雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

6月2日 昼過ぎからの基隆小旅行

 

 

 夜中、日本の大学の友達と電話した。

 酔っ払った勢いで、誰かと話したかったのだ。

 友達にもうすぐ帰ってくるんだね、といわれる。帰ったら、行きたいところを二人で考えた。今は台北の良さばかり目につくけれど帰ったって、楽しみはちゃんとあるんだよな。

 友達と明け方まで喋っていたものだから、当然朝は起きられなかった。当然すぎる。沖縄のことを考えながら眠ったから、沖縄そばがどうしても食べたくなっていた。3月の帰省で買ったカップ麺の沖縄そば開封する。鰹出汁の香りが広がる。

 

 午後は基隆の和平島(社寮島)へ。出発が遅くなってしまった。現地にどれだけ滞在できるかはわからない。けれども、遠くへいきたくなったのだった。難しいことなど考えずに、ただ遠くへ行きたい時ってあるでしょ。

 和平島(社寮島)は沖縄にゆかりのある場所だから、やっぱり沖縄のことを考えていたい気持ちなのかもしれない。

 

 基隆は想像以上の港町だった。実は基隆に行くのは初めてだったのだけれども、よく耳にする地名であった。日本の大学で受けていた民俗学の授業では、基隆の中元節の話を。何度も読んだ日本統治時代の台湾で生きた人たちのライフストーリー。その中では基隆が台湾への玄関口であった。

 

 私の祖母は沖縄戦の時、台湾に疎開している。祖母も基隆へ来たのだろうか。祖母が最後に見た台湾は、やはり基隆だったのだろうか。

 

 台北から1550番のバスで基隆駅へ行ったのち、101番のバスへ乗り換えて和平島へ。今日の目的は、和平島にある琉球漁民慰霊碑だった。琉球漁民慰霊碑は和平島公園の中にある。

 和平島は沖縄の漁師が多く暮らしていたエリア。最盛期には600人ものが暮らしていたそう。そこで沖縄の漁師が造船、漁法などを伝えたと言われている。台湾人と沖縄の人、それぞれ助け合いながら生きていたようだ。

 

 現在、琉球人の集落はない。琉球人やオランダ人、スペイン人、ケダカラン族(台湾の平埔族の1つ)の骨を祀った祠がある。うえの琉球漁民慰霊碑も、台湾人が骨を拾って手厚く祀ってくれたことに対する感謝を込めて建立されたらしい。

 

 その祠には、土地公(福徳正神)が祀られていた。一緒に「后土」という文字も見え、私はこれにいたく感動してしまった。「后土」とはお墓の守り神である。沖縄本島において、土地公は土帝君というかたちで受容されているが、后土は受容されていない。ずっと見たいとは思いつつ、お墓の神さまなのでなかなか機会がなかった后土。これを見られただけでも、かなり価値があった。

 琉球人をはじめとする遺骨を祀る、万善祠。一見すると、台湾の街なかにある他の道教寺院と同じように見えるが、丁寧に観察していると、やはりそこは「お墓」なのだと気付かされる。

 

 ちなみに琉球漁民慰霊碑の後面には、中国語と日本語で説明書きがなされていた。中国語では「琉球漁民慰霊碑」とされているものが、「琉球ウミンチュの碑」と題されていたことも記しておきたい。この碑を建立する際にどのような議論がなされたかは分からないが、「慰霊」という言葉にはそれに関わる多くの思想がある。中国語と日本語で像の名前が異なっていること、そして日本語の方であえて「慰霊」という言葉を省いたのであれば、やはりそれは特筆すべきことのようにも思う。

 

死者たちの戦後誌―沖縄戦跡をめぐる人びとの記憶

死者たちの戦後誌―沖縄戦跡をめぐる人びとの記憶

 

 

 琉球漁民慰霊碑がある和平島公園は、しっかり整備されており、想像以上に楽しい場所でもあった。

 

 
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学生40元、一般80元のチケットを購入する必要がある。


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 崖の上に立つ東屋。潮の香りと、波の音がたまらない。

 
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 基隆といえば、野柳地質公園が有名だけれども、こちらの地質も面白い。キノコみたいな岩がたくさん。

 


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 これ何だと思う?

