きのこのこの雑記帳

どきどき台湾留学2018.9.1~ 沖縄と民俗と言葉と本と

留学日記 9月15日 サークル新歓

 

 今日は新入生向けのサークル新歓だった。台湾大学にはたくさんのサークルがある。そして、そうしたサークルがあの手この手で新入部員を勧誘している姿は日本と変わらない。留学生である私も、何かしらのサークルに入りたくて、大学に繰り出していった。

 

 気づいたことは、サークル新歓のうち宗教団体が絡んでいるものが多いということ。言葉が不自由な留学生ということもあって、親切に教えてくれるのは宗教関係の人たちだった。中には留学生と一緒に文化体験をしながら中国語を教えるサークル、なんてあって、良いなって思った。宗教は歴史的にマイノリティや社会的弱者の救いになっているということを感じつつ、私もここではマイノリティだし社会的弱者なんだということも感じさせられた。というものの、宗教が絡んでいないらしいサークルは留学生歓迎ムードではなかったからだ。なかなか英語で説明してもらえなかったり、中には「今学期は募集していない」って言われたり。まぁ、そうだよね。サークルは課外活動をする場であって、言語習得のために使われる場ではないわけで、手取り足取り英語で説明されるのが当たり前ではないんだよね。

 

 宗教というと面倒くさいもののように扱われる日本だけれども、お隣台湾ではそうではないのか。確かに、街にはベジタリアンフード素食のお店が溢れているし、大学近くにキリスト教関係の本を専門に扱う書店もあった。台湾原住民族にはキリスト教を信じている人も多いという話も聞いたくらいだ。生活している分には日本との共通点が目立つけれど、そういう心の部分になると表面的な観察だけでは分からないものだなあと感じる。

 

 もう一つ、面白いなって感じたのは一緒にまわっていた友達(日本人)が、宗教サークルからの勧誘に食傷気味だったことだ。どうして宗教ってだけでそんなに拒否反応起こすんだろう、なんて宗教社会学の授業を思い出していた。それも一つの宗教的な立場だ。

 友達はうんざりしたように、「あれもこれも宗教やん」って言っていて、周りを見渡すと「聖書研究会、ヨガ、東洋医学太極拳、もろもろのボランティア」確かに宗教色を感じると言えば、宗教色を感じるものばかりだなあと思った。

 

 でも私が日本の大学で所属していた茶道サークルだって、宗教色を感じることはあった。お稽古の前に円になって暗唱するのは禅の教えだし、先生がもってきてくれる掛け軸は禅語。時には禅問答みたいな問いを投げかけられたりして。お点前のお清めや、一つ一つの作法には、ケガレのような神道に通じるものだってあった。文化を知ろうとする上で、宗教は切り離せないものだ。(ちなみに、茶道サークルの新歓では「宗教っぽいけど、全然そんなことないからね、大丈夫だからね」と宗教性を隠すようなことを言っていた。)

 

 私自身は大学で宗教の授業を好んで取るくらいには、宗教に関心がある。大学の授業で宿坊したり、御祈祷を受けたり、三峰山を登ったりした。台湾でだって、思想と関わっている太極拳をやってみたいし、留学の目的の一つは道教寺院を巡ることだ。言葉がもう少しうまくなったら、占いにも行こうと決めている。去年の夏には宗教施設を巡るタイ旅行もしたっけな。あれは良かった。台湾のモスクも教会も行きたい。私自身は特定の宗教を信じているわけではないけれども、自分が理解できないことの答えを未知なるものに求めることはある。近代科学の物差しで測れないものがそこにはあると考えているからこそ、私自身も自分の宗教体験を重ねたいし、その経験は自分を豊かなものにすると思う。それに、特定の信仰を持っている人達、彼らが見て居る世界を少しだけでも理解したいという思いがある。ただ、私が宗教に興味を持って、宗教と、それを信じるに敬意を払いたいと思うように、宗教を嫌気する人に対しても敬意を払いたい。

 

 でも、私が大切だと思うもの、親切にしてくれた人をそんなに嫌忌されると、複雑な気持ちにもなる。私の立場を説明しようと思うものの、うまく伝わらなくて少し嫌な空気になってしまった。これまで彼女とそういう空気になったことはなかったのに。ああこれだから宗教の話はタブーなんだ。私自身は何か特定の信仰をもっているわけじゃないから、どう説明したらいいか分からない。私自身、興味でのぞくことが彼らの大切にしたいものを踏みにじっていないか、不安になる。

 

 ただ、生活しながら、時々ハッとするような気づきを得られること。同じ日本人留学生の中での多様性を感じられること。もちろん、時にはそれによって疲弊することもあるし、頭の中でもやもやぐるぐるするんだけれども、私はそういうことも求めていたんじゃないかって思う。台湾に来て2週間、私はもう既に今までの私が見られなかったものを見ているのではないか。

 

 サークル、どうしようかなあ。

 宗教について色々書いてきたけれども、やっぱり特定の信仰を持っていない以上、サークルの単位で密にコミットすることは難しそう。教会のイベントみたいなのには気軽に行けるけれど、どこまでが入っていいものなのか。運動が得意な友達、音楽ができる友達は早々に入るサークルを決めたみたいで、正直羨ましい。芸術と運動に言葉は要らないからだ。趣味:読書、文章を書くことである私はだいぶ日本語に頼って生きてきたんだな、という発見。日台交流サークルに入ることは決定事項、気になるサークルは茶芸、文通、珈琲研究会。ただし、いっそ他のサークルに入らないもの選択肢の一つ。

 

 それにしても今日は一日社会と何となくかみ合わない日だった。友達の言葉を借りると、チューニングがあってないようだ。昨日はとても充実していたのに、調子は上がったり下がったり。体がふわふわして、息が深く吸い込めない、なんとなく息苦しい、胸の方がざわざわする。これらは私の黄色信号なので、ゆったりしよう。そういう日もあるさ。異文化で生活することがストレスになっていないはずはない。身体の声にちゃんと耳を傾けること、それは一年間私が健やかに生活するための必須事項である。今日で台湾に来て2週間。これまで2週間程度の海外研修にはよく参加していたけれど、ここから先の海外生活は未知の世界だ。