きのこのこのこのこ

最近大学生になりました。南の島から東路の果てへお引越し

意見文宿題

 

 

 

 

 GWの国語科宿題として、意見文が出ました。高校に入って久しぶりの作文。しかも、後の授業で発表会をやるとのこと。

 めちゃくちゃテンション上がりました。暗記や計算ばかりの日々で、作文の宿題は救いです。光です。

 ということで、宿題として下の意見文を書きました。

 

 

 知りたいのに、分からない。どうしてこの世には解決できない問題が無数にあるのだろう。例えば、基地問題。誰もが平和な世の中を願っているはずだ。しかし、その話し合いはいつも決裂してしまう。どうして?何故?そんな思いになりながらも、今までの私にできることは硬い椅子の上で教科書を見つめることのみだった。でも、本当にそうだろうか。解決の糸口を手繰り寄せることは私には出来ないのだろうか。私は、知りたいというのに。

 

 中学生になった頃、私は私を取り巻く世界に興味があった。その延長線で、あるインターネットサービスを通じてオーストラリアの高校生に出会った。一見共通点のない私達だったが、意外と二人は意気投合しメール友達になるまでとなった。

 

 初めの頃は順調だった。拙い英語でお互いの近況を報告し合い、励まし合うこともあった。そんな海を越えたやり取りは、私に教科書でしか知らなかった世界の風を感じさせ、あの頃の私は舞い上がっていた。今思うと私は、ただのメールのやりとりだけで住むところも何もかも違う彼のことを勝手に理解した気になっていたのだ。しかし、そんな関係がしばらく続いた後、私は自分の考えがいかに甘いものであるかを思い知らされることになる。

 

 ふとしたことで、彼との間に深い溝を感じるようになったのだ。私のことを理解して欲しい、そんな思いで何度もキーボードを叩いた。でも、どうやっても通じない。きっと、私も彼も間違ったことを言ってなかった。それだからこそ、タチが悪いのだ。

 

 私はその時、破壊されたと感じた。私を縛っていた常識や価値観の通じない相手と出会うことで、私の考えは壊された。その衝撃は大きかった。それは彼も同じだろう。双方の言い分は正しいのに、どうしても理解できない原因はそこにあったのだ。

 

 私と彼はやはり違う。育ってきた環境も、考えていることも、背負う歴史も全然違う。そんなこと、当たり前だ。私はそこで初めて、自分の視野がいかに狭いものであったか自覚した。そうすることで、ようやく心から彼の話に耳を傾けることができたのだ。

 

 世界は多様だ。至る所に様々な文化が存在し、私にとってそれらは「異質」でしかない。また、日本人である私は異質だ。この沖縄という島は異質だ。しかし、異質だからこそ接触する意義があると私は考える。私は彼と出会うことで、理解できない大きな壁にぶつかった気持ちにもなった。しかし、その壁を壊してくれたのは新しく出会った彼であったこともまた事実である。

 

 その私と彼がぶつかり合うことで生まれた衝撃を国家に置き換えてみるとどうだろう。私が感じたよりはるかに大きな衝撃を生むに違いない。毎日のように新聞の一面をにぎわす基地問題に対してもそうだ。基地があるせいで、沖縄県民は窮屈な生活を強いられている。しかしその半面には、基地があることで収入を得ている人がいる。だから、一概にはどうするべきか計れない。どちらも正しい意見だからだ。基地の中の沖縄は、日本本土と基地によって生まれた溝を持っている。歴史が生み出した大きな溝だ。本当の解決の為には相互理解が大切だ。幾つもの矛盾の中で、正しい意見と正しい考えが歪みあっているだけではだめなのだ。新たな沖縄や世界を創造するには、破壊されなくてはならない。

 

 私の周りには分からないことばかりだ。一時はその多さを嘆くこともあった。しかし、それももうない。分からないなら視点を変えてみよう。固定概念を捨ててみよう。きっと、世界は違って見えるはずだ。歴史が破壊と創造の繰り返しだったように、私もたくさんの破壊と創造を繰り返しながら生きていく。十年後にはどんな世界が見えているだろうか?私はとても楽しみだ。

 

 

 うーん。今までと同じ感覚で書いて、同じ感覚でクラス発表に挑んだところ、クラスはざわざわ。多分ドン引きされました。

 中学の時のように「ちょっと変わっている」という目で見られていた方が少し楽だったかもと思ったり。でも、これがいつもの私なので仕方ありません。思春期だって、こじらせたものはどうしようもないのです。

 

 それから、私はこの意見文で学級代表になれませんでした。うちの学級代表・学年代表は男子。中学の部では県大会優勝経験もあるとか。私だって、意見文では実績もあるのに!県大会も出場したのに!どうしても敵いません。彼の弁論を聞いていると、一つ一つうまいなと感心させられます。彼のことは素直にすごいと思いますが、それでも悔しいものは悔しいのです。 

 クラスでは恥ずかしくて、「意見文だるい」と言いつつも私はこの手の行事が好物です。なかなか頑張ってしまいます。

 ま、高校に入って私の好きな分野で真剣に「こいつには敵わない」と思える人物に出会えたことは喜ばしいことなのでしょう。

 

 

 

編集後記

 

 

 因みに作文発表の後、国語教師に呼ばれて作文を褒めてもらったので、嬉しくなって言ってみた。

「いやー、思春期をこじらせているだけですよ。それにガキの分際で何を言っている     んだよって感じですよね」と。

 否定してもらえると思っていたのに、何故思い切り肯定するのですか!