 自然を活かしたプール。通りで砂浜が見当たらないのに、やたら水着や浮輪を売っていると思った!なかなか古風で楽しい。

 

 
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 小さい子向けの水遊びエリアもアリ。ちゃんと監視員も居る。暑かったから、子供に混じって水遊びしちゃった。水が冷たくて気持ちいい。タオルを持ってないことに気づいたのは、すぺて終わった後でした。

 

 夜は基隆廟口夜市へ。こちらの夜市、台湾人からも評判がよく、一度行ってみたいと思っていたのだ。

 
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 そして評判通り、かなり美味しい夜市でした。これは確かに全体のレベルが高い。


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「天麩羅」と言われるさつま揚げ。これが本当に美味しい!やはり港町であるからかしら?

 
 マンゴー牛乳を飲みながら、バスに揺られる。1時間もしないうちに台北へ。
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 すごく楽しい1日だった。私は「沖縄」という軸を持って、台湾を見ようとしている。沖縄の人が台湾でどう生きたのか、とか、沖縄と台湾原住民の民俗的なつながり、沖縄と台湾の草の根の交流など興味のあることは多い。普段生活している台湾、一歩踏み込むと思わぬ発見があるのが面白い。

 

 そして、ただ面白がるだけではなく、当時の沖縄の人に寄り添うとか、「日本の地方としての沖縄」を超えた沖縄を描くとか、そういうことができたら、と思う。その為にはやはり日々足を動かして、本を読んで、記述を重ねるしかないのだ。

 

 

モモトVol.17

モモトVol.17

 

 『モモトvol.17』の台湾特集に基隆と沖縄のこと、和平島の話が掲載されている。台湾と沖縄のつながり、という視点で発見がたくさんある雑誌。

 台湾留学が決まった際に手にし、留学先にも持ってきた一冊。

6月1日 台湾で沖縄県人会に参加する

 

 

 今日から6月。

 

 午前中は日記を書いたり、本を読んだりして過ごしたのち、午後から県人会へ行ってきた。

 私はよく沖縄のことを口に出すし、自分の軸に沖縄があることは確かなことだ。外的な評価も「沖縄の子」で一貫していて、多くの留学仲間は私が沖縄の大学から来ていると思っているらしい。実は違うんですが。

 

(ちなみに、私が沖縄のことをよく話すのは、他の日本人留学生が外国人に向けて話す「日本文化」が、関東または関西を中心とした「文化」でしかなく、その差異も「西か東か」に収斂されてしまうことに違和感があるからだ。彼らが大学で文化や歴史について学んでないことを考えると、仕方ないのかもしれない。でも、「台湾は旧暦で正月を祝うけど、日本は祝わない」「旧暦と新暦を織り交ぜながら生きているのは中国と台湾だけだ」「日本の正月といえば、おもちとおせちである」「日本は単一民族である」とか言われると、ちょ、ちょ、ちょっとまったー!となるのだった。少々ウザがられている気もするけれど、外に志向している留学生に対して自らの足元にある日本だって、とても多様なんだよと伝えたくなる。ちなみに、自戒をこめて書くと沖縄だってそれこそとても多様であることに注意しないといけない)

 

 自分でも少し意外なんだけれども、今回がはじめての台湾の沖縄県人会への参加であった。日本の大学の方でも、県人会の活動はとても盛んにも関わらず、私は何となく参加していない。県人会、とても面白いコミュニティだなあと思った。気づきもたくさんある。

 

 まず驚いたのは、八重山出身者の多さ。参加人数の半数は八重山出身者であった。しかも目立つのは、学生。私のような交換留学生も一定数居るんだけれども、それより目立つのは本科留学の方。現在語学学校に通っていて、これから台湾の大学を受験します、という声もたくさん聞いた。これだけ高校卒業後の進路選択に「台湾への進学」という選択肢が出てくるのはすごいなあと思った。

 私の母校も国際科がある関係で、海外の大学への進学は常に選択肢の一つであった。実際に、今回の沖縄県人会でも高校の先輩や後輩と会ったし、母校の思い出話に花を咲かせた。ただ、八重山出身者との割合が全然違う。

 

