雑記帳

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留学日記11月11日 21歳になりました

 

 昨日私は21歳になった。
 21歳、それは私にとって二十歳の成人より重い響きを持っていた。

 

 中学の授業で「その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」という与謝野晶子の歌を習った。先生はこの歌を私たちに教えるとき、女性にとって二十歳は人生で最も美しい時期であるというような説明をした。(たぶん)そして14の私はぼーっと、そうなんだなあという風に聞き流していたと思う。

 

 

 私が高校生の時(そして多分今も)女子高生のことをJKといい、高校三年生のことをLJKと言った。LJKとは最後の女子高生という意味で、「もうLJKだよ、やば~い」みたいな使い方をした。LJKという言葉は、自分自身の価値が女子高生であることにおかれていることを私に染み込ませるのに十分であった。
 多分、このことは私が援交とかいう言葉が流行った1990年代くらいからずっと続くことなんだろう。


 それこそリアルJK時代、私がずっと読み続けた南条あやの日記。南条あやにも「現役女子高生」というキャッチコピーがついていて、彼女自身自分の市場価値は「女子高生であること」にあると考えていた節があったようだ。そして実際、女子高生であるぎりぎりの日、3月30日に彼女は自殺した。そんな彼女の日記を「卒業式まで死にません」という題名で出版した出版社には怒りを感じる。たとえ、それが彼女の口癖だったとしても。

 

 21歳になったことで、自分が思春期の頃に陶酔していた日記の作者、夭折した詩人の年齢をまた一人越えてしまった。「孤独であること、一人であること、これが私の二十歳の原点である」と言った高野悦子もその一人で、私は彼女がなれなかった21歳になった。南条あやは3つも下。尾山奈々なんて6つ下だ。どんどん、遠くなる。

 最近、10代の頃に響いた作品が自分に響かなくなっていることに衝撃を受けている。まだ21だけど、もう思春期ではない。21はまだまだ若いと言われるけれど、それでも若さは私の手から刻一刻と離れようとしている。

 

 そういう意味でも21歳になるのは、意味をもっていた。「14歳からの○○シリーズ」「13歳のハローワーク」「17歳のカルテ」(私の大好きな映画ね)「二十歳の原点」とか、本の題名になったり、文学作品の中にとられるのは、二十歳までで、21歳から上は聞いたことがない。
 同年代の有名人が「10代の」「20歳の」という冠言葉がついて紹介される度、凡人のまま21歳になってしまったらどうなるんだろうという恐怖が、確かにあった。

 

 


 20歳の誕生日にはやたらと浮かれて、母のお金でしこたま飲んで、父の元同僚とお客さんに祝ってもらった。(そして、マーライオンしながらつくばに帰った)けれど、21歳の誕生日は、それはそれは穏やかだった。海外で誕生日を迎えるのは二回目だけど、海外生活の中で誕生日を迎えるのは初めてだった。


 11月11日になった瞬間、友達からのメッセージに返信して、母親にLINEギフトでハーゲンダッツを贈った。こうやって母親にプレゼントするのは、二十歳の誕生日の時から二回目。そして、爪を自分の好きな色に塗った。秋だからマッドな感じにしたくって、ベースとマニキュアを何度も重ねて塗った。


 翌日起きてからも幸福だった。うどんがどうしても食べたくて、西門の丸亀製麺までわざわざ出かけた。でもそうして食べたうどんは、「日本風」ではない、日本の、私が求めていた味とコシだった。そのあとは、薬局でフェイスマスクを買った。台湾の強い日差しに私の顔面は限界だったのだ。普段、メイクをしないからこそ、少しくらいスキンケアしなくてはと思った。ジュンク堂に行って日本の本も買った。台湾のことをもっと好きになれるような、タイポグラフの本と台湾の甘味についての本。それから、『イグアナの娘』ずっと読みたいと思っていた。そして読んでちょっと泣いた。すごい作品だ。夜は友達と一緒にはま寿司でお寿司と梅酒をたくさん食べた。酔っぱらった勢いで秋物のスカートとシャツも買った。


 穏やかで、幸福感に満ちていた。友達にたくさん祝ってもらったりもしたけれど、それ以上に、自分で自分を祝福している感覚があった。
 もう二十歳じゃないけれど、私はじぶんで自分を幸福にするし、魅力的な女性になろうと思った。「二十歳」とか若さをもてはやす誰かではなく、私の価値は私がわかっていれば良い。(もちろん、私の好きな人、大切な人が私に価値を見いだしてくれたら、たまらなくうれしい)

 

 私はどんどん大人になっていく。
 若さは確かに美しさになり得るけれど、年を重ねる美しさもある。私はそういう大人をたくさん知っている。だからきっと、大丈夫。
 
 だから、私の21歳の目標は、「今の自分に響くものにたくさん触れること」

 今この瞬間に響くものをたくさん拾い集めること、それが21歳の美しさになると思うから。もちろんこの目標には、あんなに多感で、あんなにしんどかった思春期の終焉に対する焦りも含まれている。でも、あの頃の自分に響かなかったような作品が、今の自分に響くから、きっとそれでいいのだ。むしろ、時代じだいでそうやって自分に響く作品があるということが、幸福なことであり、豊かなことだと思う。

 21歳は台湾で過ごす年である。22歳になるころ、私は留学を終えているし、もしかしたら進路も確定しているかもしれない。大事な一年、貴重な一年、というと自分自身でもにわかに緊張する。でも、そういうことよりどこに居ても変わらないこと、たとえば自分の声を大切にすることとか、心身ともに健康であること(これが結構難しい)とか、そういうことに気合いを入れていきたい。あと、猫背を直すこと!