雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

留学日記 4月20日



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 先週は風邪で寝ていた。今週もまだ体調は本調子ではない。

 そうこうするうちに4月があっという間に過ぎていく。今日、帰宅したら宿舎のドアに「交換留学生は早めに退去届を出すように」というような紙が貼られていた。そう、気が付いたら留学が終わるカウントダウンがはじまっている。台湾大学に居られるのは6月末まで。私が台湾にいるのは7月末まで。

 

 正直言って私の頭の30%くらいは、もう既に日本にある。

 台湾から申請しないといけない教育実習のこと、某奨学金の事後研修の日程調整、それから進路のこと。私は一年後の今、一体どこでどうしているのだろうか。ある程度の計画は、ある。でもそれは確定ではないし、これからの1年は留学を終え、インターンを行い、半年で卒論の調査をしながら、大学で取りこぼしている単位(ぜーんぶ教職関係!)を拾う。アクロバティック履修だと言われ続けてきたけれども、最後の最後までこんなんで自分自身がまいっちゃっている。

 あ、何で留学したのに4年で卒業するの?ってよく聞かれる。色々理由はあるけれど、一番は経済的な理由です。

 

 そんなこんなで、最近すごく焦っている自分がいる。

 毎日まいにち「ああ、今日も無駄に過ごしてしまった」と思っている。これは良くない。できたことと、できなかったことはきっちり整理して考えないと。

 

 

 将来の選択を前にすると、考えることがある。

 どういう文脈か忘れたけれど、友達に「資本主義社会の中で生きなければ、きのこちゃん(私)みたいな生き方も良いと思う」と言われた。私は彼女のことがかなり好きで、彼女も私のことを理解しようとしてそういうことを言ったんだと思う。

 

 その時、私は一ミリも嫌な気分にならなかった。ここで言う「私の生き方」とは、いわゆる「ツブシがきく」勉強ではなく道教のお祭りに行ったり、英語や中国語がうまいわけでもないのに台湾語をやってみたり、趣味と専攻のラインが曖昧で、のんびり構えているような生き方だ。私は確か「そうだよ、私はお金になる英語や中国語より、今いちばん学びたいのは琉球語だからね」と言って笑った。

 

 そうだよ、資本主義社会の物差しで測れない価値はきっと、ある。

 一方でそういう話をして数日、ふと思ったんだった。「私のような生き方は、資本主義の世の中じゃ生きられない?」と。

 だって、私たちは好むとも好まざるとも、資本主義社会の中に取り込まれて生きている。残念なことに実家が太いわけではないので、私が生きる為には働かなくてはならない瞬間が来る。

 

 私は自分がやっていることに対して、経済的な価値もきっとあると思っているんだけどな。具体的に観光業とか諸々挙げることだってできそうだけれども、私が今感じているもやもやはそこじゃない。

 結局のところ、「人文学って役に立つの?」っていう何度も聞いた問題に行きつきそうである。その問いだって、そもそも「役に立つ」とは何かを考えるところからはじめないといけないんだけれども。

 

 「役に立つ」と言えば、高校時代のことを思いだす。何度も書いているように私の母校は、国立大学合格をひたすら目指すような高校でした。大学受験ありきの高校生活。ここでいう「役に立つ勉強」とはすなわち、センター入試が解ける勉強のこと。センター試験が解けたら、いい大学に行けるし、いい仕事に就けるんだって真顔で言ってた。「いい大学って何だ?」「いい仕事ってなんだ?」

 

 今でも覚えているんだけど、いつかの学年集会で進路指導部の先生が、自分の学歴と給料、それから家計状況を見せた上で、「ほら、大卒じゃないと生活できないでしょ?」って話をしていた。うちの親、大卒じゃないんですけど???それでも立派に育ててもらっているんですけど????ふざけんな、って話だ。私は今よりもっとナイーヴだったから、本気で気分が悪くなってトイレに吐きに行った。

 

 そういう学校だったから、同級生には実業高校の生徒をバカにしている子がたくさん居た。「あいつらの人生、終わったよな~」的な。そういう雰囲気が私は大嫌いだったんだった。

 

 高校二年生の頃、私は聞き書き甲子園というものに参加した。

www.foxfire-japan.com

 これは全国の高校生が、各地の名人(これは第一次産業第二次産業に携わる方を指す)を訪ね、取材を重ね、聞き書きという文芸にまとめる、という取り組みだ。

 私は宮古島三線職人の名人を取材した。名人は多くのことを話してくれたし、実際に三線を作る工程も見せてくれた。ただ、何かの拍子に名人は私の高校名を聞き、「机に向かって勉強するより、こうやって手に職をつけた方が絶対に食いっぱぐれない」と言った。これは、私が高校で耳にしている価値観とは真逆である。あまりに正反対だから、笑えてきちゃって、これが私をふと楽にしてくれたのを覚えている。あの高校の価値観は、ある一つの価値観に過ぎないんだと。

 

 世界は広いなあと思ったんだった。今、海外に住んでいるからこそ余計に思うことだけれども、世界の広さは単に移動に比例するわけじゃない。自分の足元だって、広い世界が広がっているのだ。

 

