雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

温室からの脱出~温室デイズを読んで~

 

部屋の片付けをしていて困るのが、たくさんの紙類。

特に、自分が書いた作文類は捨て難い。でも、保存方法も分からない。

悩んだ末にこのブログに投稿し、ネット上で保存しておこう!という結論に達した。

 

 コンクールの入賞作品集に載ったものだけは避け、春休み中に作文類の整理をしたいと思う。

 

 残念ながら(?)中1の頃の作文は既に紛失していたので、第一回目は中2の頃書いた読書感想文となる。

 

 

 

 

 

 書いた本は『温室デイズ』

温室デイズ

温室デイズ

 

夏休みの宿題として提出し、原稿用紙5枚分

 

 

 

 

 

   温室からの脱出   2年1組

 

 「今、私が立っている場所はどこ?」

 

 この本を読み終えた時、私は真っ先に自分のいるこの空間について考えた。この空間こそが温室だと考えるのなら、出口はどこにあるのだろうか?

 

 何気なく手にして読み始めた『温室デイズ』という本には、私の周りでも起こりうるであろう学級崩壊や不登校というものがつまっていた。正義感が強いせいでいじめに遭うみちると、その友だちで原因不明の不登校・別室登校を続ける優子の二人が織りなす物語である。お互いにもがきながら荒れた学校の解決の糸口を探し、温室からの出口を求める彼女たちの姿に共感し、衝撃を受けた。

 

 最も衝撃的だったのは、

「教師の言うように中学校は温室かもしれない。どれだけひどい行動をしようとも、学校の中から外れても、私たちは学校に守られている。ドロップアウトしたって、次のクッションを与えてくれる。でも、決して居心地がいいわけじゃない。どんな状況であっても、望もうが望まなかろうが、この空間で毎日を送るしかないのだ。本気で自分から断ち切らない限り、この温室で生活するのが私たちの日々なのだ。」

 と思いを巡らせた場面だ。

 

 私は、はっとした。みちるが思った頃は、まさに私が思っていることと同じなのだ。ただ、私は言葉に表現することができず、もやもやとした日々を送っていたのだ。しかし、言葉に出来ないもどかしさを、この場面で、みちるが代弁してくれたようにさえ思えた。

 

 中学校は義務教育だ。しかも私は公立中学校に通っている。校則を破っても退学なんてありえない。極端な話、たばこを吸っても飲酒をしても、今の日本の中学生として法律によって守られている。そんな生活は嫌ではない、けれども快適かどうかは別である。

 

 みちるはいじめに遭いながらも耐えた。優子に家族に先生に学校に行かなくていい、逃げていいと言われても、地獄のような場所に自分の足で向い続けるのだ。私にはもちろんそんなことはできない。みちるみたいに強くなんかない。そう言い切れる今の自分も逃げているのだろうと思う。そんな強いみちるとは対照的に、優子は教室に入れなくなってしまう。いじめを目の当たりにするのが嫌なのか、荒れ果てた学校がいやなのか分からないまま別室登校、フリースクールと、どんどん学校から離れていく。私はどちらかというと優子の方に近い。もちろん優子とは違い、毎日学校には通っている。行きたくない日がないと言えば嘘になる。しかし行きたくない気分の時はその理由が分からないのだ。そんな時は、自問自答を繰り返す。学校が嫌なのか、それともただ家の居心地がよいだけなのか、何度も何度も問いかける。でも、その答えは見えてこないのだ。

 

 優子は強かった。日常に流されてばかりいる私とは違い温室からの脱出を試みた。学校を元に戻すには、リーダー格の瞬を変えるべきだというところに辿り着く。そして実際に行動に移すのだ。私は、この姿に感動した。同時に尊敬の想いがこみ上げてきた。

 

 いつでも、どこでもおこりうるであろう「いじめ」。私の周りにはいじめは無いと思う。たとえあったとしても表面化していない。そんなことを考えると、みちるはどんな気持ちだっただろうかと自分の学校生活と重ねてみる。きっと辛いに違いない。私がその場にいたら正直、止められるかどうかも分からない。友達ならかばうのか、それ以外は見てみぬふりをするのか。実際、私がどう動くかなんて、正直その場にならないとわからないと思う。そんな自分は卑怯だと思うけれど、それが本当の気持ちなのだ。

 

 紆余曲折を経て、みちる、優子、そして頼りにならない先生までもが、それぞれのやり方で行動を起こし、気持ちを込めて作った花壇を守りぬくことができた。たったそれだけのことかもしれないが、心にじんと温かいものが広がった。そしてみちるが一言こんなことを言う。

 

 「この温室から抜け出せた気がした」

 

 とても深い言葉だと思う。温室から抜け出すには、何か行動を起こさなくてはならないと言われた気がした。

 

 私は気づいたのだ、逃げていた自分に。甘えていた自分に。そしてただ文句をたれている自分は甘ちゃんなのだろう。温室は確かに味気ない、でも、味気ないなら自分から動けばいいのではないか。そう教えてもらった。この衝撃は大きかった。自分の弱さを知り、みちるや優子のようにつよくなりたいと心の底から思った。だから、私は温室から抜け出すため、こんな自分を変えるために行動しよう。そして自分で新たな空間を作ってみよう。自分なりの方法で。自分の居心地の良い場所を求めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 1年以上も前の作文を読むと、直したい点はたくさんあったのだが、あえてそのまま打ち込んだ。それにしても笑えてくるのが、私が暴走しているところだ。

 

 確かこの感想文は、夏休みのおわりギリギリに書いた。夏休みの宿題をさっさと片付けるため、「読書感想文が書きやすそうな本」を適当に選び、1時間ほどで書き終えた。あの時の自分は、先生受けもするように「いじめ」をテーマにし、「読書意見文」にもしたはずだった。

 

 でも、出来上がった作文は上のとおりだ。気がついたら、暴走していたのだ。「まずいだろ」というくらいに本音をぶっちゃけている。終いには、当時の国語の先生に「喧嘩売っている」といわれ、さんざんだった。

 

 しかし、とても楽しかった。これだけは言える。「作文って、自由に書いてもいいんだ」と知った瞬間でもあった。

 

 夏休みの終わりには、小中学生をおかしくする何かでもあるのだろうか?

 

 

 

 

 

  編集後記

 

 原稿用紙五枚分(2000文字)って、少なすぎだと思う。枚数規定なんて、なくなればいいのに。この感想文も字数を削ることに苦労した。