しているようである。

 

 部誌の顔を決めるとも言える表紙。自分たちのコンセプトに合わせて特殊紙を選ぶのは至福の時間である。面白い紙に驚き、値段にがっかりしつつも試行錯誤してみて欲しい。他校の例をあげると、和紙を利用して和綴じの部誌を作っていた高校があった。反対にコピー紙のみでペーパーブック的な部誌を作っていた高校もある。部誌は部員の個性やその時々の感性で全く違った仕上がりを見せる。そのお手伝いをしてくれるのがこの特殊紙なのだ。

 なおインターネットのサイトを使えば、さらに多くの特殊紙が手に入る。これは試したことがないが、その際は印字したときの印象も同時に確認しておくこと。

 

 特殊紙の次は製本テープである。我が高校では今まで基本的には黒の製本テープを使ってきた。これはどの特殊紙にもマッチするという理由からだ。しかし、製本テープの世界は奥深い。様々なカラーバリエーションがあるため、特殊紙のデザインと合わせてみたらぐっと部誌も良くなるだろう。

 

 製品を凝るために避けては通れないのが、部費の話である。我が高校の部費は、簡単に言うと部員の人数と各自の実績によって決まる。この実績には個人応募や国語の授業で書いた小論文などは含まれない。(ひどい話である)

 その為、私が担当していた代はいつもカツカツの予算でやりくりしていた。先輩たちへの卒業の品を用意すべく、自腹を切ったこともしばしばである。部誌を作るためにはどうしてもお金が要る。その為には部員を増やすのもヨシ、実績を重ねるのもヨシ。また、製品を凝らなければ年数回発行することもできるが、反対に1年に一度の発行に留めれば業者に依頼することも可能である。

 このように、高校の部活は部費のやりくりから全て自由なのだ。それはこの部誌づくりを通して一貫している魅力の一つだ。

 

文芸部誌あれこれ~高校文芸部編集へのアドバイス的な何か~その2

 

 その1はこちら。

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 ネットを彷徨っている弱小文芸部員に捧げる文章(直接の後輩への引き継ぎ文章だったりする)いきなりだけど、続き。

 

企画をたてる

 先のページにも書いたように、私は企画を大切にしていた。普段の部活動は完全な個人活動になるので、定期的に交流をもちたいと思っていたのだ。私が関わった企画を下に記す。

 

ビブリオバトル

ビブリオバトルは書評合戦と言われるものだ。決められた制限時間で自分のおすすめ本をプレゼンをし、質疑応答を経て、「どの本が一番読みたくなったのか」という視点で投票、勝者を決める。お菓子も用意し、本好き同士が思う存分語るおもしろい企画だ。本来ならここで終わりだが、部誌に企画として掲載するため書き起こしの作業があった。プレゼンと質疑応答の様子をビデオに撮影、編集がすべての語句を聞き取って書き起こすのだ。この作業は地獄だ。特に部員の数が多ければ多いほど、負担も大きくなる。また、多忙な部員全員が集まることも簡単ではなかった。そのような事情から、忙しい時期はどうしても行えなかった企画でもある。しかしその反面、部員のプレゼン能力が格段に上がったほか、学年を越えたよい交流もできた。この効果は大きく、部誌コンクールでも高い評価を受けたほか、他校の先生から「うちの高校でも取り入れたいから、やり方を教えてほしい」との要望もあったくらいだったということも書き留めておきたい。

 

リレー小説

 言わずと知れた企画モノの定番である。古典パロディ・ホラー・和歌をベースにした恋愛モノというようにいくつものテーマで行った。良い点としては、ページが簡単に稼げるほか、部員の知らなかった一面も見える点である。しかし、悪い点もある。スケージュール管理がこの企画の肝を握ることだ。必ず、締め切りを守らないやつが出てくるのだ。だから、部長もしくは編集が綿密に余裕のあるスケジュールを立て、マメにメールの確認、作品の催促をしなければ、なかなか仕上がらない。また、多くの場合は物語が暴走したり、どん詰まりになったりする。一人で書いているのと違い、プロットも満足にはたてられないだろう。そういった事情からも、毎回小説が上手い人の力に頼っていた。

