雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

はじめたこと、諦めたこと

 今日も何だか調子が悪く、美容室に行っただけで気分が悪くなってしまった。

 周りからは「病院に行ったら?」とも言われたりするんだけれど、病気とか病気じゃない以前にこういう体質だと思う。今までだってそうだったように、自分の弱いところをしっかり知って上手く付き合いたい。そしてそれが出来ているうちは、病院は良いかなぁと思う。今は人生つらいモードなので省エネで行こう。

 

 そうは言っても、今日もサークル行けなかったなぁなんて落ち込んでいると見つけた下のツイート。

 

 

 ああ、まさしく自分だって思った。

 興味の範囲が広いから、あれこれ手を出して限界を知る。時間が有限で、体も心も一つであることが惜しくてたまらない。でも、そんなんだからキャパオーバー起こして調子を崩す。大学生になってからようやく私も手放すことの大事さを知った気がする。

 ということで、大学生活において自分が始めたことと同時に諦めたことをまとめてみようと思う。言語化することでサークルに行けなかった今日の自分を慰められるかもしれないし。

 

 はじめたこと

・単位ゲッター

 私の所属している学科では、履修における規則が緩い。その為興味の赴くままにたくさん履修できてしまう。専攻の民俗学文化人類学、周辺領域の地理学や宗教学。趣味としての日本語学、日本文学。必修の英語と中国語と体育。そのほかにも資格の為の博物館学や道徳教育など、本来課せられる履修上限を取っ払ってもらったうえで今年は70単位履修している。

 単位ゲッターなので単位数だけ考えると、今年で卒業できちゃったりする。大学生活で頑張ったことなんて聞かれたら、多分真っ先に挙げられることは授業だろうなぁと思う。就活なんかでは課外活動の実績をよく聞かれるらしいし、私は専門を突き詰める以上に幅広くとっているので、あまり自慢できることじゃない気もするけれど。来年以降はさすがに自重して、専門の勉強に勤しみたい。そうは言っても、大学の楽しみ方の一つとして単位ゲッターは絶対にアリな選択だ。実際、色んな分野の授業を受ければ受ける程、自分の視点が広くなっていくのを感じてすごく楽しい。

 

・資格

 上の勉強と関連して、私はあり得ないほどの資格取得を目指している。国語教職(中高)、地歴教職(高校)、学芸員資格、社会教育主事資格、司書教諭資格。教育学部じゃないのに、これだけ資格を取ってどうするんだっていうくらい。資格状況だけみると「ブレている」という指摘も受けるけれど、どれも私の中でつながっているから何一つ諦めたくない。

 

・茶道

 サークルとして茶道をはじめた。理由はたくさんある。まず、日本文化にどっぷりつかってみたかった。私は沖縄出身で、大学進学を機にはじめて本土に来た。満開の桜や、ありえないほどの寒さ、黒いつゆのうどんなど、入学当初の私は見たことなかったものをたくさん目にして、半分留学生のような心持だった。だから、どうせ卒業したら沖縄に帰るかもしれないし、この4年間どっぷり日本文化に浸かってみたいと思ったのだ。

 それから、私の専攻は民俗学、特に精神文化に興味がある。信仰とか、死生観とか。茶道は禅の思想から来ているので、お稽古の時には禅語の掛け軸をかけたりするし、先生が解説してくれる。これが嬉しかった。大学での学びは文献資料中心だけど、教科書じゃできない学びもあると思っているから、サークルと授業とで上手くバランスとりたいと考えたのだ。

 似たような考えで、守破離の思想みたいなのにも惚れ惚れした。茶道では一応教本があるけど、先生の前でそれを出すと嫌な顔される。メモを取るのもやめた方が良いといわれる。あくまでも見て、実践して覚える。その考えって何とも日本的(東洋的?)だなぁと感じた。ひたすら漢詩を暗唱する寺子屋的な?大学という機関そのものは西洋から輸入されてきたシステムだし、ここでいっちょバランスとるかーなんて呑気なことも考えた。(しかし、後に見て学ぶ、体で覚える方法が自分に向いていないと気づく)

 あとは、定番だけどおしとやかになりたいとか、和菓子につられたりもした。

 

 実際茶道に入ってどうだったかっていうのは、また別の機会に書きたいけれど、私は茶道が向いていないと思う。同期の中で一番下手でよく注意を受けるし、実際今日みたいに行けないことも多い。今までやっていた部活は全部創作系(美術とか文芸とか放送とか)で、正直そっちの方が向いていたような気もする。でも、茶道が楽しいなって感じることも多い。人間関係も恵まれているので、何とか続けて居られる。茶道は奥が深すぎて、4年間続けても全く理解できないと思う。「茶道、ほんのちょっと齧りました」くらいにしか言えない。でも、それだけ文化の奥深さに触れられたっていうことだから、良いかなと思っている。

 

・旅行

 沖縄に居るときはあまり旅行できなかった。本土に来て見るもの全てが珍しくて楽しいから、どこにでも行ってしまう。小旅行みたいな感じで、東京散策も好き。

行ったところ(時系列・よく行く東京以外)

袋田の滝18きっぷの旅)

・水戸(偕楽園

・大洗(友人のお勧めスポットをまわった)

筑波山(初登山)

・横浜(友人を訪ねて)

