雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

また風邪っぴきの日々

 


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また風邪っぴきの日々が続く。

喉の痛みから始まって、鼻詰まり、発熱、そして咳。順調に身体の悪いところが移動していく、典型的な風邪。身体は常に重く、台湾の気候も関係してか、いつも火照っている気がする。

 

 そんな時でも、文章を書きたくなっちゃうのだから、私は単純に書くのが好きだ。そんな時だからこそ、書きたいのかもしれない。身体が弱るということは、同時に心も弱って、心細い気持ちになる。本を読む体力はないので、私なんてずっとツイッターに常駐している。新学期のつくばの様子とか、就活の様子をみて、そわそわ。つくばの授業は相変わらず楽しそうだ。わたしも経済的な事情がなければあと1年居たかった。そんでもって、芸術の授業とか受けたかった、真剣に。本の作り方とか、芸術支援とか、フォトショとか覚えたい。社会教育についても勉強したいような。民俗と文化人類学の授業は他学類も含めて全部取りたかったし、ヨガや東洋的身体なんちゃらっていうものも折角だから取りたい。留学を通してからは、中国政治とか、韓国のこととか、アジアに対する関心もぐっと深まっている。先生は「時が来れば興味は絞られますから、大丈夫ですよ」とおっしゃっていたけれども、私はいつまでも関心が四方八方に飛んでいく。まずい。そんな私に適任な仕事って何だろう。案外公務員とか向いてる?全く見えない。

 

 就活はみんな苦しそうながらぼちぼち就職先が決まったようなツイートも見かけ、胸がざわざわする。一つ上の先輩はみんな就職したり、進学したり。一年後には私にも何かしらの変化が訪れているのだと考えると、台湾というぽかんと切り離された時間の中で、寝ることしかできていない私は大丈夫なのか?って思う。でも風邪っぴきの身では大丈夫ととりあえず言い聞かせて、寝るしかないのだ。

 

 風邪は分かりやすい不調で、その点においてはある意味楽である。分かりやすく自分を労れるから。よしもとばななの小説とかで、よく悩みを抱いた主人公が熱を出す。そして、熱が下がる頃には、抱いていたモヤモヤや不安がすっかりなくなっているのだ。そんな風邪の引き方に憧れる。実際のところ、風邪をひくと1ヶ月くらい咳が長引くし、私の場合、そんなすっきりと治ってくれないのですが。私の中でこじらせているものも、こじらせすぎていて、熱が下がるくらいではすっきりしないのですが。それでも、寝ていれば、ゆっくり、着実に治っていくのだから風邪は良い。よしもとばななの小説ほど、綺麗なものじゃないけれども、ゆっくりとベットに寝ている時間が私の心についてあたえるものもあるだろう。  

 

 

 というのも、私の今回の風邪について周りの人からは「忙しすぎるのが問題」と言われてるのだ。忙しいとは何のことやら……?はて……?と思うが、確かに予定だけはぎっちり詰まっている。それでも何にもしてない気がするから問題なのだけれども。私には体力がない。それにも関わらず、常に心だけが走っている。このアンバランスさ。常に走っていて、たまにドカンと動けなくなることで、全体のバランスを取っている(?)わたしの生き方にも共通している。この生き方、通用するのは20代までなのは分かっています。分かってて、どうにもできないのだから精進が足りない。アンバランスさというのは、私を表す特徴でもある。

 

 

 風邪をひくと、台湾では食べたいものがなくなる問題、今回も直面している。そもそもキッチンがないこの宿舎、ご飯を買いに行く気力がない。仕方がないから、コンビニのサラダとウィンダーゼリーと、お粥、友達が日本から持ってきてくれたカップスープでしのいでいる。正直、今だけ日本に帰って美味しいうどんを食べたい。

 

 風邪をこじらせて免疫力が落ちたところに、腎盂腎炎になった経験があるから、母は風邪でもすぐに病院に行ったら?と言う。しかし、ここは台湾。体調が悪いということは、外国語を聞く体力もないということ、煩わしい保険の手続きをする体力もないということ。気軽に病院に行けないのだ。台湾生活、随分慣れて、もうずっと台湾で生活してきた気がするし、あと2年くらいは台湾で生活したい気がするけど、それでもこうした時に海外生活の不便を突きつけられる。

 

 この前台湾に遊びに来てくれていた友達の話なんだけれども、友達とテレビを観ながら適当におしゃべりしていた時間が至福だった。ああ、この穏やかな時間を望んでいたのだ、という実感。これは、私のはじめての帰省(大学最初の夏休み)、祖父母宅でアイスを食べながら、「私はこういう、穏やかな幸せを拾い集めて生きていきたかったのではないか?」という実感とそっくりである。台湾での生活は楽しい。これは嘘ではない。でも、同時に、祖父母宅でアイスを食べるような、友達とくだらないテレビを観ておしゃべりするような、幸せも愛している。台湾生活は慣れたといっても、ふとした瞬間に自分の心がまだ張っているのを感じる。だって外国何だもの、当たり前だ。もっと長らく住んで、中国語が上手くなれば、良いのだろうか?と思ったりもしたけれども、私の故郷が沖縄であることは変えようがない。その種の幸せと、刺激的で自分の可能性が無限に広がるような世界で生きることの両立が、20代の私の課題なのかもしれない。

 

 この手の話を台湾の留学仲間にすると、「でも私は留学生活充実してる」という謎マウンティングをされるので、うんざりである。(ああ、言っちゃった)私の中の哲学みたいなものを言葉にすると、留学仲間にはイマイチ理解されないことが多くて、この点でも異文化体験みたいである。それでも好きな人たちは居るから、帰国して離れてしまっても、そういう人たちだけ大切にしていけたら良いのだけれども。

 

 話がズレてしまった。書きたいことが多すぎて渋滞しているのも、なんだか私の体調不良に近いものがあるよなぁと思う。読者日記と、台南旅行と、烏来と、色々書きたい。でも、アクセスを見る限り留学日記より、南条あやのことがずっとずっと読まれていて複雑である。逆に南条あや関連の日記くらい、全てのものが読まれていたら、ちょっとしたお小遣いになりそうなんだけれども。

 私が書きたいことを書くことと、読まれることを書くことは、全然違うのだから仕方ない。これなんか、完全に書きたくて書いたやつだ。うまくすり合わせができれば良いのだけれども。

 

 さすがに話が伸びてしまったので、今日はここまで。目覚めた頃には身体がすっかり良くなっているといいなぁ。

ところで、明日は茶道の先生を台湾に案内することになっている。ひゃ〜、体力面、知識面、中国語、コミュ力、諸々ドキドキじゃ〜