きのこのこの雑記帳

どきどき台湾留学2018.9.1~ 沖縄と民俗と言葉と本と

3月に読んだ本たち(前半戦)

 

3月に読んだ本たち(前半戦)

 

3月に読んだ本(漫画や雑誌も含む)は29冊。台湾在住の私がどうしてこれだけの本を読んでいるかというと、私が在籍している台湾大学図書館には日本語文献もたんまりとあるから……。それからKindleの存在。そいつぁ、麻薬だよ。どこに居ても、ボタン一つで日本語の本を買えてしまう。特に続き物の漫画は止められなくて、一気に読み切ってしまう。ポイントはクレジット決済というところにもあって、勢いだけで漫画を買ったこともあった。これは反省。ぐぬぬ……。

 

 本来ならば中国語漬けの日々を過ごすべきであることは分かっているんだけども、それができない自分も居て。やりたいことしかできない性格だから、今まで苦労してきたんだった。

 今読みたい本は、今が読み時であると信じて、日本語の本をたくさん読んだ。それどころか、もっと読みたい。中国語にもたくさん触れなくちゃだけど。

 

 

 ●ブルーピリオド

 

ブルーピリオド(1) (アフタヌーンコミックス)

ブルーピリオド(1) (アフタヌーンコミックス)

 

 

ブルーピリオド(2) (アフタヌーンコミックス)

ブルーピリオド(2) (アフタヌーンコミックス)

 

 

ブルーピリオド(3) (アフタヌーンコミックス)

ブルーピリオド(3) (アフタヌーンコミックス)

 

 

ブルーピリオド(4) (アフタヌーンコミックス)

ブルーピリオド(4) (アフタヌーンコミックス)

 

 

 しょっぱなから漫画かよ!って思った?でもこれ、かなり面白い。何かのセールで1巻無料につられ読んでしまったが最後、現在出ている4巻すべて買ってしまっていた。

 

 ストーリーは、芸術系スポ根(?)

 成績優秀、友達も多く、スクールカースト上位にいる主人公の矢口くん。彼は「頭の良さ」からお金にならなそうな芸術大学をちょっと下に見ていた。しかし、美術の授業である絵を描いたことから、どんどん美術の道へ惹かれていく。ついには、最難関である東京藝術大学への進学を目指すことになり……?

 

 芸術の世界ってどこか才能勝負!みたいな雰囲気あるけれど、絵の勉強していくことでどんどん伸ばせる能力もあって。頭の良い主人公が、絵のあれこれをどんどん吸収していく姿が爽快。矢口くん、絵を描きながら色々な問題にもぶつかっていくわけですよ。自分にとっての友達ってなんだ?とか。その答えを絵に込める姿には痺れる。藝大進学を目指す漫画なんだけれども、立派な青春漫画でもあって。魅力的なライバルもたくさん出てきて、とにかくアツい。

 

 中学生の頃、美術部だった私。絵の道には全然進まなかったけれど、クロッキーとか、絵の具を使う楽しさとか、懐かしいものを感じた。

 私自身がそうだったからかもしれないけれど、文化系のスポ根(?)に弱い。文化系の部活って、一見大人しそうに見えるけど(楽そうとかも言われたりして)実は全然そんなことない。どんな分野でも反復練習は必要だし、強豪校のアツさって言ったらそれはそれは凄い。自分の精神的なもの、アイデンティティの深いところまで向き合わされるものもあったりして、精神的にどっと疲れることも多い。

 

 漫画はいよいよ藝大試験が始まったところ。(単行本でしか追ってないけど)今ちょうど面白いところなので新刊が出次第、買うしかない……!

 

 

●ストリート ウォッチングー路上観察と心理学的街遊びのヒント

 

 

ストリート・ウォッチング―路上観察と心理学的街遊びのヒント

ストリート・ウォッチング―路上観察と心理学的街遊びのヒント

 

 

 こちらは台湾大学図書館で借りて読んだ。社会学の棚にあったけれど、内容はとっても軽く、パラパラと読める。

 街歩きを楽しくさせるヒントが詰まった本。街を歩いていて、見える人の姿や建物の数々。彼らはどうしてそんな行動をしているのか、その建物はどうしてそういう形になっているのか。「心理学的街遊び」というように、ちょっとした心理学の解説をつけながら、街を観る。 

 

 私自身、街歩きが好きなのでとても楽しく読めた。「ほうほう、だから私は街歩きが好きだったんだ」と自分の街歩き術(?)を確かめるように読んだ箇所と、そんなこと気にも留めてなかったなぁ……と反省する箇所とがあった。でも、この本の真骨頂は部屋の中で大人しく本を読んでる時でなく、街に出た時に発揮できるんだと思う。

 普段素通りしている景色が、少しだけでも違ってみえるような、その感度を高めることができたら素敵だよなぁと思う。

 

 

●アランとドラン

 

 こじらせサブカル女に響く恋愛漫画!?

