いつになく固いタイトルをつけてしまった。しかし雑感です。
沖縄から台湾に戻って約1週間、すっかり日常が帰ってきた。でも、昼寝から目覚めた時とかに感じる微かな寂しさはあって。ほんの少しだけホームシックになっているのかもしれない。何だかんだ言っても私は沖縄と、実家が大事なんです。
さて、タイトルに書いたことは、今回の帰省で感じたことそのものだったりする。
今回の帰省で私は、地域の祭祀に参加していた。それは卒論の為という名目ではあるのだけれども、本当のことを言うと、半分そうで、半分違う。
今回参加したのは地元の方で、卒論そのものは地元から少し離れたところを調査地もして選んでいるからだ。
だから今回、半分は調査に来た学生として、半分は地元の子供として祭祀に参加させてもらった。公民館が管理しているこうした祭祀ごとは、基本的に地元住民なら誰でも参加できる。
私は小学校高学年ごろから、地元の子供としてよく顔を出していた。祖父母も、その前の世代も、ずっと地元に住み続けてることもあり、私がちょこまか動いても「ああ、あの子ね」ということで許してもらえている。素晴らしい環境だ。
今回のある祭祀の参加者は、区長や書記という公民館の構成員と、私、それから地域のおばあちゃん方の合計5名。本筋から外れるから、祭祀の詳しい様子は省くけれど、祭祀の時にこんな話が出た。
祭祀空間である聖地の管理(草刈りなど)が区長一人の担当になっていることについて、
「区民みんなで管理すべきだ」
という声だ。もっと言うと、若い労働力である若者が、休日に無償で働くべきである、とのこと。
そういった声を出すのは、地域のおばあちゃん二人。
区長や書記さんは相づちを打ちながらも、自分の意見を言わなかった。私にも白羽の矢は立ち、「あんた、帰省したら草刈りしなさい」と言われる。その声を私もまた、苦笑いでやり過ごす。
なぜなら、地域の場というのは徹底的な年功序列の場であり、小娘のわたしが口を挟むことは許されないのだから。区長さんや書記さんも似たような立ち位置なのだろう。
調査者としての私は、その間もフィールドノートにそうした意見が出た、という話を記述していた。こういう時、単なる傍観者になり続けられていたら楽である。
しかし、地域の子供としての私は、そうとしてはやり過ごせない。
わたしが感じていたことは、「若者が地域に参加するメリットはどこにあるのか」ということ。
今回の提案は、「公民館管理の聖地を区民みんなで管理するべき」ということ。
一見すると、もっともらしいことを言っているが、草刈りなどの肉体労働は若いものたちがやるべきだと主張している。あくまでも、自分たちはやらない、と。別に体力的なことを理由にしているわけでないだろう。補足を入れておくと、私の地元は典型的な農村であり、そういう提案をするおばあちゃん方も、毎日のように農作業をしている。体力的な問題はそこにない。
次に、現在担当している区長には、区民と税金からの給料が出ている。これは結構な額であり、区長そのものはこの体制に不満はない。
それでも、おばあちゃん方の価値観からすれば、肉体労働などの「嫌な仕事」は、地域の下っ端である「若者」がやるべきなのだろう。
このことを、実家に持ち帰って弟に言うと、「そういうことなら、自分はさっさとこの地域から出て、都市で一人暮らしするわ」とのことだった。
そうなることは分かっていた。
農業を生業としている上の世代からすると、住む場所というのは先祖代々の土地がある「ここ」に限られる。しかし、私たち世代からすると、もはやそんなしばりなどない。
だから、地域に居るメリット(例えば親戚が近くに住んでいるとか、家を建てる土地があるとか、懐かしい場所であるとか)と、デメリット(地域行事に参加しなければならないこととか、地域の下っ端として扱われることとか)を比較し、選択することができる。上の世代にとっては考えられないことかもしれない。
このようなことは、私の地域で何度も繰り返されてきた。
例えば、婦人会について。
私の母は、地域の婦人会に入ることを頑なに拒んでいた。育児についてワンオペ状態だったし、PTAに入っているだけで色々な役員がまわってくるのだから、精いっぱいという理由だった。
