今日は3月31日。
いつものように過ぎ去った一日だったが、ふと思うと、今日3月31日は私の中学最後の日でもあり、義務教育最後の日でもあるのだ。
2週間くらいまえ、卒業式を終えた私は、担任の「31日までは中学の生徒だから、ハメをはずさんよーに!万が一茶髪にでもしたら、校則違反だよ」
という言葉を聞いて、つい「31日までしか中学の生徒でないのですか?4月からは目をかけて貰えないのですか?」と思った。
いろいろあった中学を卒業できたことは、もちろん喜ばしいことであり、4月からの高校生活も楽しみだ。
でも、あの時思ったことも決して嘘でない。
義務教育とは所詮、年齢制限なのだと母は言う。
そうかもしれない。
でも、それは正しいものとは思えない。
15歳になった年の3月31日付で終ってしまうだなんて、すごく虚しい。
小学校から通学していないせいで、自宅の住所も分からない、四則の計算もできない、ヤンキーは中学という守ってくれる環境が無くなったら、どうなるのだろう?
彼は義務教育を終了したと言える知識を身につけられたのだろうか?
また、ずっと別室登校でずっと担任の先生が別室にも顔を出して楽しそうであったが、結局最後まで教室には入れず、卒業式も参加できなかった、入試も受けれなかった彼女はどうなるのだろう?
もし、彼女が精神的な悩みを抱えていても、31日付で関係は終ってしまうのだろうか?
同級生のことばかりではなく、私自身のことを振り返ってもまたそうだ。
中二の時いろいろあって、私は担任にカウンセラーを勧められていた。でも私が別学年になると、そのカウンセラーを薦めた担任は私が挨拶しても無視するようになった。
(私だけの問題でなくその先生は誰の挨拶も無視するのだが、そこは置いといて)担任は私のことを心配して、私のことを思って、カウンセラーを紹介したのでないか?それとも、ただ問題を抱えている生徒(問題というほどの問題でも無かったが)と向き合うことが面倒臭く、向き合える自信が無くて「カウンセラーを紹介する」ということに逃げたのか?そう思わずにはいられない。
仮にも私のことを思ってくれたのなら、進級したあとでも無視することはなのにとも思う。
結局、担任に勧められたカウンセラーは断ってしまったが、もしあの時勧められるままにことが進んでいたら、私がこうやって学校に対して思うことは無かったのかもしれない。
上に書いたヤンキーは4月から、親の仕事場で働くらしい。
また、別室登校の彼女はNHK学園に通うと噂で聞いた。
私も、明日からは籍を高校に移し、女子高生となる。
義務教育というものは、結局私たちにとって通過点でしかないのかもしれない。
学校に来てはその怖さゆえに空気扱いされていたヤンキーにとっても、別室では私と笑顔でおしゃべりもしていたのに、結局教室に入れなかった彼女ににとっても、休み時間をバルコニーでばかり過ごしていた私にとっても、中学という空間は、ただ息苦しいものであったかもしれない。
でも、それだけではないと信じたい。
彼が実は工業高校の自動車科に進学したいと、進路指導に相談していたことを私は知っているし、えらく静かな別室で笑いあった彼女の笑顔は今も思い出せる。そして、私も思春期をこじらせたせいで、えらくごちゃごちゃしていた感情の中には確かに「楽しい」も「嬉しい」もあった。
今日付けで終わる、義務教育。
その中で私は何を学んだのだろうか?長らく考えてみたが、その答えはまだ見つけられない。いつか分かるだろうか?未来の自分に思いを託してみるが、分かる気がしない。
ただ、私にとっても126名の同級生にとっても、意味のある9年間であって欲しいと思う。
明日からは高校生だ。
高校生になったら、自分の責任で学校に通う。
高校生になったら、自分が選択して学校に通う。
いきなり全てが変わるかもしれないし、何も変わらないかもしれない。
こうやって「義務教育」に突然守ってもらえなくなることも、感傷に身を任せてしまうことも、いわゆる大人になる一歩なのだろうか?
何でも知っている大人には憧れるけど、知りすぎて何にも疑問に思うことのない大人にはなりたくないと思う今日この頃。
高校生になった自分は決して想像できないけれど、不思議と3年後の今日に高校生でいられなくなることを寂しがる自分は想像できた。
編集後記
折角住所も知っていることだし、お世話になった先生方には手紙を書こうかな?と思った。たとえ、今日付けで中学生である私が終っても、私自身は何も変わらず、大切にしたいものは案外続くのかもしれないと書きながら気付いた。中学が違う友達との関係は続いているしね。