と聞いたので購入。気軽に購入できちゃうところがKindleの良さであり、最大の欠点だ。

なかなかコアな映画ファンである、主人公の林田。ひょんなことから隣人江戸川と親しくなり、どんどん友好関係や性格も変わっていく……というストーリー。少女漫画の王道なんだけれど、一つ違うのは主人公の映画趣味。これが物語の中でなかなか良い味を出す。

 

 んだけれども、こじらせサブカルの方向性が私とはイマイチ違った。共感できるに違いない!と思って買った漫画だったからこれは痛い。私は喋るコミュ障のこじらせサブカルなのだ。致命的だったのは、カッコいいキャラとして描かれている江戸川くん(なんてったって、バーテンダー!)があまり好みじゃないってこと。いや、カッコいいとは思うんだけど……。

 

●台湾に渡った日本の神々

 

台湾に渡った日本の神々

台湾に渡った日本の神々

 

 

 この本は日本統治時代の台湾で建立された神社をまとめている。膨大なフィールドワークをもとに書かれており、かなり網羅的に調査されているように思う。

 台湾を旅する度、日本統治時代の神社跡を巡っているわたし。別に調査とかちゃんとした形でないけれども、時代のヒダを感じる場所として訪れたくなるのだ。台湾に建立された神社は多く、さらに現在でもその遺構が見られる場所、別の宗教施設として活用されている場所、近年になって歴史教育の文脈で再建された場所と様々である。

 

 わたしは沖縄の聖地、御嶽に鳥居がある現実と重ねながら、台湾の神社跡を見ている。台湾にある神社は、世界的にも珍しい「外地神社」である。「国家神道」とは一体何だったのか、考える手がかりにもなる。

 

『台湾に渡った日本の神々』は神社跡を巡る際に、かなり大きな助けとなってくれる本である。あそこで見かけた神社は一体、どのような神が祀られ、どのような経緯で建立されたのだろうとか、辞書的にも使わせてもらっている。台湾原住民族の集落には集中的に神社が置かれたことや、台湾に住んでいた日本人の姿、台湾での産業等々。日本統治時代の台湾を全く違う方向で見られるところがおもしろい。

 

 いやぁ、それでも全然まわれてなくて反省だ……。せめて台北だけでもまわってから帰国したい。時間がない……。(それでもダラダラする時間は削れない……)

 

●&Premium 2019年4月号

&Premium(アンド プレミアム) 2019年 04月号 [心に響く言葉、との出合い。]

&Premium(アンド プレミアム) 2019年 04月号 [心に響く言葉、との出合い。]

 

 

 沖縄から台湾へ戻る飛行機の中で読んだ雑誌。

 「心に響く言葉」特集と聞いて、買わないわけにはいかなかった。言うまでもなく、これは英断だった。

 ドラマ脚本、歌、詩、小説、大和言葉から素敵な言葉を抽出しているんだけれども、もうね、言うまでもなく、私が好きな作品ばかりなの。

 椎名林檎松任谷由実村上春樹萩尾望都坂元裕二川上弘美高山みなみ茨木のり子小川洋子、レヴィストロース(!)まで。一つひとつ、じっくりと自分の中に染み込むように言葉を飲み込んでいった。知っているセリフや本、知らなかった本も、全部が素敵で、今すぐ全部読み返したくなった。

 

 自分を取り巻く言語が、日本語から中国語へと変わるその瞬間に読んだからかもしれない。私にとっては、日本語はもう帰る場所なんだなと思った。沖縄が私の帰る場所であるように、日本語で構築された世界、作品は私のナイーブなところも優しく包み込んでくれるような気がした。単に日本語が私の母語であるという事実を超えて、私に日本語があって良かったなと思ったのだった。

