雑記帳

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ラオス研修 5日目 サヤブリ県病院

ラオス研修5日目 サヤブリ県病院2013.07.27

派遣国:ラオス 

 

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 ラオス研修5日目サヤブリ県病院
 
この日は、サヤブリ県で朝食です。到着したその日から思っていたことがあります。とにかくこの国はフランスパンがおいしいのです。それは、昔フランスの占領地だったからと聞きました。沖縄でどこかに残っているようにアメリカ文化が、世界のあちこち文化はは混ざっているのですね。
 まずこの日は、サヤブリ県病院へ行きました。今回もそこで働いている日本人の方を訪ねてです。バンを降りた瞬間から、そこにいる人の多さには圧倒されます。「えっ、こんなに病人がいるの?」はじめはそんな風にも思っていたのですが、話を聞いてみるとほとんどの人がお見舞いであることが判明。一人の患者さんに着き、十人くらいの家族が付き添うみたいです。

 

 

 

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 そのとき、日本が忘れてしまった「家族愛」がラオスにはある、というような話になったのですが、私は少し腑に落ちない……。私にも家族を思う気持ちはあります。実際、家族が入院したときは毎日のように私だって、お見舞いに行きました。少し話がずれているとは思うのですが、私は思います。この国は何かを何かを思う気持ちが形にしやすいのではないかと。日本は、形にしてあらわすことが難しくなってしまった。そう考えないと、私は納得できません。(屁理屈ですかね……)また、夜の振り返りの時間に聞いた話があります。それは「ラオス人は死ぬことが怖くない」という話。ビエンチャン、そしてルアンパバーンでも感じる仏教への信仰。それがとても強いからこその死生観なのでしょうか。お金持ちはそもそもラオスの病院には行かず、タイなど海外で先端医療を受けるが、そうでない人は静かに死を待つそうです。また、輪廻転生の考え方で死んだら次の人生に期待すると思うみたいです。私は死が怖いです。だから、仏教に惹かれラオスへの興味もそこから始まりました。でも、ラオス人はそうではない。どうしてそんな風に思えるのでしょうか?私が煩悩まみれなだけでしょうか?やっぱりラオス人が羨ましいです。その話を聞いてから、街中にあふれる寺を見る目が変わりました。日本とラオス。私がその両国の違いをひしひしと感じているのはまさに今です。発展の豊かさはどうにかなります。でも、思想的な豊かさはどうでしょうか。精神的に豊かになることは、もしかすると日本(特に私なのかな?)にとってとても難しい課題なのかもしれません。また、私がどこかで思想的な壁を感じてしまうように反対にラオス人も日本人に対して壁を感じているのかもしれません。3日目、4日目と同世代との交流を通じて少し英語力や通じることへの自信がもてた私ですが、問題はそんなところではないのかもしれません。本当に分かり合えるまでは時間がかかりそうです。それはどうですよね、文化も背負う歴史も全く違うのですから。そのことを再確認できただけでも、私にとっては大きな出来事でした。

 

 長くなりそうなので、いったんきります。