きのこのこの雑記帳

最近大学生になりました。南の島から東路の果てへお引越し

沖縄戦を伝え続けていくべき理由、を自分にも問いかける

 写真は実家近くの海。小学生、中学生の頃、よく通って本を読んでいた。海は私の原風景で、やっぱりそこでも自分の中で沖縄というキーワードを感じる。

 

 このずっと放置していたこのブログは、私の中の書くことが好きっていう気持ちを大切にするための場所にしようと数日前に決めた。だから、できるだけどうでもいい話題を書こうって思っていた。ダラダラと思いのままに書く為に。でも、次のブログを読んでしまった。

 

 

yuka-s.hateblo.jp

 

 一つ下の大学生のブログ。沖縄から関東の大学に進学していること、それから彼女も高校一年生の時に県のプログラムでラオスに行っていること(私は1期で彼女は2期にあたるだろう、多分)というところに共通点を感じて、ぐっと惹かれた。

 

 分かる、ラオス研修ってやっぱり衝撃的だった。一方で沖縄との共通点もたくさん見つかった。私たちの代もやっぱり不発弾被害者の為のリハビリセンターに行って、お互いのモヤモヤをたくさん話していた。

 

 (下は当時の日記)

 

kinokonoko.hatenadiary.jp

 

kinokonoko.hatenadiary.jp

 

 ラオスからの帰国後、私の場合は自分の足元を知りたいと思った。そして沖縄の文化に惚れ込んだ。沖縄の土地神、土帝君(とぅーてぃーくん)もその一つ。土帝君について調べているときも、やっぱり戦争による断絶を目の当たりにもした。私は現代沖縄の土帝君について関心があったから、沖縄の各市町村にFAXで質問状を出した。その結果は様々だったけれども、中でも基地のある町からの回答が忘れられない。

 「土帝君は現在も基地の中にあって、調査不可能。住民は住む場所だけではなく、心の拠り所も失ったんです」

 基地のある町だけじゃない。土帝君が沖縄戦で破壊されて、その後復興されていない地域はたくさんある。住民がその土地神をもう必要としていなかったと考えたらそれまでだけれども、そこにも文化の断絶が確かにある。

 

 私は沖縄の人がどのような生活をしているかに興味があって、現在、関東の大学で民俗学を学んでいる。それに加えて、国語の教員免許や地歴の教員免許、学芸員資格の取得も目指している。

 将来はまだ分からないけれど、なんとなく教育に関心がある。でも、学校教育ではないはず。もっと広い意味での教育。いや、教育は与えられるものっていう意味をはらんでいて、それは政治的なものから抜け出せないと思っているから、教育という言葉は相応しくないかもしれない。自分の興味に近いことをいうと、学習支援という言葉が良いかも。思えば、この広い意味での教育に対する興味も、なんとなく取った生涯学習論で芽生えたものだった。そこらへんは全然まとまっていないけれど、沖縄で教育に携わるなら、やっぱりタイトルの質問に対する答えを自分なりにも持っていたい。

 

 ずっと沖縄について知ることが大切だと思ってきたし、知りたい欲求のままここまで来た。知ることと同時に伝えることも大事だって思ってた。高校時代公募マニアをしていた時も散々そういうことを小論文に書いていた。でも、知ってどうする?伝えるってどのように?何のために?

 だって、伝えるということにはどうしても主観が入る。伝えるにあたって、自分の立場が求められる点はたくさんあるはずだ。この立場っていうのは、例えば、米軍基地反対か賛成かっていうような二元論じゃない。自分がどういうバックグラウンドをもって、どういう経験や本を読んで、どういう考えを形成してきたのか。そして、どういう点で迷い、結論が出ていないのか。この空白の部分までしっかりと把握していることだと思う。

 

 ここで、自分はもっと学ぶべきとか、自覚しながら日々を過ごすって書いて締めると、あまりに公募マニアしてた頃と成長がない。もちろん、知ることに終わりはないんだけれども、知った先を見据えてみたい。

 

 先週、大学の民俗学の授業で米軍基地の問題と民俗学を絡めた話を聞いた。戦争で破壊された門中墓を戦後復興においてどのように再建したか、というトピックと、突如返還された西原飛行場の利用についてのトピック。後者の方では返還された地域の聖地がどうなっているか、ということにも言及された。これは土帝君でも感じた問題だったからすごく興味深かった。

 沖縄の問題は経済とか政治的価値について語られがちで、そこの人の感情とかリアリティみたいなものがいつもそぎ落とされているように感じる。でも、上の講義では民衆の感情史みたいなものを論理的に数値も用いながら語っていて、私の中でこれだ!という感覚があった。今大学で学んでいることがどこにどうつながるか分からなくなって不安に駆られることもあるけれど、私は今まで見えなかったものを適切に論理的に言語化できるような人になりたいなと思う。その為にはスキルが要るから、今それを学んでいるのだと思う。

 

 (まぁ、実際の私は自分じゃどうにもならないような感情の起伏に振り回されたかと思えば、体調を崩したりと踏んだり蹴ったりだし、今も課題を溜めちゃっているんですけれどね。)