 うえに「沖縄の中の多様性」と書いたけれど、そこに対して私は本当に謙虚になる必要がある。私は沖縄で生まれ育った。でも私が体験して、見聞きして知っているのは、沖縄本島の南部のごく一部のことでしかないということを深く自覚しなければならない。

 台湾のような外国に住んでいると、お互い日本人であるだけで親近感を抱くものだし、相手が沖縄県出身者であれば感動さえ覚える。ただ、沖縄本島南部で育った私と、八重山で育った人、沖縄本島中部で育った人、渡嘉敷島で育った人、それぞれ見ている「沖縄」は全く違う。

 

 以前、米軍基地のフェンスの中で育った子と出会った時、「私の知らない沖縄があった」と思ったものだけれども、私の知っている「沖縄」はごくごくごくごく小さな範囲での「沖縄」である。離島から見た「沖縄」も、沖縄本島南部から見た「沖縄」も、米軍基地のフェンスの中から見た「沖縄」も、間違いなく「沖縄」である。

 

 さらに言うならば、沖縄から世界中に行った移民の方々がいる。「世界のウチナーンチュ」として、外国で捉えた「沖縄」だって「沖縄」ではないか。私は高校の頃、ロサンゼルスで行われた沖縄県人会に行ったことがある。コミュニケーションの半分が英語であっても空手の演武に沸いたこと、アメリカで手に入る材料で作られた沖縄料理は忘れられないものである。ああ、沖縄から遠く離れた異国にも「沖縄」はあった、と思った。そこでは日系3世や4世の人たちとも出会うことがあった。彼らが「自分のルーツの味」と思って口にしている沖縄料理が、沖縄で食べるものと異なっていたからといって、誰がこれは「沖縄料理ではない」と否定できよう。(ただ、ここでいう「沖縄」は上でいうところの「沖縄」とは定義やレベルがちょっと変わりそうだなと書きながら思った。弱腰なのは私の勉強不足)

 

 それから、「沖縄県人会」という「沖縄文化」があると知った。二次会で、三線を弾きながら歌う方、それに合わせてパーランクーを打ち鳴らす方、時折混ざる指笛の音、そして手拍子を打つ私たちという場面があって、私は胸いっぱいの「沖縄ノスタルジー」を感じたものだった。その時の感情は本当に「沖縄ノスタルジー」としか言いようがない。懐かしい音楽に身をのせながら、お酒を飲む時間は気持ちよかった。ただ一方で、あまりに分かりやすい「沖縄」でもあって、びっくりする気持ちもあった。私が沖縄で、このような場に遭遇したことがなかったからだ。少なくとも私の知っている範囲で言えば、母世代まで考えてもそのような飲み会は初めてであった。

 

 

台湾に来て、大学OBの集いは二度参加している。しかし、一度も校歌を歌うなんてことはなく(正確に言えば、うちの大学に校歌はない。しかし校歌に準するものはある)雰囲気が全然違った。だからこそ、面白いと思ったのだった。

 

 

 さらにさらに、自己紹介をする場面があった。学生の多くが「台湾と沖縄をつなぐ仕事をしたい」「沖縄に貢献したい」と言っていたのが印象に残った。沖縄県人会という場での挨拶であるし、私自身も「沖縄に貢献したい」と思っている。ただ、他の地域の学生は「地元に貢献する」と大きく発言することを、沖縄ほど求められてない気がするのだ。(私は関東しか知らないので、地方の地元へ貢献する事への圧はすごいのかもしれないが)

 「沖縄に貢献したい」という言葉、考えてみれば高校生の頃からずっと、聞いている気がする。わたしはずっと広い意味で沖縄文化が好きだったけれど、それについて夢中になっていると、周りの大人は観光業や教育職へ結びつけて「沖縄に貢献する人になってね」と言っていた。そしてそれを私も受け入れていた。

 

 卒論では調査地に還元できるような研究をしたい、と思う。一方で、「沖縄への貢献」にまとめられることには違和感がある。というか、沖縄へ貢献することって、なんだ?

