雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

クラス会と合格発表ともろもろ

 

 中学を卒業した途端に、「幼馴染」としての親密度が上がるということは、よくあることなのかなと思う。

 

 というのも、先週あった「クラス会」

 いつもより何倍も盛り上がったのだ。

 参加人数からして、夏休み開催のクラス会とは比にならない。

 卒業したばかりで、みんなそこそこ忙しいだろうに、である。

 

 かく言う私も、クラスの行事にはいつもぶーぶー言いながら、今回のクラス会には参加した。

 また、よく「面倒くさい」と言って、休日の遊びには消極的な友達までクラス会に参加したのだから、笑えてくる。

 

 クラス会自体は、アイススケートだった。

 他に遊ぶところのない田舎だから、仕方がない。

 でもそれが、とにかく楽しかった。

ただ滑るだけだのに、みんなで手を繋いでみたり、追いかけっこしてみたり、たくさん笑った。普段の教室なら、あまり話さないような人ともびっくりするくらいおしゃべりした。また、クラス担任がスケートリンクに顔を出した時の反応と言ったらありゃしない。私を含めみんな、クラス担任のことを「先生、先生!」と呼べることが嬉しいようだった。

 

 その様子は、「どうして、卒業する前にここまで仲良くなれなかったのだろう?」と思うほどだ。

 

 

 

 クラス会の翌日は、県立高校の合格発表だった。

 

 推薦で合格していた私も、志望校へと向かう。

一般入試で努力した弟の隣で、番号を探す。

 彼の番号は、あった。

少し、悔しかった。本当は嬉しいことなのに、素直に喜べない自分がいた。しかしその半面、私は彼が受かったことでホッとした。

 

 また、同じ高校を受けた同級生は全員揃って合格した。

 

 そのことによって、彼女たちと昼休みに弁当を広げる自分の姿が簡単に想像できた。少しだけ、気味悪かった。

 

 

 クラス会と合格発表から、私は新生活に対して弱気になっているのかな?と思う。

みんなだってそうだ。新生活が怖いから、今までの日常が急に恋しくなってしまうのだ。クラス会だって、卒業直後だから盛り上がったのだ。これがもし、何の寂しさも感じないうちに行われたのなら、盛り上がりに欠けただろう。

 

 新生活を前にしてみると、同じ空間で同じ時を過ごした幼馴染の存在が心強いことが分かる。

 卒業して、嫌いだった学校が美化サれていく。卒業して、苦手だった同級生が美化サれていく。それは、悪いことでないだろう。

 

 高校に慣れるまでの間は、同じ中学の人と私は親しげになるだろう。中学の時は仲良くなかったとしても、「友達」となるだろう。何だか気味悪いけれど、見用によってはそれも、悪いことでないのかな?と思った。

 

 

 編集後記

 これからは、同じ地区に住んでいることがひとつの団結に繋がるのか?