雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

大学生になりました

 

大学生になった。

沖縄を出て、北関東の地で一人暮らしを初めて1か月。

 

ずっとずっと遠いところへ来てしまった、それが今の私の正直な気持ちだ。田舎の中学生だった私が高校生になって、いろんな経験をさせてもらって、大学へ行く。このブログを始めた中学生の頃の私は、自分が沖縄を出る日が来るなんて信じてなかった。

 

 

 私はただ文化が好きで、もっともっと色んなものが見たかった。そして、いつの間にか自分が生まれ育った沖縄のことを狭すぎる、なんて思うようになった。だから、私は沖縄を出て、見知らぬ土地での大学生活を選んだんだ。

 

 この1か月、本当にいろんなことを見た。自分が興味を持っていた民俗学文化人類学、宗教、文学について学ぶ授業は楽しいし、本について熱く語れる友達もできた。神社を巡ったり、古本屋を探したり。一人暮らしは大変だけれども、大学生活は楽しいことだらけだ。

 でも、この1か月はただの旅行とどう違うのだろうか。ただの見物とどう違うのだろうか。刺激的なだけの毎日は、旅行でも代用できる。

 

 生まれてこの方、沖縄南部の田舎にしか住んでいなかった私。沖縄の大学に進学してさえいれば、あたたかいご飯が出てくる実家から通学できた。友達だって沖縄にたくさん居て、慣れ親しんでいる環境で過ごせたらどんなにいいだろうか。

 受験生の頃は、志望校のレベルの高さを魅力的に感じていた。「民俗学をやりたいならこの大学だよ」なんて進路指導の先生は言っていたし、自分の適性とぴったりの入試があったことも決め手の一つだった。都心まで一時間かからないアクセスも、また私の心を掴んで離さなかった。

 でも、それって別に沖縄でなんとかなったことだ。授業である先生は言った「大きな図書館さえあれば、別に大学なんて要らないんですよ。図書館の周りに研究したい人がテント張って、寝泊りすればいい。」かっこいいなぁ、なんて思って聞き流していたけれど、確かにその通りだ。片田舎の自称進学校で私は、一人研究していた。趣味だったり、入試の為だったりしたけど時には国会図書館に出向いたり、市町村にアンケート調査を依頼したり、結構頑張っていた。高校生の道楽のレベルを超えたことはできてなかったとは思うけれども、その経験は環境がいかなるものであっても何とかなるんだっていうことを示している。

 立地だってそうだ。一人暮らしを始めてからというもの、お金は飛んでいくばかり。日々の家事にパワーを削がれ、アルバイトを始められるのはまだ先だろう。純粋に都心へ行きたいだけならば、実家暮らしでお金を貯めたほうがきっと早い。だったら、私は何を望んでここへ来たのか。

 

 

 大学に入学して、新入生が一番初めに頭を悩ますのが履修登録だと思う。私にとって、一番の肝は「教職を取るか取らないか」にあった。教職を取るのなら、なりたいのは高校の国語教師だ。でもそれは国語の先生になってもいいかな、というくらいの覚悟であって、専門に学びたいと思っていた民俗学の方が疎かになるなんて本末転倒である。かと言って、教職を取らなかったら私は将来どこへ行くのか。事務作業に適性がなく、OLなんて絶対にしたくない。でも自分のやりたいこと、例えば文章を書くとか、大好きな文化を相手にした研究職に就くとか、そんなことで食っていく自信もない。

 また、教員以外の職が沖縄にあるだろうか。一つ、譲れないことがある。どんなに遠い関わり方でも、文章に関わっていきたい、文化に関わっていきたい。そう思った時、沖縄ではあまりに職がなさすぎる。沖縄にもう住まない、そんな選択肢だって見えている。けれども、私にはまだその決断をする強さがない。

 

 私と同じように地方から出てきた友達は口を揃えて言った。「別に教師になるんだったら地元の大学を出た」と。そうなんだよ、教員免許はどの大学でも取れる。免許取得を目的とするなら、何もこんな遠くまでくる必要はなかった。

 

 私は何を望んでここへ来たのだろうか。

 悩んだ挙句、私は教職を取った。自分が本当にしたいことに対する覚悟がなかったとも言えるし、本当にしたいことをするために教職を選んだともいえる。もしもの保険があったほうが頑張れると踏んだのだ。甘い。ただ、絶対に決めているのが自分の専門と教職が被ったときは教職を切るということだ。そこだけは妥協できなかった。

 

 この一か月、考えてみれば悩んでばかりだった。新しい環境に翻弄され、文章を書く余裕もないくらいに悩んでいた。教職にはじまり、サークル、家事、人間関係。親元を離れ、もう私はすべてを自分で選択していく。そのことは想像以上に難しくて、予想外に楽しい。悩みまくるのは思春期をこじらせた私の得意芸である。

 

 私は何を望んでここへ来たのだろうか。

その問いは私のものである。もっともっと自分にぶつけよう。

 

 GWも終盤だ。先輩から聞かせれている「GW明けから教室に学生が減っていく」という言葉。周りの友達もいう、「大学に期待していたこととはなんか違う。」大学生になって手にした自由の代償は、多分そういうことなんだと思う。自分で問いをぶつけていかないとどうにもならない。この一か月生活に慣れるだけで必死だったけれども、もう次に進もう。

 

 なんて、ふと一人になった時に思う