 今回の場でないんだけれど、私が県外の大学に行っているというと、「ああ、そういう子は帰ってこないから」といわれる。沖縄で就職するか否かで、私の心はこんなにも張り裂けそうなのに、勝手なこと言わないでほしい。そもそも、「沖縄に貢献する」ことは沖縄に住まないとできないことなのか?今回の留学を支えてくれている某奨学金の集まりでも、琉球大学の子に「沖縄を離れて沖縄を志向するのはずるい」と言われたことがある。彼女はもう覚えてないかもしれないけど、私は何度も反芻している。私がずるいかどうかは置いておいても、「ずるい」と思ってしまう感情については分かってしまう部分はある。沖縄県民(主語が大きい)が抱く「内地」という地域に対する憧れ。そこに滲む劣等感みたいなもの。それって何だろうね。「内地」も住んでみると、東京大阪以外は結構田舎だし、なあんだ大したことないなとも思ったけれどね。弟にも言われた「沖縄からイチ抜けしやがって」と。

 

 私がK高校を卒業して、北関東の森の大学に行き、台湾大学へ交換留学しているというと、「ディキヤー」だねえと言われる。学生にも「すごい」と言われていた。私は、中国語も英語もできないまま台湾に来てしまったから、こんなにも劣等感の塊なのに。あの県人会のメンバーの中では、私の中国語力は下っ端だろうなあと思う。私からすると、本科で台湾の大学に進学する方がよっぽど「すごい」のになあと思っていた。因みに「ディキヤー」と言われて、「そんな中国語もできない私がディキヤーなんて」と思うわたしよ。人からの褒め言葉を素直に受け止められない時、自分の劣等感に気づいてしまう。

 

 そのぼんやりとした思いをこうやって文字にしてみると、大学名とか中国語能力とか一周まわって大したことないなって思う。一周まわってしまった。よく言われることだけれども、大学名よりは「そこで何をしているか」が問われるし、語学能力を生かして何をしているかの方が大切である。自分が驕らないようにも、変な劣等感にがんじがらめにならないようにも、しっかりここに書いておこう。

 

 お酒を飲みながらだから、大変とりとめもない感じになってしまった。もう少し深く考えるべきことはあるだろう。「県人会」というコミュニティについての研究については、今検索したところ日本の大学の図書館で多くの本がヒットした。帰ったら読みたい。

 

 ちなみに、私がやっていることを話したら色んな情報を教えていただいて、ありがたかった。キャリアについても、少し考える機会にもなった。そういう意味では行けて良かった。

 

5月31日 5月のおわり、読書の日

 

 今日で5月も終わりらしい。びっくりである。でもまあ、留学の終わりを意識して日々を過ごしているせいか、ああまだ留学が終わるまで2ヶ月あるな、という謎の余裕もある。微妙な気持ちだ。

 

 朝起きるとまず、スマホの通知を確認する。すると、大学の先生からメールが届いていた。先週なんとか形にした卒業論文の題目について、「今のところはこれで大丈夫でしょう」とのこと。あとは書類を書いて、PDF化したのちメールで送るのと、国際郵便で大学の方にも送れば終わりだ。とりあえずひと安心。卒論の題目も目処がついたことだし、6月は中国語に集中するぞ、と心に決める。

 

 朝の授業を終え、DVDを返すために図書館へ。そのあと、基隆の社寮島にある琉球人墓に行く予定だった、当初の予定では。

 図書館で探し物があるからって、棚をふらふらしていたら、面白そうな本が大量に。気がついたら、5冊手にしていた。いやいや、今月は中国語に集中するんだぞと思いながら、台湾中国、日本、沖縄に関連するところだけ読んでみる。すると、これが面白い。気がついたら、お昼もいい時間だった。ギャグかよ。

 

考古学者石野博信のアジア民族建築見てある記

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民族の出会うかたち (朝日選書)

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現代民俗学の冒険 (桜井徳太郎民俗探訪)

現代民俗学の冒険 (桜井徳太郎民俗探訪)

 

 

 

 予定を大幅に変更することにした。タピオカミルクティーを久しぶりに買って、クーラーをつけた部屋の中で本を読むことにしたのだ。なんせ、今日は金曜日!金曜の夜は相部屋が居ないのだった。クーラーもつけ放題だー!途中、本を読みながら食べるお菓子を買うべくセブンによったら、タピオカミルクティーを忘れる。まだひと口しか飲んでないのに!手に持ったものを失くす天才である。

 