・静岡(新聞部合宿・川でキャンプしたり、深海水族館に行ったり)

・中国(北京・上海・四川省)訪中団というプログラムで

・日光(弾丸一人旅)

・長野(スキー)

・愛知(友人宅で年越し)

・福島(雪の中の露天風呂に入りたかった・大内宿)

・北茨城(御船祭)

・岐阜(岐阜大仏に会いに)

・滋賀(日吉大社

・奈良(世界遺産巡り)

・京都(ぶらぶら一人旅&茶道合宿)

・タイ

秩父(宗教学実習)

 

諦めたこと

・大学新聞

 大学入学したての頃、サークルを掛け持ちしていた。その一つが大学新聞。文章を書く仕事をしてみたかったし、マスコミにも興味があったから入った。実際、理系の最先端の人から話を聞いたり、オリンピック強化選手と話をしたり、とても刺激的だった。でも、体育会系のノリと拘束時間が長いこと(別に強制じゃないんだけれども、頑張っている人が居る中で自分が休むことに罪悪感を抱いて無理だった)で辞めてしまった。体がもう一つあったらやりたかったことの一つだ。

 

・県人会

 全く行けていないのが沖縄県人会。たまには沖縄の人と話して思い切り訛りたいし、沖縄で就職も考えるなら情報交換の場にもなる。何より、同じバックグランドをもっている人たちってやっぱり強い。でも、学園祭の時にエイサーをするという話を聞いて、行かなくなっちゃった。リズム感がないので踊れないのだ。もったいないことしたと思う。

 

・(バリバリする)バイト

 大学一年の秋から冬にかけて飲食バイトをしていた。美味しいまかないもあったし、何より地元の人に愛されている老舗で、とても素敵な空間だった。そこで働けるのは嬉しかったんだけれども、忙しくてダメだった。授業の関係で入れるのは休日だけ。となると、一日13時間みたいなシフトになったりしてどんどんしんどくなった。お局様に気に入られなかったのも、悪口が蔓延していたのも辞めた理由の一つ。給料明細もなくて、自分の計算と給料が合わなくなった時、辞める決心をした。

 バイトで得たことは色々あるけど、その中で私はバイトができないんだなという発見があった。状況を見て動くということが苦手。いつも「もし、こうだったらどうしよう」という考えが先行して、自分の頭で考えられない(いや、考えてはいるんだ。考えすぎて動けないだけで)。何かする前には指導係のお局様に確認してしまう。そして怒られる。いわゆる使えない奴だ。これはショックだった。机に向かって黙々とやる勉強はわりかし得意だったから、自分は賢いと思っていた。でも賢さにも色々種類があって、私は飲食バイトが向いていなかった。

 今は大学周辺にある研究所での被験者バイト(自動運転の自動車を作る為に、電極を付けて単調なゲームをしたり、株取引きゲームをしたり)や大学見学に来た高校生に案内をする短期雇用、そして週一回個別教室で受験生に日本史を教えている。どれもあまり稼げないけれど、仕方ないかな。キャパオーバーを起こしている今、塾講も受け持ち生徒の受験が終わったら辞めたい。節約家の自分の中でバイトは限りなく優先順位が低く、何かあったらすぐ辞めたくなる。

 

あしなが育英会

 あしなが育英会奨学金を借りていた関係で、募金活動とか合宿とか色々活動があった。他大学の大学生と関わる良い機会だったし、社会活動としても興味があったから、はじめは喜々と参加していたけれど、これも忙しくてしんどくなっていった。あしなが育英会は、その理念が自分の考えとずれていたこともあって、退会した。経営理念に納得できない自分が借り続けることは、全国のあしながさんに失礼だと思ったから。

 最近になって、あしなが育英会の中で給付奨学金ができたらしい。それを聞いて退会したことを少し後悔した。

 

・学生団体・ボランティア

 本当はもっと外に出て活動したーい。高校生の時に参加した聞き書き甲子園でスタッフとして働いていた大学生に憧れていた。だから、関東の大学に進学した暁には学生団体で活動すると決めていた。でも、現実は厳しい。茨城から都内に行くだけで重くのしかかる交通費。自分のことだけで手いっぱいになってしまって、結局参加できずじまいに居る。

 ボランティアもそうだ。私は自分が言語通級に通っていたこともあり(滑舌が悪く、ラ行とダ行の区別がつけられなかった)聴覚障害に関心を持っている。春の文化人類学実習の授業でPC要約筆記の団体を調査対象としてことをきっかけに、PC要約筆記者として活動したいと思った。でも、この養成講座が授業と被っていることに心が折れ、これも実現できずにいる。手話通訳も同じ。

 

 

 

 

・書くこと

 正しくは公募マニア、かも。前のブログでも書いたように高校生の頃はアホ程書いていたのに、書かなくなった。でも、こうやって書いていると気持ちがどんどん整理されていくのを感じるから、私にとってやっぱり書くという行為は手放したらいけないものなのかもしれない。そして、今も前と変わらず好きな人、お世話になった人には手紙を出すようにしているし、こうしてブログを書いているんだから諦めたとはまた少し違うのかもしれない。

 

 

 まとめてみたら、はじめたことより諦めたことの方がずっと多い。諦めたことに悔いがないというと嘘になるけれど、それ以上に選んだもので得たものもあるから仕方ないのかもしれない。