 聞き書き甲子園の経験は、私が民俗学を学ぼうと思うきっかけの一つになった。

 私はこのブログに高校のことをたくさん書いている。それは、私の大学生活のテーマが色んなことから自由になる、ことだからだ。あの息苦しかった高校。高校に適応できずに自分のことを呪った三年間は、今でも自分を苦しめる。誰かが言うことなんて気にしなくてもいいのに、どうしたって気になってしまうのだ。ただ、そこでの葛藤や高校時代の嫌だったことを一つ一つ言葉にしていく作業もまた、私を自由にしてくれる。

 

 

 今、私の周りにはバイリンガルが多い。英語が自由に使えたら世界はさらに広がって、それはとてもとても素敵なことだろうなと思う。言語学習の地道さ、気の遠くなるような道のりは、私が今直面している問題そのものだから、それを乗り越えた人は本当にすごいと思う。私は何とか留学生活を過ごしているけれども、英語も中国語も苦手だから余計に感じる。ただ、同時に彼・彼女たちが英語で教育を受けていた間、私は日本語で教育を受けていたわけで。沖縄の小中高校で子供時代を過ごしていたわけで。

 

 私が母語で教育を受けたからこそ、得たものもきっとあるだろうと思うんだ。英語ほど分かりやすいものじゃないけれど、「役に立つ」ものでもないかもしれないけれど、私の中に積み重なっているものがあると信じたい。

 例えば、私は中学生、高校生と国語辞典を常に持ち歩いていた。(高校は電子辞書だったけど)ふと気になった言葉を辞書でひくと、知らなかった意味や新たな言葉に出会えてそれが快感だった。それから、古典の時間にこっそり歳時記を読むのも好きだった。私が素通りしている季節を、鮮やかに切り取ってくれる季語。歳時記を読んでいると、照り付ける太陽も、激しく吹く風も、全部ぜんぶ魅力になったんだった。中学で初めて漢文を読んで、東アジアの漢文文化圏に感動した。今、100年前、200年前、もっと前の人の体温に触れた、と思う瞬間が確かにあって、私はそれが楽しくてたまらなかった。

 

 私の中学校では、学年末に教科書が終わらないことなんてザラだった。今、私は自分で「英語を話せない」と思っているけれども、中学校の同級生の中では格段に話せる側に居る。というか、私の中学から何人が大学に行ったんだろう。私自身、中学生の頃は大学といえば、地元の国立大学の名前しか知らなかった。しかも自分には到底無理だと思っていた。今ではああやって書いている高校さえも、自分には行けないと思っていたし、実際「あんたには無理」と言われていた。成績が悪かったわけではない。それでも私には無理だと思いこんでいた。

 

 そんなんだから、バイリンガルなんて、高校以前の私の世界では出会ったことのない人たちだ。バイリンガルでなくとも、都会の、私立の学校の話とか聞いていると、「ああ、私が今そういう人達と一緒に居るのは嘘みたいだ」と思う。

 別に妬む気持ちはない。私は彼女たちから色んな刺激を受けているし、大切な子も何人もいる。でも、ふとした拍子に「私は育ちが悪いから~」とか言ってしまう自分が嫌だ。習い事はほとんどしていなかったし、塾にも行けなかった。家族旅行もほとんどない。でも「育ちが悪い」とつい言ってしまったあとに、「お母さんごめんね」と思う。

 

 それでも、私が沖縄で過ごした期間には、都会の私立で過ごした時間やアメリカやインターナショナルスクールで過ごした時間と同じくらいの価値があると信じたい。

 私が抱いている土地への愛着みたいなものは、沖縄で過ごした時間が育んだものだ。私が時の流れに心をときめかすのは、先祖代々の土地に住み、そこで農業を営みながら、土地を大切に、祖先を大切にしている祖父母の姿を見ているからだ。中学の同級生、今会ってもきっとそんなに会話は続かないだろう彼等と机を並べた時間だって、絶対に私の糧になっている。中学校には色んな人が居て、だからこそ大変だったけれど、楽しさもあった。そういうものの全てが、私の武器であるはずだ。

 

 だから、「役に立つ」かどうかの議論は側に置いておいても、私にとって今台湾で過ごしている日々は全部大切なんだ、と思う。

 

 そしてそれは今の社会で別に不必要とされている学びでもないはずだけどな、とも思う。ただ一つ言うのなら、私が今みているもの、聴いているものを表現する力や、下の世代へつなげるような力が欲しい。教育の勉強は、ちょっとそれを意識したものでもあった。

 

 一応これは日記なので、書いておくと、今日は保生大帝という道教の神様の誕生日だったので、保安宮に行ってきました。

 

 

 

 楽しかった。

 道教の神様の世界はとても広く、しかも官僚制、上下関係がはっきりしていて難解だ。神様を参拝したのち、本を読み、ノートにまとめ、また神様に会いにいった。

 

 

togetter.com

 

  今日の私が抱いていたモヤモヤみたいなもの、友達ひとりの発言に端を発しているように見えていたけれど、突き詰めて考えてみれば、台湾で出会っている人に結構言われていることでもあるから、余計に自分が社会に適応できないような気持ちになるんだなと思った。

 まあ、ここで出会っている人達も割と限られた層の人達である。さらにここでいう「社会」とはなんだ?という話でもある。それに気づけたら、もう少し大きく構えられるよなあ。

 

 友達の発言から色々考えもしたけれど、ああ私は祈りの空間が好きで、この場に居ることが心地よいと思うのだから、私はそれを大切にできればそれで良いんだって思った。

 自分で日記を書いてて楽になったので、今日のところはおしまい!(なんとここまで6000字!)おやすみなさい!明日も道教のお祭りだ。