雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

小論文

 ただいまUSBの清掃中。秋ごろに書いた小論文が見つかったので、ブログに載せてみます。

 

テーマは「若者を取り巻く現代社会には様々な問題があります。それらを取り上げ、あなたなりの解決策を論じなさい」というものです。若者を取りまく問題とはなんだろうか?と考えることから始める必要がありました。

 

  文化について

私の住む沖縄は、昔琉球王国として栄え、独自の文化があることで有名だ。しかし今、その文化が消えかかっていることが大きな問題となっている。特にその状況は若者層に目を向けるほど、深刻になってくる。十代二十代の沖縄県民で琉球諸語を話せる人は非常に少なく、10%を割っていることも新聞社の調査で分かった。日本本土とは異なる歴史を歩んできた沖縄にとって、方言とは歴史そのものだ。琉球方言が失われていくことは、沖縄の真の語り手がいなくなることを表す。琉球消滅の危機といっても過言ではないだろう。どうして、長年その地で育まれてきた文化が今こうして消滅の危機になるのだろうか。そのことを考えたとき、私は夏休みに訪れたラオスの様子を思い出した。

 

 ラオスでは幼い子供も皆、伝統芸能に触れていた。また、自国の歴史に誇りを持っていて、その意識はあまりに日本とはかけ離れていた。ラオスでは、伝統文化を伝えることも一つの大切な教育として重点を置かれているようだった。豊かな自然の中、文化とともに生きるラオス人の姿に私は胸を打たれた。彼らはとても幸せそうだったのだ。しかし、そのようなラオスでも中国や各国から押し寄せる近代化の波に飲まれつつある。そして、日本とは程度は違えども、文化の担い手となる若者が不足しているというのだ。

 

 文化とはアイデンティティそのものであると私は考える。それは私が私である為に必要となるばかりか、意志のある行動をするには、必要不可欠なものだ。文化が失われるということは、その土地の歴史が風化されることにつながる。人は歴史によって学んできた。文化は人類の英知ともいえるだろう。

 

 私達をとりまく環境には、インターネットという大きな存在がある。今やインターネットは世界中を一瞬でつなげてしまう。最貧国と呼ばれるラオスでも、学生はタブレット端末を片手にいつも何かを調べていた。若者におけるインターネットの影響はとても大きい。確かにそれは便利だ。多くの人が流行りのSNSに魅了され、その場限りのやり取りに夢中になる。確かにそれは楽しいが、十年後そのサービスは残っているとは言えない。自分の言葉を持っていない私達が何も考えず、他人の言葉で行うインターネット。私はそこに虚しさや恐ろしさを感じる。

 

これからの世界はインターネットにより、ますます一体化していくだろう。一体化することで、新たな時代が開けてくる。しかし、その時代に何が残されているだろうか。発展ばかりを急ぐことに危険性も隠されている。例え一体化しても、それぞれの歴史があって生まれた文化はそう簡単に一つにはなれない。

 

 そこで私は、「文化の共存」という言葉を掲げたい。例えば、世界遺産である首里城に行くと3か国語に訳されたパンフレットを目にする。沖縄のことが他言語で紹介しているそれは、文化を無視しているのか。いや、違うだろう。そればかりか沖縄の良さを生かし、外に発信している。また私は情報の授業の一環で、外国人向けの沖縄紹介のホームページを英語で作成している。その行為は、インターネットを使って情報を発信できるだけでなく、外国人の目を通して私も沖縄を見つめなおす良い機会となっている。

 

私自身、ラオス研修では現地に根付いている「バーシーの儀式」を体験することで、ラオス人の思想を垣間見ることができた。文化の消滅を食い止めるには、その受け取り手の存在もまた重要だ。視野を広げることで、相手の文化を受け入れ、尊重できるようになりたい。

 

 自国の文化を発信する強さと他者の文化を受け入れる柔軟性は、これからの社会で求められていくだろう。文化について考えることはアイデンティティの確立に役立つだけでなく、複雑化する国際社会での理解にもつながるのではないか。

 終

 

 編集後記

 考えてみたら、私の書いた作文はほとんどラオスネタ。