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きのこのこのこのこ

最近大学生になりました。南の島から東路の果てへお引越し

琉球八社を巡る②~末吉宮~

神社

 琉球八社を巡る①~波上宮~はこちら。

kinokonoko.hatenadiary.jp

 

 沖縄の信仰がおもしろい、その一心ではじまった琉球八社巡り。小さな神社は正月三が日しか開いていないと聞き、私は今年の正月に琉球八社巡りへ出かけた。その第二弾が末吉宮なのである。

 

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 末吉宮は、那覇市首里末吉町の末吉公園内にある。

 末吉公園はモノレールから見える鬱蒼とした森であり、親から「あんなところ一人で行っちゃダメよ」と口酸っぱく言われている危なげなスポットでもある。治安的にも何やらヤバそうだけれども、もっと怖いのが心霊。私の感覚でいうと、那覇文化財や古墓など都市開発できないような地に公園を建てている。恐ろしいことをするものだ。末吉公園はそうした意味でも足を踏み入れたことのない場所だった。

 

 しかし、一度足を踏み入れた末吉公園は那覇の中心に位置しているとは思えない風景に出会ってばかりだった。面白いものもたくさんあった。

 

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 末吉宮までの道のりはちょっとした山道。これが那覇だって信じられない。

 

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 この石碑を見落としていたら、あやうく辿りつけなかったかもしれない。近くを歩いていたご老人も右往左往。この石碑を目印に、すごく急な坂道を登ると見えてくるのが、この立派な石造りの本殿である。

 

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 ひゅー!格好いい。

境内は岩山をうまく利用しており、高い岩盤(本殿が建つ)と低い岩盤(祭殿を設く〉との間は小さい谷であり、この谷に石造りのアーチ橋をかけ、その上に更に石を積み、上方に拝殿を立てるという実に見事な技術で、素晴らしい景観を造り上げている。*1

 

 

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 これらの石は全て琉球石灰岩である。県外の神社とは違い、南国ちっくな沖縄の神社を構成しているのは、主にこいつなのかもしれない。

 

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 アーチ橋の下には瓦がゴロゴロ。こういうのって、何か歴史的に意味のあるガラクタのようにも思えて、持ち帰りたくなるのよね。

 

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  本殿は三間社流造で、向拝三間全体に三段の石段を設けて、廻縁に上るようになっている。全体の形様は琉球独特の情調を表し、形式手法などは室町時代中頃の特色で、創立当初の建立にかかわるものと云われている。*2

 

 用語整理

流造・・・屋根が反り、屋根が前に曲線上に長く伸びて向背になったもの。全国で最 も多い神社本殿形式である。 ex:下鴨神社

 

三間社流造・・・流造のなかでも、正面の柱間が三間(柱が四本)であること。

 

向背・・・社殿の屋根の中央が全面で出っ張っているところ。

 

室町時代中頃・・・1456年頃 第一尚氏王統六代の尚泰久王の時代。

 

 私もいまいち分からなかったから調べてみた。やっぱり知れば知る程面白いなー。室町時代中頃の建築様式が目の前にどどーんと建っているだけで、惚れ惚れしてしまう。

 琉球史を引っ張ってくると、末吉宮が建てられた尚泰久王の時代というのは島津の支配も受けてなかった。中継貿易で栄え、琉球はヨーロッパ人にもレキオとして知られるようになっていた。東南アジア・東アジア世界を舞台に大交易を繰り広げた琉球の気概を、首里王府が「万国津梁の鐘」の銘文として首里城正殿前の梵鐘に刻みこんだのも、末吉宮が建てられた数年後のことである。

 

 つまり、末吉宮琉球王国の最盛期ともいえる時代に建てられているのだ。しかも、その建築様式が現在まで保存されている。

 それってすごくロマン溢れることではないか!!

