雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

成人式なんて行かなきゃ良かった、でも底に残った救いがあった

 

 1月7日成人式があった。

 私の家には従兄弟の成人式に合わせて購入した振袖が用意されていて、母は私がそれを着るのを楽しみにしていた。沖縄県南部の田舎。成人式に行かないという選択肢はなかった。

 別に成人式に行くこともまんざらでもなかった。でも、それは、私が大学で自分の居心地の良い関係に慣れていただけなんだろう。

 

 朝8時、予約していた美容室の扉を開けると、そこには懐かしい同級生の顔。そして言われた、「はーきのこやっし、うける」の言葉。その瞬間、中学生活の全てが蘇ってきた。何がうけるんだ。人の顔見てうけるとは何事だ。そもそも、「久しぶりー!」とか「あけおめー!」といった挨拶が先じゃないのか。

 あまりの事態に頭が動かなくて、苦笑いでやり過ごす。そう、これが中学生までの私の常套手段だった。何でだろう、何がいけないんだろう。私は地元の同級生が苦手だ。乱暴だとか、下品だとか、ここで書く言葉ではいくらでも攻撃できるけれど、そういうことじゃないと思う。馬鹿にしている、とも少し違う。だって、その場所は私がかつて居た場所であり、彼らが話す「やっし」とか「しに」とかいう方言は私にも馴染んだ言葉なのだから。

 

 中学校、私はそこで馬鹿にされていた。教室の端っこに居る、ダサいやつだったと思う。いつもなんか言っている、と思われていただろうし、卒業と同時に忘れられていたかもしれない。運動神経が悪くて、体育の時間には「うける」とか「かわいい」とか言われていた。いじられキャラと言われながら、私の筆箱でキャッチボールしてた同級生が居た。双子の弟の名前で私を呼び、女子トイレに入れてくれない奴がいた。そして、私はそういう諸々のことに対して、全て苦笑いでやり過ごしていた。

 

 成人式に行った時、全ての感覚が私を襲う。忘れていた感情、猛烈な怒り。美しい振袖で着飾っているはずなのに、自分がとてもみすぼらしく思えた。

 

 中学の自分が諸々の嫌なことを苦笑いで済ませていたこと。これは高校でも変わっていない。疑問を抱くこと、自分の頭で考えて感じることを許さなかったあの偏差値主義高校で、私は苦しんでいた。眠れなかったし、食べられなかった。いつも胃が痛くて、心が重かった。毎朝起きて、朝が来たことに絶望した。でも心の端で、偏差値ゾンビになっていないことを誇りに思っていた。それなのに、時々しんどくなって保健室に逃げ込む自分を「クズ」とか「豆腐メンタル」と自称した。友人もそれに笑って同調していた。というか、友人にそう言われていた気がする。別に自分自身は「クズ」とも「豆腐メンタル」とも思っていないのに。自分で自分を貶めた。これは他者から自分を貶められるよりも痛いことである。

 

 沖縄の田舎に住んでいた頃の私は、みんな皆憎かった。でも、そんなことを苦笑いや自虐で誤魔化して、それが処世術だって、言い聞かせている自分が一番憎かった。死んでしまえっていつも自分に言い聞かせていた。

 

 

 成人式なんて行かなきゃ良かった。あんな激しくて、しんどい感情、成人式に行かなければ思い出すこともなかったのに。

 

 でも、底に残っていた救いもある。

 小学校来の友人が一緒に成人式に参加してくれたこと。彼女は中学校から私立に行っている上、今では引っ越していて、成人式に参加する予定もなかった。それなのに、成人式におびえる私と一緒に式典に参加してくれた。本当に彼女が居なかったら、成人式が終わるまで持たなかったかもしれない。本当にありがとう。

 高校の友人も駆け付けてくれた。彼女は彼女の自治体で成人式に参加した後、私の家で写真を撮った。嬉しかったよ。二人で振袖の写真を撮っている時は、自分が綺麗に思えた。成人式の会場でしゅんとしていた着物と同じものとは思えなかった。

 

 この二人の友人が居ること、それは私の自信になっている。中学校はおろか、高校にも友人がほとんど居ない私だけれども、そういうわずかな友人に支えられてたから、卒業できたんだ。

 それに、もう私は二十歳である。自分の自由は自分で選択できる。彼らの価値観になんて計られてたまるか。自分のために私は生きるし、もう絶対自分で自分を貶めるなんてことしたくない。

 

 ただ、沖縄が私の問題意識の核で、大学でも沖縄のことを勉強しているのに、沖縄(地元)に馴染めないというのは、大変皮肉だなぁと思う。沖縄のことを全部まとめて好きだと言えない気持ちには、多分そこらへんの恨みもある。

 

 そして最後に、こうした気持ちを言語化できるようになったこと。かつての同級生が見るかもしれないブログに書いてしまえること、それは今大学という居場所があるから。今やっていることが楽しいと思えるから、あの時を乗り越えて良かったと思える。今、関わっている人たちが私のことをバカにせず、「変人(笑)」とか「やばい(笑)」と揶揄しないから、私は自分に誇りを持とうって思えるのだろう。そう気づけたことも、底に残った救いだ。