 

 今でも、ベットの片隅に置いていて、たまにそっと開く。日本語が溢れている国に帰るのが楽しみになる。こんなんだから、中国語は上達しないんだけども!それでも、自分の確かな母語琉球語のことを思うとちょっと複雑な気持ちになるけど)を触れられるのは、台湾に居るおかげである。だから、このタイミングで出会えて良かったと思う。

 

●昭和のエートス

 

昭和のエートス

昭和のエートス

 

 

 内田樹先生の本、高校の図書館にはたくさんあったからよく読んでたけど、いつの間にか読まなくなっちゃたなぁと思いながら読んだ本。台湾大学の図書館で借りた。

 

 平成を語る言葉が溢れている現在。平成9年生まれの私にとっては、生まれてこの方ずっと平成で、平成を語る資格などないと思ってた。

 だからこそ、平成の一つ前である昭和という時代を再考してみたくなった。

 

 んだけれども、内田先生の本に多いパターンで、色々なところへの寄稿やブログの原稿で本は構成されており、「昭和」とは何かについて真正面から書かれている箇所は少なかった。

 それでも、読んで良かったなぁと思えた言葉はいくつかあって。

他者の欲望を模倣するのではなく、自分自身の中から浮かび上がってくる、「自前の欲望」の声に耳を傾けることのできる人は、それだけですでに豊かである。なぜなら、他者の欲望には想像の中でしか出会えないが、自前の欲望は具体的で、それゆえ有限だからだ。(中略)そのような具体的な問いを一つ一つ立てることのできる人は求められるものの「欠如」を嘆くことはあっても「貧乏」に苦しむことはない。(P37-38)

 

 これなんて、特にそう。私が今いる台湾大学は優秀な人ばかり居る。台湾大学は台湾で一番賢い大学なのだ。交換留学生仲間もそうだ。一橋大学とか大阪大学とか、慶應義塾とか。優秀な人たちばかり。私よりずっと真面目で、頭が良いんだなと思う人がたくさん居る。

 一方でそんな彼らと付き合うようになってくると、みんな専攻分野への愛などなく、ずっと急かされるように「勉強しなくちゃ」と言っていることに気付く。でも勉強して、その先になりたいことがあるわけでもなく、「いい会社」に入りたいという。なら、「いい会社に入ったら何がしたいの?お金のこと考えなければやりたいことはある?」と言っても、「分からない」との答え。

 

 神社や寺、博物館をまわっている私に対しては、「そんなことして仕事あるの?」って言うのに。何だかなぁ、というモヤモヤが膨れ上がっていた頃、この言葉と出会った。私の価値観に対して、枠を与えられたようだった。生活していくうえでお金は確かに必要なんだけれども、私は自分の欲望の中だけで慎ましく生きていけたらと思う。実家がそれほど裕福でなく、ド田舎出身であることも影響しているだろう。私はきっと「貧乏」に苦しむことはない。これからも、いままでも。私は自分が何が好きで、何がやりたいかをよく知っている。だから大丈夫なのだ。友人らが言う「そんなことして仕事あるの?」に対する一つのアンサーのようにも思え、救われた気がした。

 

街道をゆく40台湾紀行

 

街道をゆく 40 台湾紀行 (朝日文庫)

街道をゆく 40 台湾紀行 (朝日文庫)

 

ずっと読みたかった本。台湾大学の図書館で見つけ、真っ先に読んだ。

 司馬遼太郎が台湾を旅するなかで、出てくる登場人物がとても豪華。なんと、元総統の李登輝さんまで出てくるから驚きだ。旅は日本統治時代、戒厳令下の台湾というように、台湾が歩んできた、複雑で重層的な歴史を追憶するかのように歩まれていく。

 

 台湾原住民族に対する記述も厚く、司馬遼太郎が強い関心をもっていたことがうかがえる。一方で、台湾原住民族を「山地人」と記していることが気になった。しかも、「昔は蕃人と言ったが、現在は親しみや敬意を込めて山地人という」というように。現在ではありえないことだ。

 台湾原住民族が現在のように台湾原住民族と呼ばれるようになったのは、1997年の頃。(ちょうど李登輝政権だった)彼らが台湾原住民族の名を勝ち取ったのは、近年のことなのだ。