 今日は月に一度の眠くて仕方ない日ということもあり、ベットで本を読みながら、時々お昼寝もした。ほんとうに、ゆったりと、台湾で過ごす日々って素晴らしいものである。

 私は日本に居るとき、資格の関係で単位ばかり取っていた。どうせ時間があっても、だらだらするだけだし、と言ってたけど、こうして自由な時間が生まれたところで、私が本当にしたいのは本を読むことだった。もう少し、自分を信じても良かったなと思う。私は人文系の学生で、本を読むことは人文系にとって必須である。単位を集めて満足していたその先を私は見なくてはならない。

 

 

イレズミの世界

イレズミの世界

 

 

 台湾原住民のタトゥーと、沖縄のハジキ(入墨)についての記述があるとのことで、ずっと気になっていた本。やはり台湾大にあった。面白くて一気に読んでしまった。

 

 知るということは、そのことに対して、その地域に対して、その人たちに対して、経緯を払うことである。台湾原住民博物館でインターンするにあたって、できるだけ関連の本を読みたい。

 

 気がつけば、この一ヶ月で20冊近くの本を読んでいる。漫画やDVD、中国語の本を加えればさらに増える。台湾と日本では自由になる時間が比べ物にならないけど、日本にいた時以上に台湾で日本語の本を読んでいる。中国語の本を読まないと。もっと中国語に触れないと、という焦りはすごくある。でも、でも、いまは日本語の本を読みたい時期なのだとしたら、今読みたい本は、いまが読み時なのではないか。

 

 昨日の道教寺院、道士のふるまいに込められた意味はなんだろうかと思うとき、役に立つのは中国語以上に、日本の大学で受けた授業だったり、台湾に来て慌てて読んだ本だったりするからかもしれない。(多くの日本人がそうであるように、台湾人の多くは年中行事に込められた意味を知らないし、現代の若者は年中行事に関わらずに生活するものも多い)両者のバランスを取るのはすごく難しい。ただ、どうであろうとも、志向錯誤しながら学んだ日々はきっとどこかで自分の財産になる。今はそう信じるしかない。

 

 

 本を読み終わった夜中、もう留学も終わりに近づいているし、ととっておきのどん兵衛開封した。日本の、出汁の香り。深夜にそれを食べるという背徳感をスパイスに、とても幸せなひとときであった。

 

5月30日 神農大帝生誕のため授業には行けませんでした

 

 

 5月30日は神農大帝の生誕。ここ数日連続で通っているお寺でも9時から祭祀があるとのことで、行ってきた。

 そうなると、行けなくなるのが朝の中国語の授業である。自分の中で明確な優先順位はあるのだけれども、少しの罪悪感はある。ただ、こればっかりは仕方ない。

 

 授業を主体的に受けるのと、主体的に休むのは近いところにあると思うのは、詭弁かしら。授業は自分自身のために受けるのだから、授業を休んでどうしてもやりたいことがあるのなら、休んでもいいのではないか?そう言ってくれたのは高校の先生だった。面倒くさいから行かないのではなく、自分で意識をもって授業を休んでやる、なんて言っていたのは大学一年生の頃だ。結局根が真面目だから、めったなことでは休まないけれど。

 

 それから、これは一つの要素なんだけれども、火曜日と木曜日に受けている中国語の先生が差別的なことを言うのが嫌である。

 

 

 台湾原住民についてだけではない。スペイン人のクラスメイトに、あなたたちの国はだらしない、とか発言している。日本のことは、まあまあ良いらしい。台湾に住み始めた頃、台湾人はなんて優しいのだろう!?と思っていたけれど、それは私が日本人であるから享受しているものであるかもしれない、と思うようになっている。悲しいことに。台湾国内の台湾原住民に対する無理解、新住民といわれる東南アジア諸国からの移民に対する差別等々、根深いものはある。

 

 私の場合、黙ってさえいれば(時には話していても)日本人に見られないということもあり、「あなたどこの人?」とよく聞かれるのだけれども、「日本人です」と答えると態度が変わるなんてしょっちゅうだ。この前も「え、日本人だったの!?日本は好きだ!このお肉食べなよ、無料だ!!」とサービスしてもらった。このことに対して、「やっぱり台湾は親日国!」と思えるわけでもなく、複雑な気持ちだった。いや、有り難いんだけれども。サービスしてもらったお肉は美味しかったんだけれども。私がマレーシア人なら、ベトナム人なら、台湾原住民だったら、どうだったというんだ。