 

 

 沖縄戦を伝えていくべき理由、それは悲惨さを繰り返さない為だとか色々あるけれど、私的に今思うのは次のようなこと。(それも理由の一つに過ぎないんだけれども)自分が自分を語り続けるため。

 

 沖縄の人にとって、やっぱり沖縄戦というのは自分の中に染み付いたものだと思う。(これは私が戦跡が多い南部出身だったり、祖父母が戦争体験者だというのも大きい、かも)自分の地域で不発弾が見つかった思い出、高校の通学路には異様な雰囲気のガマがあったということ、そういうものがあったということそのものも、それを自分はどう思い見ていたのかという感情の面も、紛れもない事実である。しかも、それって自分がどう感じていたか、という一世代の問題じゃない。自分の祖父や母がどう見てたか、ということも自己形成に大きく関わってくる。そういうことをしっかり言葉にして、認識するということは、自分を捉え直すことにもなると思う。そして、次の世代にもちゃんと伝えることは、次の世代の自己形成にもつながる。(うーん、うまく言葉にできているか不安だ。)

 

 うちの祖母は戦争体験についてあまり語りがたらない。でも、それじゃあ戦争の記憶は継承できないんじゃないと怒ることは絶対にしてはならないと思う。それも記憶や経験そのものも祖母のものだから。それ以上に、祖母が何故語らないのか、語らないということの情報がもつ意味の方が大きい。

 祖母が言うことをかき集めたうえでの推測なんだけれど、祖母は裕福な育ちで戦争の時は台湾に疎開をしていた。台湾での暮らしは貧しかったらしいんだけれど、そこは語らないからよく知らない。でも、「私の戦争体験は一般的じゃない」という点において引け目みたいなのを感じるときがある。その時私は語らないことこそが祖母の抱えたものを雄弁に語っているように思う。

 

 私ができること、伝え続けるべきことは、祖母が語らなかったという記憶を伝えることだと思う。祖母が語らない姿は私の目にどのように写ったのか、という内省も含みつつ。

 

 うえの方に私は広い意味での教育に関心があると書いたけれど、私は郷土教育や社会教育に関心があって、子供だけじゃない広い立場の人が自分の足元を知り(沖縄の文化や記憶とか)自分を語ることを手助けしたいのかもしれない。そして、その語り自体も記録して、一次資料として伝えたい。

 

 ここまでつらつらと書いてきて、私が自語りが好きであることはバレバレだけれども、私は人のライフヒストリーを読むのも大好きだ。

 沖縄について(いや、沖縄という土地にしばられずにも)政治や経済で語られてリアリティを失う、当事者を軽視した議論になることが多いのは、やっぱり自分語りが上手くいっていない、伝わらない自分語りになっているからじゃないか、とさえ思う。自分語りは主観的なもので、政治や経済は数値で表せるという問題も大きい。

 

 もちろん、当事者意識をみんなに持ってもらうというのはかなり難しい。沖縄に居るとき、私は東日本大震災原発についてあまりよく知らなかった。それが北関東に越してきて、周りの同級生が「震災の時は~」なんて気軽に話しているのに驚いた。震災というワードが当事者性をもって語られていたから。茨城には東海原発があるし、うちの大学は全国各地から学生が集まっていることもあって、原発の問題も他人事ではない。そこに来てようやく私は当事者意識を少しだけもつようになった。でも、今住んでいる学園都市は仮住まいのつもりでもあるから、当事者意識は当事者とは比べ物にならないと思う。(このことについては長くなるからまた今度、書きたくなったら書く)

 

 あんまりまとまらくなってきたから、そろそろ終わりたい。

 

 私は伝えないことで、そこにあったものがなかったことにされることが怖いのだ。戦争体験者の高齢化、沖縄戦の当事者が減ることは時の流れとして当たり前のことである。でも、同じ「ない」でも、そういうことがあったと知っているうえで失われて「ない」のと、もともとそういうことが「なかった」とされるのでは全く意味が違う。これは文化に対してもそうだ。失われていくものを止めることはできないかもしれないけれど、そういうものがあったことを記録することはとても大切だと思う。

 

 そうやって考えてみるとやっぱり今の自分が、沖縄南部の田舎で育って関東に来た自分が、何をどう考えているかをこうやってちゃんと言葉にすることも大事だし、私のやりたいことって多分そこからなんじゃないかなと思った。

 

 うーん、大きなテーマを語りすぎた。大層でもないことをつらつらと書いたから、これを電子の海に投げるのは勇気がいる。(深夜だから許して)

 

 ちなみに、平和について中学生の頃に書いたものがブログに落ちてたので、貼る。拙いし、公募マニアの片鱗も見せていて恥ずかしいけれど、自分の根っこみたいなものも感じた(今から5年前(!))

 

kinokonoko.hatenadiary.jp

 

 因みに直接コメントで書く勇気がないので、ここで書いちゃうけれど、このブログを書くきっかけをくれたゆかさん(最初に引用したブログの彼女)とは、共通点を感じることがあって、ラオス話もしたくなったし、折角同じ関東にいるんだから、会って話す機会があったらな、と思いました。