 『街道をゆく40台湾紀行』がはじめに発行された時、台湾原住民族を山地人と記すことは何ら間違ったことではなかったのだろう。(紀行文の最後で、李登輝が総統になるような描写がある。ちょうど、台湾原住民族が名を得るまでの過渡期にあったといえる)

 

 歴史を追憶するような本でありながらも、その本が伝える生の歴史もある。二重の意味で「歴史を読む」のだと思うと、感じるものは深かった。

 

●新版 平坦な戦場でぼくらが生き延びること 岡崎京子

 

新版 平坦な戦場でぼくらが生き延びること 岡崎京子論

新版 平坦な戦場でぼくらが生き延びること 岡崎京子論

 

 私は岡崎京子が好きである。

 そういう意味で飛びついた本であった。あと、装丁も好き。大学の先生が書いている批評の本でありながら、思い切った装丁をしている。ここでは載せられないが、本の中の装丁も凄かった。岡崎京子の作品にある、圧倒的なパワーが感じられた。

 

 空虚な都市、淡々と過ぎゆく日常、自己という存在の曖昧さ、代替可能な場所。そんな中での「サバイバル」 について岡崎京子は描いていたし、この本は現代社会の抱える問題と絡めながら分析している。

 

 批評本として面白いとは思いつつ、どうにもしっくり来ない自分がいた。

 

 そこで説明されている「代替可能なそこ」というのが、私の実感に無いからだろう。仮住まいの関東や台湾を除き、私はずっと沖縄の田舎に住み続けてきた。そこは嫌になるくらい、地縁と血縁を感じる場所である。私は地元に帰ったら屋号や〇〇じぃさんの孫として認識されるし、私の実家が建っている土地の所有者は琉球王国時代まで遡って聞くことができる。そして私は将来的にそこの土地を受け継ぐだろうし、そこに家を建てる可能性も高い。そんな「地元」にいる限り、私自身も代替可能ではない。

 

 そういう意味で、私が住んできた世界というのは、岡崎京子的ではないのかなと思った。

 一方で、私がなぜ岡崎京子作品が好きなのか。それはやっぱり高校時代の偏差値教育にあるような気もする。自分の存在がテストの点数という形で、最小限に単純化されたと思っていた高校時代。「どうして学ぶのか」「どうしてこの公式はこうなっているのか」という質問は良い顔されず、ただ点数を取ることが良いとされていた世界。自分自身が画一的な存在になりそうで、気が狂いそうだった。岡崎京子作品に惹かれるのは、あの高校時代があったからだ。岡崎京子作品の主人公が、この世と自分を繋ぎ止めるような強さを私も欲していた。それこそ、「平坦な戦場でぼくらが生き延びる」ために。

 

●台湾原住民族研究への招待

 

台湾原住民研究への招待

台湾原住民研究への招待

 

 

 台湾原住民族を学ぶための入門書として、とても優れていると思う。

 

 研究史、各民族の解説(版が古くて、9民族しか解説がない)からはじまり、考古学、歴史学言語学の観点からも解説されている。民族学文化人類学)の中でだけでは捉えられない台湾原住民族の姿がある。後ろについているブックリストも大変ありがたく、台湾原住民族について学ぶ1冊目として、とても良いように思う。

 そういう意味で、「ちょっと古いけど」の注釈付きになってしまうが、かなりおすすめの本。台湾原住民族について「やりたい」と言ってる後輩にもおすすめした。

 

 私は台湾原住民族博物館でのボランティアガイドを通して、そこそこに解説できるようにはなったけれど、「今、生きている人たちについて、日本人が語ること」の怖さも感じていて。だからこそ、学び続けなければと思った。まだまだ知らないことだらけである。

 

 この本が書かれた1990年代後半と現在では、台湾原住民族を取り巻く環境は大きく変わっている。本の中では、台湾原住民族は減り続けるような記述もあったが、現状では復興運動なども盛んである。

 そうした状況も踏まえ、権利というのは自らで勝ち取っていくものだと強く感じた。やたらと大きな話になってしまったけれど、台湾原住民族について考えていること、思っていること、いつか文章にまとめられたらと思う。

 

 3月に読んだ本たち、本当はあと16冊ほどあるけれど、飽きてきたので今日はこの辺で。

 読書ノートを再開したいけれども、読むペース、書くペース、全部考えてたら全然時間がなくてびっくりする。どうしてこんなことに!?