雑記帳

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卒業

 

 

 

 

 私は3月10日に中学校を卒業した。

 

 卒業式で先生方お手製の「思い出のアルバム」を見ても、お粗末な「3年間ありがとう」と書かれたプラカードを見ても、感動するどころか「私の3年間は何だったのだろう?」という疑問ばかりが膨らんでいった。

 

私の3年間は、もう二度と戻りたくない3年間だった。言葉では言い表せない程、たくさんのことがあった。思春期をこじらせて、自分の小ささと世界の大きさを日々痛感していたし、何より「時」が一番こわかった。今思えば馬鹿らしいことだ。でも、私にとって「時」が全ての悪だった。「ずっと何も変わらないでほしい」何度そう思ったことだろう。しかし、私がいくら願っても、時は容赦なく進む。永遠などアリエないのだと身に染みた。私が大切にしたいものは年々増えていくのに、私の手の大きさは限られていることがとても憎く、泣く泣く道においてきたものも、たくさんあった。私は、捨てることが苦手なのだ。どれだけつまらないものでも、それにしがみついてしまうところは私の悪い癖だ。

 

 今回も、私はその悪い癖を発揮している。学校は大嫌いだったというのに、私は卒業という事実がうまく飲み込めない。うまく馴染めなかった中学校に何かの未練を残しているようだ。

 

 そこまで来て私は、案外中学校を楽しんでいたことを知る。体育館裏に内緒でかぼちゃを植えたり、美術室と放送を私物化したり、誰も気をとめないことをいいことに好き勝手遊んだ。毎日毎日、友達と語り合う毎日は確かに楽しかった。

 

 今となっては、何でも無かったあの日が恋しい。だらだらしながらも、毎日居場所があったことが貴重だったのだと実感するとともに、この宙ぶらりんの春休みから早く脱したいと願ってしまう。

 

 私たち3年生、126名が卒業しても学校は何事も無かったかのように進む。私が楽しんでいた放送は、2年生に取られてしまった。部長を務めていた部活に関してもまた然り。こうして、時は進んでいくのだと思った。

 

 ふと思い返すと私は去年の卒業式、先輩の姿を寂しく見送りながら、それでも胸は何かに弾んでいた。あの時は、自分が何に期待しているかなんて分からなかったけれど、今ならわかる。あの時の私は、自分が最上級生となることで「必要とされる」ことに対して期待していたのだ。絶対的に揺るがない中学校という居場所に甘んじていたからこそ、私は最上級生になれることが嬉しかったのだ。

 

 きっと、今の2年生もあの時の私と同じような気持ちだろう。それは、中学校から「追い出された」私からすると、少しばかり嫌味に感じるところもあるが、そうでなくては困る。

 

 

 私の3年間は、切ないものだった。悲しいものでもあった。怒りを感じるものでもあったし、いつもどこかで諦めていたものでもあった。でも、大切なものだ。

 大嫌いだけれど、大好きな3年間にありがとう。

 

 私は4月から高校生だ。

 

 

編集後記

 私がほんとうの意味で卒業できるのは、高校にもなれた6月頃のことでしょう。