 

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 現在では本殿の前にこのような社務所も建っている。三が日限定で末吉宮の名が書かれたお守りも買える。この社務所もなかなか風情がある気がする。

 

 モノレール駅側から登ってくると気づかないが、このような鳥居もある。

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 末吉宮の森感がうまく表現できていると思う。末吉宮の存在を知らずにいたら、この鳥居にはビビっていたに違いない。那覇の真ん中で、鳥居の向こうは異世界観まである。

 それにしても、この鳥居が何となく引っかかる。反増がないし、丸材も用いられている。調べてみたところ神名鳥居に分類されるようだけど、あまり見かけない形だ。靖国鳥居とも似ているが、額束があるから違うだろう。一番似ているのが宗忠鳥居だ。初めて聞く名前だ。末吉宮黒住教と何か関連があるのだろうか。いや、吉田神社の祖霊社にも宗忠鳥居があるというし、奥が深すぎてもう訳が分かんない。

宗忠鳥居の特徴

 

 (1)反り増が無い

 (2)島木が無い

 (3)貫が柱から出ている

 (4)額束がある*3

 一説によると神社の鳥居は60ものの分類ができるようだ。しかも、一つの神社でいくつもの形式の違う鳥居があるところもある。

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例えば、同じ琉球八社でも天久宮の鳥居は名神鳥居。本当にバラバラだ。それでもそれぞれに意味がありそうだから、これも次回足を運んだ時、神主さんへ質問しなくては。

 

 末吉宮の外見ばかり書いてきたけれど、祀られている神様は以下のとおり。

主祭神 伊弉諾尊

    速玉男尊

    事解男命

別鎮斎 土祖神

    澳津彦命

    澳津姫命

末社  地神・荒神(宮の左手前脇洞中)*4

 

  琉球八社の特徴として、伊弉諾尊といった熊野三宮の神が祀られているのはもう分かった。注目すべき点は土祖神だ。

 

この末吉宮熊野権現のほかに、土祖神他二神が祀られていることは非常に重要で、この三神を以って古く三荒神と云われ、本来諸々の障碍の神で、清浄神聖な所にまつり和めるとご利益があるとされます。澳津彦命澳津姫命二神で、或いはこの三神で「竈神」又は俗に「火の神様」と云い、特に土祖神はその地域の守護神、田作りの神としても尊崇されました。*5

 昨年、受験の関係もあり土帝君について調べまくっていた私には見逃せない情報がてんこ盛り。まず、沖縄に土祖神っていたんだーということ。土祖神は道祖神の一種だというから、ここでも新しい発見をした。

 沖縄の土地神はほとんどが土地公の系譜をひいた土帝君だと思っていたけれど、どうやら認識が甘かったようだ。しかし、これでまた沖縄と日本本土のつながりが出来た気がする。土祖神を祀っている例をもっと集めてみたら、土帝君の分布図と何か比較もできるかもしれない。それどころか、何かの文献では那覇市首里末吉に土帝君があるとの報告までされていた。それは、この土祖神と混合しているのではないか。

 

 それに、気になるのは土祖神と澳津彦命澳津姫命二神で竈神という場合があるということ。前回の波上宮でも疑問にぶち当たったこの竈神。実態が少し見えてきたようでまた意味不明になってしまったよ。だって、ここで指している竈神は完全に日本本土の信仰のかまど神に見えるから!

 いや、それらはどちらも土着の信仰がスタートであるからして、その根源には何か普遍的なものがある可能性だってある。一概に色々分類してしまうのもまた危険だ。それでも面白いことには変わりない。ここから分かるのは少なくとも沖縄にとってはポピュラーなヒヌカン一つとっても、まだまだ未知の世界であるということだ。民間信仰はそんなもんと言ってしまえば終わりだけど、私はそこに面白さを感じる。

 

 さらに言ってしまえば末吉宮末社には荒神が祀られているし、ビジュル信仰もみられる。気になるポイントはいくらでもあるのだ。今は私の力不足で分からないことだらけだけど、だからこそ一つひとつのことに驚けるのだろう。少しづつでもしっかり学んで、その疑問を紐解いていきたい。

 

 長くなって飽きてきたから終わり!

 

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 末吉宮からは那覇一帯が見下ろせて気持ちいい。

*1:末吉宮略記より

*2:末吉宮略記より

*3:宗忠鳥居

*4:末吉宮略記より

*5:末吉宮略記より