雑記帳

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教科書がオワッタ~義務教育についてうだうだと~

 

 

 

 

 理科の教科書が終った。国語も、社会も、英語も、数学もだ。

県立高校入試まであと、14日。卒業まではあと18日。

もうすぐ、義務教育が終わる。

 

 私は小中9年間で何を学んだのだろう?

全教科の全範囲を終えた今、国としての学力の最低基準を達成したといえるだろう。(もちろん、中学範囲が完璧とは言いがたいが……)

 

 足し算ができるようになった。日本史もトクイになった。本が好きになった。元素記号も、すこし覚えた。

 できるようになったことをあげると、キリがない。

でも、私は結局のところ、何も分かっていないのだと思う。

全て私は、分かったつもりになっているだけだ。

なぜなら、私は何も見えていない。

安全すぎてつまらない教室で、ただ教科書を9年間眺めていただけだ。

 

ありきたりなペーパーテストを受けるたびに、膨れ上がる思いがある。

高校入試の過去問の社会で、高得点を出すたびに思う。

苦手な数学のテストでも思う。

「私は、義務教育を終えていいのだろうか?義務教育って、何だったのだろうか?」と。

 

 あと17日で私は、中学校から追い出される。

数学が全然出来ないのに、問答無用で追い出される。

全てを分かったふりをしていた私のアタマは、義務教育という枠から外れたら、どうなってしまうのだろうか?

 

 

 

 

 中学を卒業したら、社会に出ていける。

実際、私の周りにも高校進学を選ばなかった人がいる。

彼は、小学校低学年から不登校気味だったという。中学になってからは、たとえ学校に来ても、髪の毛指導や制服指導のため教室に入れないということが多かった。

だからだろうか?彼はアルファベットも怪しく、漢字も小学校低学年レベル、更には自宅の住所や電話番号も分からないそうだ。

 

 そんな彼が義務教育を終えて、社会に出ても本当にやっていけるだろうか?

 いや、そもそも、彼はこれから中学校という守られた空間を抜けてしまうと、どうなってしまうだろうか?

 たばこや飲酒で叱ってくれる先生方もいない、中学という行き場も失う。

 

 日本の義務教育制度は時に残酷だ。

 

 

 

 私は義務教育を終了しても、学生はヤメない。

 多くの生徒がそうするように、県立高校へと進学する。

 だから、彼のように社会の荒波に揉まれることもないだろう。

 おそらく、今までのように大人に守られてばかりの生活だろう。

 それどころか、私の通う学校は一応、進学校だ。

 テストの点数さえ良ければ、何にも考えなくてもよいような場所かもしれない。

 そうやって考えると、一人、就職の道を選択した彼に比べて私は、まだまだ弱い存在なのだと思う。

私のこれからはじまる3年間はきっと、中学の延長線だ。

 

 だからこそ、私は中学と高校の境目をはっきりさせたいと思う。

 義務教育と、自分から選択した教育。

 ヤメられると、やめられない。

 義務と自由。

そうやって、一つ一つ考えて、噛み締めたい。

 

 小学生の時は、義務教育の9年が途方のなく遠くて、終わりの見えない迷路のようだった。そして、義務教育から開放される日、私は歓喜に湧くだろうと思っていた。でも、違う。

 

 私は、考えなければならないのだ。

 歓喜で終わらせてはならないのだ。

 考えて、考えて、考えて、自分の答えを見つけるまでは、私は永遠に中学生のままなのだ。

 

 義務教育。9年間では相当なページ数の勉強をしたであろう、私。

  でも、私は私の問に答えられない。

  それどころか、教科書のどこにも答えなんて書いていない。

 

 編集後記

  私のうだうだにも、いつまで耳を貸してくれるのかな?と思う日々です。