雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

留学日記2月20日 台湾留学2期目。やっぱり好きです、台湾

 

 

 ブログ、またご無沙汰してしまった。

 前回の記事を書いたあと、無事に風邪は治り、台北101の前でド派手な年越しを体験し、テストに追われながらも単位を全て拾い、楽しみにしていた筑波&沖縄への一時帰国を果たした。

 楽しいと時が過ぎるのはあっという間で、日常に流されているうちにもう2月も下旬だ。

 言語化していないだけで、毎週のように映画を観、本を読み、素敵な人達と話し、旅行に行っている。それは私の中で確かに積もっており、わたしを更新し続けているのだが、言語化しないということは、その蓄積がなんとも抽象的で心もとない気分にもなる。

 そういうことで今日は日記を書くよ。

 

 

 

 いつものように思うまま日記を書いたら、4000字とか到達しちゃって、途中でダレてくるので、制限時間を決める。制限時間は洗濯機と乾燥機が止まるまで。そう、こんな深夜だけれど私は洗濯している。何故なら明日からは、台湾南部の都市、高雄に行くのだー!楽しみだなあ。小学生の頃からの友達と一緒、っていうのはもちろんだけれども、今回のメインは屏東で行われるランタンフェスティバル

 

 民俗学専攻(敢えてここは言い切る)である私は、台湾の民俗を肌感覚で学ぶために台湾に来た。ランタンフェスティバルをはじめとするお祭り類はその代表。実際、私は今日も昨日も元宵節(旧暦1月15日)のお祭りに参加している。お祭りハンターさながらだ。

 

今日行った台北ランタンフェスティバルは素晴らしかった

 

 古いものに対して新しい魅力を付加することは、台湾の得意技である。北門のプロジェクションマッピングが特にそう。台湾に留学を決めた時、私は沖縄の民俗の起源みたいなものを台湾に(その後ろにある中国に)見ていた。しかし、実際に生活している台湾は、日本のずっとずっと先を歩いているものがたくさんあって、街を歩きながらもたくさん勉強させられている。

 

 私は古いものが好き、歴史が好き、信仰が好きで、同年代が「つまらない」と素通りするような文化財が好き。物心ついた時からずっと好きだったから、若者がそうした「なんだかすごそうな」文化財を素通りするのは単に知識が足りないからと、否定的に思っていたことは否めない。

 

 でも、それだけじゃないんだよね。

 「モノ」にはそれだけで多くの情報を含んでいて、物語がある。その物語にどれだけ耳を澄ませて、抽出し、どれだけその魅力を一般に伝えることができるのか。またその「モノ」を未来に遺すことができるのか。それを可能にするのは専門性だ。そしてそういう仕事が博物館の学芸員ではないか。

 

 留学前に大好きな博物館での実習を経て、そういうことを考えるようになった。

 そして、台湾はその「伝える」がかなり上手なように思う。

(反対に日本の場合は保存に優れているのではないか、と思う)

 例えば昨年の10月頃に行った、世界音楽祭@台湾

wmftaiwan.com

なんてその代表だと思う。

 

 

 

 写真はアミ族が歌っているところ。野外音楽フェスそのものだ。

 アミ族に伝わる歌はどこか日本の民謡と似ていた。正直なことを言うと、伝え方次第では古臭いものになってしまうようにも思った。でも、ここでは違った。バリバリの照明はとっても格好いいし、キーボードや民族楽器だけではなく、サックスやギターまでもがその音楽に加わっていた。

 その中で観客も立ち上がり、みんなで音楽に合わせて身体を揺らす。これが本当に楽しかった。

 

 

 因みにこれらは音楽祭での戦利品。

 現在の興味である台湾原住民族のものを中心に色々買ってしまった。16いる台湾原住民族の女性をテーマにした折り紙も素敵なんだけれども、特に私が心を奪われてしまったのは、ワッペンとドリンクホルダー。これはブヌン族のお兄さんが作っていた。ドリンクホルダーにはブヌン語で「耳射祭」と書かれているそうだ。これもお兄さんが教えてくれた。

 何を買おうか迷っているわたしに対して開かれたのは、即席ブヌン語講座。ブヌン族にとって大切にされていた動物や、生活の中で唱えられていた言葉、親から子へと語り継がれてきた伝説。そうしたものが一つ一つの作品の中に込められていた。

 作品そのものが素敵なんだけれども、どれを買おうか迷っている私にお兄さんがその背景を丁寧に解説してくれるもんだから、ますます選べなくなってしまった。

 

 

 日本や沖縄でそういうことが出来ていないとは言わないけれども、いいよね台湾と思う。

 もちろん色々なお祭りに参加していると、都市化の影響をモロに受けて存続の危機に瀕しているお祭りもたくさんある。爆竹がうるさいとか、環境に悪いとか、担い手不足とか、日本のお祭りでも聞いたような話が耳に入って来る。

 言葉もそうだ。私は今学期台湾語の授業を取っているけれども、台湾人の友達は「台湾語を聞けても話せない」という。台湾の人口やく15%を占める客家人の言葉、客家語や原住民族の言葉も同じように使われなくなっている。

 

それも分かった上で日本にはない、台湾の良いところをたくさん知りたいと思う。 

そして真似できるところは真似して、真似できないところはそれはそれで文化理解になると思う。

 

 私はずっと「沖縄の文化が好き」と言い続けてきたけれども、大学に入って「文化(民俗学)を学んだその先、私はどうしたいのか」とも問うこととなった。

 

 現に私自身も琉球語を話せないわけだし、好きだからとか、魅力的だからとか、そういう理由だけでどうにもできない現実があることも知っている。だって、私たちはお金を稼いで、ご飯を食べて、生活していかないといけないんだもの。そして、私が好きだと言ってきた「文化」とは「生活」と結びついたもののはずだ。その矛盾たるや。自分の曖昧さたるや。

 

 だからこそ、今の人の琴線に触れるようなかたちで進化し続ける台湾の「文化」(鍵括弧つきだけど)が大きな学びそのものとなるのだ、きっと。そうやって現代の価値にあうよう変化出来ない部分もまた直視したうえで、たくさんのムーブメントに触れ続けたいのだ。

 

 私は私の大切なはずの沖縄でよく聞く、哀愁ただよう「昔の沖縄は良かった」というノスタルジックな話に食傷気味なのだ。(もちろん、過去へ目を向けるのは大切なんだけれども、そのうえで)

 例えば、「昔の沖縄は良かった」系の話をする人が良く言うような「今の国際通りは観光地化されてしまって、おもしろくない」という話。私は生まれた時からその「おもしろくない」国際通りしか知らない。

 でも、奇跡の1マイルは時代を常に反映し続けているし、だからこその魅力がある。高校生の私は、他県から来る修学旅行生の制服を見ることが楽しかった。彼等にとっての非日常と私にとっての日常が結びつく感覚がたまらなかった。

 

消えてしまうから守ろうとするのではなく、現在でも価値があるから大切にする、台湾のそういう姿勢が好きなんだと思う。

 

 

二期目になっても、「あいいな」と思えることが町中に広がっているところがやっぱり好きです、台湾。私の本業は台湾大学の交換留学生なんだけれども、どこで何をしていても、いいなって思えるものがたくさんある。授業だけではない学びを大切にしていきたい。

 

 乾燥機がそろそろ止まったと思うので、今日はここまで。

 おやすみなさい。

 明日からの台湾南部旅行(ランタンフェスティバルしかり、諸々博物館しかり)楽しみだ