 

百人一首図鑑を作ろう

 「百人一首図鑑を作ろう」は名の通り、百人一首の中から自分の好きな首を選び、その鑑賞を行うものである。最初の思惑ではこの企画を定期的に行い、100首全て揃える予定であった。同じ歌でも、鑑賞は人それぞれに違うものだ。わずか31音に込められた世界の多様さを感じられる企画でもあった。しかし、この企画は部員の鑑賞力に左右される要素が大きい。部誌コンクールでも言われたが、ある程度のレベルに達しないものは書き直しをお願いする必要がある。企画の認知がうまく行かなかったこともあり、インターネットのコピペまがいの文章も多かった。しかし、私はそれに対して書き直しをお願いすることはできなかった。先輩に対してそんなこと、言えるはずない!と当時は思ったが、それが企画のレベルの低さ、ひいては部誌のレベルの低さにつながった。同じテーマで文章を書く以上、一人ひとりの能力の差がはっきりとしてしまう。そういった意味でも難しさもある企画だ。

 

バレンタインを詠む 

先輩発案の企画である。バレンタインを味覚だけでなく、様々な面から楽しもうという趣旨だった気がする。短歌あり、俳句ありととっつきやすかったこともあり、編集の負担も軽かった。また、正月や夏休みなどアレンジもしやすいだろう。だからこそ私としては、ただ詠むだけにとどまらず句会まで行えたら良かったと思う。楽に行える分、下手に編集すると物足りなさも残る企画である。

 

古典パロディ

 これもまた先輩発案の企画。その名の通り、よく知られた古典作品のパロディを書いた。なお、古典作品の例をあげると『吾輩は猫である』・『夢十夜』といったものが多かった。

 

読書会

一度授業で習った作品を自分たちなりの解釈で読み解いていこう!との趣旨で『羅生門』の読書会を行った。まずに参加者で朗読をしあい、作品のポイントを挙げる。そのうえで

好き勝手に語っていった。授業とは違うので、正しさは追求しないことを念頭に置く。あくまでも重点は、それぞれがどう読んだのか。『羅生門』という有名な作品の力を借りて、それぞれの考えを引き出すことができたと思う。「生きることはどういうことなのか」そういったテーマを部員同士で真っ向から話すことは今までに無かったので、この企画はそれぞれの考えを知る良いきっかけにもなった。授業とは違い時間にも余裕があるので、国語便覧や『作者アルバム』を活用し、様々な視点で作品を見つめることもできただろう。なお、これもボイスレコーダーを用意し、書き起こす必要があるほか、話をすすめる司会役の人が必要だ。

 

 

以上が文芸部で行った企画である。何かを忘れている気もするが、記憶にも残らなかったものはそれだけつまらなかったのだろう。そういうことにして割愛する。企画はアイデア次第でどうにでもなるものだが、企画を立てるうえでのヒントを少々。

まず、文芸部誌に掲載したいのか、そしてどのように掲載するのかをはっきりさせる。うちの学校の印刷機はカラーコピー禁止・写真印刷不可(2015年段階)ということもあり、言葉だけでは雰囲気が伝わらないものは避けたほうが良い。また、スケジュール管理には気をつけて欲しい。ギリギリの日程で行ってしまうと、忙しい傾向にある高校生が集まることは難しい。顧問の先生など周りを巻き込むことになるものはなおさらである。

 

スケジュール管理

 部誌を作るうえでの肝はスケジュール管理にある。うかうかしていると締め切りはすぐにやってくる。課題に追われ、テストに追われ、自分が本当にやりたいことのはずの部誌編集は徹夜での作業ともなりかねない。そうなると、内容はどうしても雑なものとなりがちだ。私は何度もこれで失敗した。

 

 部誌編集をするうえで、締め切りは3つある。まず、一番大事なコンクール締め切り・学園祭締め切りである。全コンクール締め切りは主催者が決めたものであり、間に合わなかったらもちろん失格となる。学園祭もまた然り。たとえ部誌が仕上がってなくとも、学園祭は容赦なくはじまるのだ。そういう意味でも一番重要な締め切りとなる。必ず守らなくてはならない。そのため、全てのスケジュール管理はこのコンクール締め切りから逆算して行う。

