雑記帳

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県立高校入試 1日目

  今日は、沖縄県立高校の入試1日目でした。

 

 「高校入試」

 そのことには、どのような意味があるのでしょうか?

 

 私は、同級生より少しだけ早めに受験生をヤメました。推薦入試で1月には合格していたのです。

 

 中1の頃から委員会に所属し、席次や内申もそこそこをキープ。検定もギリギリで取得したり、好きな作文を書いて実績を重ねたり。本当に何となくで当たり前のようにやってきただけで、気がついたら志望校に合格していました。

 

 だから、「高校入試」の意味がよく分からないのです。

 

 私は双子です。双子の片割れである弟は、私と同じ高校を一般入試で受けました。私が志望校を2年生の頃に決めていたのに対し、彼は受験の1ヶ月前に決めるというギリギリの闘いです。実際、模試の結果は思わしくなく、客観的に見ても彼はボーダーラインにいます。

 

 それもそのはず。彼は私が検定を取得したり、作文を書いている間にダラダラしていたせいで、実績もないばかりか内申も決していいといえないものですから。私は彼を見て、ひそかに自尊心を胸いっぱいに満たしていたかもしれません。

 

  しかし、彼は猛勉強しました。

 「どうせ、受かるわけない」と冷ややかに笑っていた私を置いて、ずっと机に座っていました。

 

 そして、今日の高校入試。

 彼は笑顔で帰って来ました。手応えのある結果だったようです。

 

 多分、彼は合格するでしょう。彼は運も見方にし、志望校は例年にない倍率なのです。1ヶ月前に彼のことを冷ややかに笑っていた私は、自分の過ちを認めなければなりません。

 

 

 「高校入試」

 その意味は、やはり分かりません。

いや、もしかしたら「高校入試」に意味はないのかもしれません。学校や塾が勝手に騒いでいるだけで、私たちは無意味にプレッシャーを感じ、勝手に受験戦争に巻き込まれている気になっただけなのかもしれません。

 

とにかく私は、合格発表の日に複雑な面持ちで弟の笑顔を見ることになるでしょう。

 

 私は学校でも少数派の推薦合格者です。基本的に学校では「優秀な生徒」として扱われている気がします。

 実際、下級生のクラスへ「推薦合格へのアドバス」をスピーチしにもいきました。でも、思うのです。私は多分、逃げただけなのだと。そして確実に私は、自分の成長するチャンスを自分から摘んでしまいました。だから、下級生のクラスでやったスピーチはしょうもないものです。私の後輩たちは何となくで済んだ者の何となくへの方法論を聞かされ、かわいそうです。

 

 

 日本は学歴社会です。中卒の働きの場はどれだけあるのでしょうか?だから、仕事に就くため、いい大学へ行く。また、いい大学に行くために良い高校にも行く。

 その発想は分からなくはありません。むしろ、私もそんな考えを少し持っています。

 でも、少しつまらないです。

面接練習でみんな当たり前のように「大学へ行きたいから、進学率の高い高校への進学を希望します」と言うのですが、

先生に「行きたい大学について具体的に教えてください」と追求されると何も言えない。もちろん、将来の夢にしても同様です。

 

 私も推薦入試の際、大学進学について話しました。高校の勉強についていける自信もない、この私がです。私は本や歴史が好きなだけで、大学について調べたことは一度もないのに、べらべらと面接官を前に話しました。

 

 多分、みんなも私もバカなのです。

 

 「高校入試」に意味は無いのかもしれないと、私は先程書きました。でも、少しだけ訂正して、「高校入試」自体に意味はないのだと思い始めました。私にとっての高校入試はバカなものでした。自分でバカとしたのです。

 

 みんなにとってはどうでしょう?毎日、授業で入試対策をしてみんなは変われたのでしょうか?

 

 弟にとっての高校入試は、意味のあるものなのだと思います。悔しいけれども、弟がほんのすこしだけ羨ましいです。

 

 編集後記

 友達が合格していたら、いいな。