それに対して、何としてでも婦人会に入って欲しいお姉さま方は
「あなたのお父さん、お母さんは高齢よね、死んだら誰が葬式の手伝いすると思っているの?」と言ったという。
私が幼い頃、私の地元では葬式やお通夜は業者に頼むのではなく、地域の婦人会によって行われるものであった。葬式は自分一人の力でどうこうできるものではない。その為、普段から地域との関係を良好に保つ必要がある。
しかし現在は、葬式は業者に頼んで行う。地域住民が葬式に参列することはあっても、手伝いに駆けつける場面は少なくなった。
そうした時、婦人会に入るメリットはどこにあるのだろう。
婦人会には、その昔家庭内で肩身の狭かったお嫁さんの息抜き、という役割もあったという。しかし、それもまた当てはまらない。私の地域で姑と同居している家庭は、数える程である。ましてや、家庭で農業を営みながら、専業主婦を続けている人など、一人もいない。かつて想定されていた形の女性はもう居ない。みんな、共働きでパートなどに忙しいのだ。
私の地域の婦人会は、そうした社会情勢を受けて、市町村合併に巻き込まれるかたちで消えた。
現在、地域を巡るあれやこれやについて、どうしても損得勘定を働かせてしまう。
先の話題に戻る。聖地の草刈りも、その昔、みんなが地域の中で生活し、仕事をしていたとすれば、若者が働くのは当たり前なのかもしれない。
しかし現在はそうでないのだ。
私の同級生は地域に5名しか居ない。女子は私だけ。だから私の人間関係の中心は地域外にある。高校も地元の高校に行かなかったから、その傾向はさらに強まる。私はたとえ将来沖縄に帰ったとしても、この地域で仕事をしないことを断言できる。
ここで一応言っておくと、私が例外的なのは、地域の民俗に関心があるということ。その為、地域行事に参加させてもらってきたという感謝がある。地域で生きることの「面倒くささ」さえも、私のテーマになり得る。地域のおばあちゃん方の発言に対してモヤモヤするのは、私がこれまで地域の早起き清掃などにも参加してきた経験があるからだ。だからこそ、こうした問題に直面するし、葛藤を覚えるのだ。
しかしこれは例外的であり、狭い範囲に住んでいるはずの同級生を見かけることは一切ない。私が葛藤を覚えるのは、これでも地域にコミットしているからである。
公民館に地域の構成員を聞きに行った時、地域に住む子供に対して「地域の子供」と「そうでない子供」を分けていたことに衝撃を受けた。
「地域の子供」とは、その地域に親、祖父母の世代から住んでいる子供。多くは一軒家に住んでいる。
「その他の子供」とは、地域に地縁を持たない子供。多くはアパートに住んでいる。
現在、「地域の子供」はほとんど居ないと聞いた。子供の数が増え続けているはずの沖縄県で、これだ。
私の地域を取り巻く状況は、深刻だ。地域共同体が継続できるのは、あと何年だろう。
私はこの地域が好きだ。これは間違えない事実だが、地域に住むことで発生するデメリット(例えば地域行事への強制参加、強制労働、しがらみ)が多ければ、もう少し那覇に近い都市部に住むに違いない。
しんどいものだ。
民俗の卒論を書くにあたり、地元をフィールドに選ぶと大変だ、という話を聞いた。確かにその通りであった。しかし一方で、地域はしんどい部分も含めて成り立っている。その部分を身を持って知っていることは、私の強みだ。
私の地域は、都会からの移住者に人気の土地でもある。カフェも多く、穏やかな時間が流れているとも形容される。でもそれだけのはずがない。都会の人が投影している憧れの裏腹に、しんどさはある。
だから、言葉にしてみた。解決策は分からないから、雑感でしかない。とても保守的な地域なのだ。
因みに茨城県守谷市では、地域の空き家をシェアハウスとして住む学生を募集している。家賃は無料である代わりに、条件として
「町内活動及び市事業に参加できる方」を提示している。
これは、地域共同体を継続していく一つの在り方のように思う。
https://www.city.moriya.ibaraki.jp/smph/shikumi/project/matihitosigoto/mizukino.html