 

 

 中国語の先生のことは、授業評価アンケートにはっきりと抗議を書くと決めているのだけれども、嫌なものは嫌である。ただ、救いなのは他のクラスメイトも「この先生はおかしい」とはっきり思っているらしいということだ。

 

 

 

 朝のお寺で、おばあちゃんに勧められていただいた仙草ゼリーと愛玉。私の朝ごはん。

 台湾に来た当初は中国語ができれば色んなことが聞けるのに、と思っていた。しかし、実際に中国語で多少なりとも会話ができるようになって思うのは、中国語ができるから聞けるという問題ではないな、ということ。

 あたりまえのことだった。

 簡単に外国人が話を聞けるなら、どうして私たちは日本の大学で「民俗学調査法」の授業があるんだ。それだけ「聞く」ことは難しい。中国語で会話が通じるようになるというのは、スタート地点に立っただけのことである。もしかしたら、「外国人である」ということでまだスタート地点にも立ててないかもしれない。

 

 今日もお世話好きのおばあちゃんが色んな話をしてくれたのだけれども、お祈りの仕方とか、ポエの投げ方とか、そういった基本的なことはもう分かっているんだ……。いや、ありがたいんだけれども!ありがたいんだけれども!!私は道士の唱える御経や、その動きを観ていたいんだ……。おばあちゃんには丁重にお礼を言ったあと、お寺を後にしたけれど、難しいなあという感想だけが後に残った。

 

 私の場合、今すぐに台湾の事例をテーマにするわけではないから、焦らずに、今見れるものを見れるだけみて、ゆったりと構えてみようと思う。ただ、やっぱり一年の交換留学は期間が短すぎる。留学も半分が過ぎてから見えるようになった景色もあって。あと1年、台湾に居られたらもっとしっかり年中行事を目に焼き付けられるのに。

 

 お寺ではまたお昼から道士がお経をあげるらしく、カフェと図書館で時間をつぶす。

 

 私は祈る空間と同じくらい、本がある空間が好きだ。台湾でも本屋や図書館を見かけるたびに入ることにしている。ちなみに、この習慣はどこに行ってもやっていることで、一文字も読めないアルメニアでも本屋に行った。大学のロシア研修では、先生が時間を縫ってモスクワで一番大きな本屋さんに連れて行ってくれた。私はロシア語が読めないのだけれども、それはそれは嬉しかったな。班員もみんな喜んでいて、ああ本を読む人の集まりだと思ったのだった。

 

 閑話休題

 台湾の図書館では、当たり前のような顔をして日本語の本が並んでいるのが面白い。日本語の本があるのは台湾大学の図書館だから、ではなかったんだなという気づき。新住民(東南アジア諸国からの移民)に考慮したコーナーや洋書コーナーは別で作られているのだけれども、日本語の本は他の中国語の本と一緒に並べられていた。それだけ日本語を読める人が多いってこと?台湾で個人経営のおしゃれな本屋に行くと、半分近く日本からの本(翻訳も、日本語の本も含め)であることがある。そういった意味では、台湾カルチャーが取り入れている日本文化は侮れないといつも思っている。ここらへん、中国の方では見られないような気がする。台湾の出版事情も気になることである。

 

 夜は、友達とごはん。

 

 沖縄の子と、沖縄のことを熱く話すのは久しぶりで感動してしまった。彼女と私が志向している「文化」は異なるけれど、共にがんばろうな。

 中国語の環境にいると、日本語を話せるだけで安心してしまうんだけれども、それにしたって沖縄訛り、沖縄の言葉の安心感ってすごい。それから、やっぱり沖縄の子が見る台湾って、また違うよなって思った。沖縄と「内地」と呼ばれる地域でもこれだけ違うのだから、沖縄と台湾の地理的な近さ、文化的な近さを考えると、そうであるべきだと思う。沖縄の子と話すと、日々試行錯誤の連続のわたしだって、私の視点をもって台湾にいること、そのことに価値があるのだと思う。

 

 

 昨日の深夜、ドライヤーで私を起こしたことを気にしているのか、相部屋さん23時半にはお風呂に入っていた。よしよし。今日は良い日。