雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

書くってどういうこと何だろう

 

 どうやら今日は書きたくてたまらない日のようだ。

 何かをひたすらに書きたいという欲求は、懐かしく感じる。一方で、私は何で大学生になってから書かなくなっちゃったんだろうとか、自分の気分が落ち込んでいる時に書きたくなるって何だか皮肉だなぁとか考えていた。

 

 そして思う、書くって私にとってどういうことだろうと。

 

 物心ついてからは書くことが好きだった。誰に頼まれるまでもなく、壁新聞を発行したり絵本を描いたりして遊んでいた小学生時代。ブロックメモを持ち歩き、いつでもどこでも書いていた中学生時代。そして、公募マニアとして数々のコンテストに出品して、世界を広げた高校生時代。

 私はあまり要領がよくないので、書くことが自分の気持ちを整理する手段でもあった。話すより、書く方がずっとずっと得意で、本好きの名と共に自分の学校での立ち位置を作ってくれていたようにも思う。そして結果として、公募マニア(副賞と東京に行ける表彰式目当てだった)として活動していたことが大学受験でも役に立った。こうして書いてみると、私は書くことにずっと救われてきたなと思う。

 

 私が何で書かなくなったのか。多分、今は救われる必要がないから、なのかもしれない。書かなくなった日々は書いていた日々よりずっと楽だ。授業中、誰も私のことなんていじめてないのに、ひたすらつらくなってトイレに逃げる日々は終わった。国語便覧でどれだけの文豪が自殺しているか数えて呆然とする日も、数学のテストが出来な過ぎて全ての解答欄に短歌をつづった日も全て過去のことだ。世界史の授業でどっかの国で起きた内戦の話を聞いただけで気分が悪くなるような、感受性の強い自分はどこへ行ったのか。

 

 別に今だって完全に書いていないわけじゃない。大学では人文系学部に属しているので、結構な文字数のレポートが頻繁に課されている。憧れの国語の先生がいたから、国語教育にあまり関係ない専攻なのに、国語教職を取っている。ツイッターでも相変わらずよく呟いている。でも、あの頃とは何かが違う。

 

 あの頃と今、重要な違いは、現在私の文章を読んでくれる国語の先生がいないことだ。高校時代、国語の先生はいつも私の一番の読者で居てくれた。国語の誤答ノートに有島武郎の自殺理由を書き連ねてみれば、先生も3ページ越えで感想を寄こしてくれた。今思えば先生の本来やるべき仕事量を超えたお願いばかりしていたのに、いつも嫌な顔一つしなかった。ある小論文コンテストで入賞した際、表彰式という名目で行った鎌倉旅行や太宰府天満宮、高校が閉門する20時まで粘って書いていたこと、私の高校生活は孤独であったように思っていたけれど、いつも先生が見守ってくれていた。

 

 そして、あの頃の私は自分では抱えられないほどの自己顕示欲を持っていた。容姿が良いわけでもなければ、運動ができるわけでも、リーダーシップを発揮するわけでもない私が自分を表現する術は書く以外なかった。中学、高校にかけて思っていた、特別でありたいという考えがなくなったのは、いつの頃だったのだろうか。

 

 沖縄を離れたのも大きかったと思う。今でも沖縄に帰ると書きたくなる。大好きな沖縄の景色や民俗、一方で現実に引き戻されるような数々の暗い事情。数年後に迫った就職をどこでするのか、という問題とも重なって、沖縄は私の問題意識である。

 別に今住んでいる茨城が嫌いなわけじゃない。学園都市は学生にとってすごく住みやすい。ほとんどの学生が大学の周りに住んでいるから、夜遅くまで飲んだり遊んだり。大学を卒業してもこの生活が惜しくなると思うし、ああ青春だったなぁなんて思う未来が想像できる。でも、沖縄みたいに土地を愛して、土地に好かれている感覚はない。今は上手く言語化できないけれど、うちなーんちゅアイデンティティと絡んで、これもまた私の書きたい欲を大いに刺激してくれていたんだと思う。

 

 要するに今の私は、読んでくれる読者も居なければ、社会に向かって大声を放つ必要性もなく、仮住まいの見知らぬ土地でブログを書くくらいしか手段がないのだ。そりゃあ書かなくなる。今だって、11月末恒例のどっかーんと心が沈んでいるから書きたくなっただけなのかもしれない。

 

 でも、正直、少し楽になったよねと思う。結論も見えずにこうやってダラダラと書いてて思ったことだけど、社会的要因とか欲求不満とかからではなく、書きたいから書く。それってすごく楽だ。

 上に書いたように私は高校時代、公募マニアだった。自分でも言っちゃうけど、結構凄かったので全国最優秀賞もバンバン取っちゃって、コンテストで賞を取る為の文章を着々と製造する職人みたいだった。それはそれで、副賞が欲しいとか、スパルタ学校になじめなかったけど別に落ちこぼれじゃないんだぞアピールがしたかったとか、色んな欲が隠れていて、それが今につながっている。当時はあの学校で生き残る大切な手段だった。でも、評価される文章を書く為に自分が好きだったことを忘れていたとするならとても寂しい。

 

 別に救われようとして書かなくてもいいじゃん。着地点が見えないまま書き連ねて、その結果首尾一貫してなくても、ここはブログだから誰も何も言わない。気楽にまた好きに書けたりしたらいいなって、大学二年の秋にようやく思った。

 

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