雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

終わりの見えないしんどい

 

 久しぶりにブログを書く。

 中学、高校時代は呼吸困難になりそうになりながら、もがくために書いていたのに、大学に入ってからすっかり書かなくなったなぁと思っていた。

 第一志望の大学はとても楽しくて、民俗学文化人類学、宗教学、文学などなど、本当に自分が好きでたまらないものを思い切り学ぶことができる。今までは変人扱いされてたけど、ここではそんなことない。初めて思い切り語れる友達ができた。小さく、どこに行くにも飛行機が必要だった沖縄を出たことで、今まで見たことのないものにたくさん触れることができた。

 だから、もう書かなくても良いんだなって思っていた。大学生になって、昔のような書かなくちゃどうにかなっちゃいそうという衝動がなくなったのは、自分が満たされているからだと思っていた。

 

 でも、今書かなくちゃどうにかなっちゃいそうだし、とてもしんどい。

 何で自分がしんどいのか分からない。思えば、思春期を迎えた頃からずっとしんどい。中学高校は単純に学校が合ってなかったから、自分のしんどさは全部学校のせいにしていた。でも、大学になってもやっぱりしんどい時はしんどい。どうしてだ。

 

 特に11月末になるとダメだ。5年連続でダメになっている。ダメになっている、というのは、胸がわさわさして、とにかくしんどい以外の感情がなくて、他人の生活音さえも耳に刺さるし、集中力がない。頭がちゃんと動いていない気がする。でも、こうやって文章書いていられるくらいだからまだまだ大丈夫。しかも、12月もしばらく経った頃にはまたいつもの通りになる。本当にこれの繰り返し。

 

 伊達に生きづらさを生きてないから、いつまでもこの状況が続くわけじゃないことも分かっている。ある時、徐々にだけど「あれ、なんか大丈夫かも」っていう気持ちになっていく。いつものことだ。

 

 ただ、少しずつ生きづらさを生きるのが上手くなっている気がしていたから、今回ダウンしているのが悔しい。高校時代とは違い、しんどい時はしんどいって言えるようになった。(高校生の私は自分の感情にしんどいと名づけることさえ嫌だったのだ。だって、自分の感情はしんどいだけじゃなくて、本当はほんの少しの怠けとか甘えが入っているから。そこにしんどいって名づけちゃうと、しんどいの言葉の範疇から出た感情が零れ落ちちゃう気がしていたし、自分の感情は自分のものだから何一つこぼれ落としたくなかったのだ)

 頑張れない自分をクズ呼ばわりすることもできるだけ辞めた。自分がクズだとしてもそれを今さら掘り起こして自分自身にぶつけたところで、何も生まないから。睡眠だってちゃんと取っている。QOLをお金で買うことも覚えた。

 しかし、日々を有意義に過ごさないと自分の存在がなくなるような感覚はまだある。いつも何かに追われているような、頑張っても頑張っても自分は決して満足できないという感覚。

 

 11月末にダメになるのは、寒さとか日照時間とか色々あるんだろうけど、その一つの要因には忙しさが多分ある。文化系の部活に入っていた私はいつも11月が忙しい。今年だって、学園祭もあったし、介護等体験もあった、弾丸帰省もした、宗教学実習もあった。どっかで抜かないとダメになるなっていうのはずっと感じていたのにダメだった。本当はダメになっている暇などない。今だって、一か月以上ぶりの休日に片付けなくちゃならないレポートも課題もあった。何で私はいつもそんなに追われているのだろう。別に誰もそんな忙しさを私に求めていないのに。

 

 つまるところ、今回のことだって根は深い。問題は私が空白の時間を過ごせないことと、私は自分を許せないんだなっていうこと。そんなこと、ずっと前から知っていたように思うし、成長がないなぁって自分を責めだすとキリがない。こんなんで私は社会に出られるのだろうか。いや、真面目だから就職そのものはできると思う。ただ、その先もこうやってダメになっちゃう時期があるようでは、健康に働き続けることができるのだろうか。何より、ずっとこのままなんてしんどい。

 

 あーあ、全て思春期をこじらせているせいだと思っていたのに、そうじゃないみたいだ。だって、私はもう成人した。ずっと文学少女に憧れていたけれど、もう少女なんて言える年齢じゃない。尾山奈々も南条あやも越えてしまったし、もうすぐ高野悦子も越える。夭折した少女の日記を集めているだけで、私はきっとおばさんになる。でも、だからって生きづらくないわけじゃないし、中学高校にあった保健室みたいな優しい空間(しかし気持ち悪くてダメだった。今さらだけど考えてみれば私は保健室にさえ適応できなかったのか)があるわけじゃない。

 

 もう、本当に、どうしたら良いんだろうね。

 とにかく幸運なことに大学は推薦入試でしばらくお休みだから、それまで休んで回復したい。思いのままに文章を書いていたけど、私はやっぱり書くことが好きだわ。話すことよりもずっとずっと素直になれる。しんどいとしか書いてないけど、少し楽になった。

 

 それから最後に、尾山奈々は「惰性で生きたくないんです」って書いて自殺した。高校生の私は、それに深く共鳴した。でも、大学生になって一人暮らしをはじめて、惰性でも生きてるってすごいなって思った。本当にぼんやりだけど、電車で行き来している人たちも毎日ご飯作ってご飯食べて生活してるんだなって思ったら、ふいに思った。そう思った時に尾山奈々もあの頃の自分も小さく見えて、何か自分は大丈夫な気がしたんだ。

 

 だから自分は今回も多分大丈夫な気がする(大丈夫だといいな)