 

 次に編集締め切りである。わが校は製本を手作業でやっているため、時間がかかる。そのため、コンクール締め切りの1週間ほど前には編集を仕上げる必要がある。部誌は製本までして初めて完成する。そのことを忘れないで欲しい。また、製本は以下の工程で行う。①wordで作成した原本を出力する

②原本を印刷室にて増刷する(部数は目的によっても異なるが、100部~25部前後で行っていた)

③増刷したものをページ順に並べる

④ホチキス・製本テープ

 

 印刷機の調子や部員の器量にもよるが、特に②③の手順で時間がかかることが多い。学校の印刷室を使わせてもらうため、テスト前などにかぶると最悪である。必ず、初めに顧問の先生との相談が必要だ。そのうえで、編集締め切りを決めたら良いと思う。私の場合、模試や午前授業の日をよく利用していた。これはおすすめである。平日ではどうも時間が短すぎて、集中したと思ったらすぐに下校という事態になりかねない。また土日出校したこともあったが、顧問の先生への負担が大きいほか、我が高校の立地が悪いため部員も集まりにくい。それに対して、この方法では部員が4名いるとして、半日~1日くらいで作業は済んでいたように思う。

 

 そして、最後に作品締め切りである。これは大概コンクール締め切りの2週間前に設定していた。しかし、部員というのは締め切りを守らないやつが一人くらいいるものだ。そのためにも余裕をもって設定していた方が良い。だから、編集としては2週間前に設定しつつも、部員には気持ち早い締め切りを伝えるようにしていた。正直面倒だが、作品提出までの期間は部員の進捗状況など聞き出しておいた方が、事前に部誌のイメージも作れるので編集の作業もスムーズに行く。因みに、部員の締め切り破りとしてよくあるのがあとがきとペンネーム(1年)の二つである。こちらはついうっかり忘れがちなので、そちらも注意しておく。

文芸部誌あれこれ~高校文芸部編集へのアドバイス的な何か~ その1

 

 私は地方のしょぼくれた高校の文芸部員だった。

 うちの高校はいわゆる自称進学校で、部活動にかける時間は短かったけど、楽しく活動させてもらった気がする。

 特に高校二年生になってからは部誌編集と部長にも任命され、あれこれ試行錯誤頑張ってきた。優秀な先輩からの教えもあったけど、まだまだ部としての歴史も浅かったから、はじめての企画もいっぱいたてた。編集といった丁寧さが求められる作業はどうも苦手だったけど、今思い返すと奥の深い楽しみでもあった。

 

 直接の後輩への引き継ぎは、活動時間の短さからあまり上手くいかなかった。彼女たちへのごめんね、という気持ちをこめて引き継ぎの文章を書いた。目標は、「私自身が高1の時に見つけたら歓喜したに違いない文章」。

 

 弱小校のノウハウなんて何の価値もないかもしれないけれど、別に秘伝の教えでもないので、その引き継ぎ文章をブログに掲載しちゃえと思った。もしかしたら、うちのような高校の生徒がネットをさまよっているかもしれないし。誰かのアドバイス的な何かになれたら幸いだ。

 

 ということで、学校名が特定されそうな情報を除いた全てを教えちゃうよー。それなりの文字数だから、何回かに分ける必要がある。よって、これは連載。

 

 

そのはじまり

 自称進学校高校の部活はつまらない。授業が終わるのが遅い上、土日の活動も難しい。しかも、1年の2学期からは希望者講座さえもはじまる。この限られた時間では、部員同士で仲良くなることさえ叶わない。そう、思っていた。そう思い込んで、どこまでも環境のせいにして、私は高校生活をつまらないものにしていた。

 

 しかし、ここは文芸部。自宅へ部活の内容を持ち帰ることは容易である。いくら課題が多いと言えども、全力で取り組んだら文芸誌を一冊作るくらい出来るだろう。高校生活を楽しいものにするのは自分自身なのだ。ただの文句垂れから、一念発起。私は高校文芸部編集係に立候補した。

 この冊子は私が試行錯誤しながら部誌編集、そして部長と文芸部で過ごした日々の記録である。我が高校文芸部には伝統がない。部誌編集においての規定もない。だからこそ、私は好き勝手にやらせてもらった。廃部の危機が迫るほど少ない部員に頭を悩ませ、この高校ならではの時間のなさに何度も追い詰められた。分からないことだらけだったこともあり、至らないことは多いだろう。

 だからこそ、私は後輩たちに自分たちの作品を作って欲しいと思う。コンクールに入賞するような作品よりも、作成が楽しくて仕方がないような部誌を作って欲しいと思う。この冊子は決して、部誌作成の指南書ではない。過去に居た、学校嫌いな文芸部員の体験談としてこの冊子を読んで欲しい。失敗談も、願望も全てこの冊子に託すから、その中で面白そうなものだけを取り入れて、自分たちなりの作品を作って欲しい。その手助けにちょっとでもなったら、とても嬉しい。

 

 

部誌を発行するということ

 部誌を発行するのは何故か。学園祭で配布したいのか、それともコンクールに出品するのか。目的は様々だろう。しかし自分たちの文章を社会へ発信する、この点ではいかなる理由で部誌を発行しようとも変わらない。

 たかが高校生の文章だから許してもらえるだろう、そう侮ることなかれ。自分たちの文章に責任をもって欲しいと思う。それは、文章のクオリティーの問題ではない。誰かを傷つけることは書いていないか?嘘はないか?そういった気配りができる人になって欲しいと思うのだ。その気配りは必ず文章のクオリティーにも良い影響を与えるだろう。

 この話は私が高校1年生の頃から、口酸っぱく言われてきたことだ。文芸部誌を発行するにあたって、必ず忘れていけないものがある。それは奥付だ。奥付には部誌名・発行者名・部長名・発刊日・連絡先を記す。奥付をつけるということは、この本をどういう人が書いたのかを記すこととなり、部誌に対して責任をもつということにつながる。何か不備があれば学校に連絡が行くのかもしれない、そう思うだけで気が引き締まるのを感じる。私たちは部活動で部誌を作っているかもしれない。しかし一度モノを発行する以上、背負うべきものは確かにあるのだ。なお、コンクールにおいてこの奥付がないものは、失格となるので気をつけて欲しい。

 また、奥付の次に書いて欲しいのが顧問名と部員名である。コンクール等外部に発表する際は、そのほかにペンネームとの対応表をつけるとなお良い。これもまた部誌に掲載されている作品を書いたのは誰なのか示すこととなり、文章に責任をもつこととつながる。

 

どのような部誌をつくりたいのか 

 どのような部誌をつくりたいのか、そう考えることは部誌作りにおいてとても重要なことだ。なんせ、どのような装丁にするのか、どのような文章を揃えた部誌にするのか、その全てが自由なのだ。

 私が所属していた2013年から2015年にかけて、文芸部の部誌は企画物を多く取り入れていた。これは、折角本が好き・文章を書くのが大好きというメンバーが集まったのだから、ここでしか出来ないことをやろうという考えをもったうえのことだった。また、様々なジャンルがそろっていたことも大きな特徴だろう。小説・詩・俳句・短歌・琉歌・エッセイ・コラム・戯曲等、どのようなジャンルの作品も掲載した。そのような意味では、私の代の部誌は文芸誌というより文芸雑誌の色が濃いといえる。

 

 因みに私が作りたいと思っていた部誌は、もっと真剣にふざけたものだった。例えば、「なぜ文豪はみんな病んでるのか」というテーマで読書会をしたり、琉球語の係り結びについての評論を書きたかった。高校周辺の文化財をまわった写真エッセーも書きたかった。何なら、漁港近くの天ぷら屋の魅力も伝えたかった。高校生活の忙しさを言い訳にして時は過ぎ、私はもう文芸部を引退している。もうすぐ高校も卒業する。だから、私が書きたかった文章はもう書けないのかもしれない。もっと真剣に、自分が何をしたいのかを考えれば良かったと思ってももう遅い。だからこそ、一度「私たちはどんな部誌を作りたいのだろう」と自分に問いかけて欲しい。