きのこのこの雑記帳

どきどき台湾留学2018.9.1~ 沖縄と民俗と言葉と本と

令和になった日

 

 この前の元号発表がそうであったように、今日もまた日記を書いてから寝ようと思う。ただし、夜も遅いので手短に。

 

 今日、令和になった。

 私にとっては生まれて初めての改元である。

 

 日本は10連休の真っ只中なのかもしれないが、台湾は昨日も今日もそして明日も平日である。いつもと同じように時間が流れている。だからこそ、日本のお祭り騒ぎが異様なものにうつっている。イマイチ、その「空気」に乗れない自分がいる。

 

 改元の瞬間はyoutubeで渋谷の中継を見ていたし、TBSのニュースがオンライン配信されていた。実際のところはどうなのだろう、と思うけれど、テレビを通してみる日本はお祭り騒ぎだ。

 

 私も今日はテレビに張り付いていた。授業を休もうかと思ったくらい、昨日・今日のテレビは面白い。宮中儀式の様子が中継されるのは貴重な機会である。恭しく扱われる三種の神器、それからお召し物。その一つ一つにある膨大なコンテクストと読み取りたいと思う。そうした所作の一つ一つが「近代日本」を作ってきた要素に思えるから。

 

 ただ、テレビはちょっと騒ぎすぎじゃないかと思うけど。

 それに、今の私の情報源であるツイッターでは、改元に合わせて面白いツイートやタグ、いわゆるエモい話も流れてきた。私もツイッターは大好きで、そうした話に思わずいいねもしたくなるんだけど、時代の「空気」に流されて見えなくなるものがあるんじゃないかと思うと少しこわい。新しい時代になるからと言って、過去が今につながっていることも、今が未来をつくることも変わらないはず。

 

 また、ツイッターやテレビを通しておもしろいって思ったのは、大晦日みたいな空気が漂っていたことであり、そういった過ごし方をしている人が居たことである。大掃除とか、初詣でとか。これはどういうことだろうと思った。新年を迎えることと、改元ってそんなに似ている?

 

 本当にごくごく勝手な考えなんだけども、これには今のお正月が新暦基準であることが関係しているのかもなって思った。旧暦・農暦の方がより季節に適していて、旧暦のお正月とは「迎春」「新春」であった。もうすぐ寒さが和らいで、生命が生まれる春が訪れる。循環的な時間の中で、正月は「めでたいもの」であったのではないか、と思う。さらにいうと、正月は歳神を迎える時でもある。

 

 そもそも、改元ってめでたいことなんだろうかとも思った。

 明治以降、改元天皇の死と結びついていた。平成生まれの私は知らなかったけれど、今回の改元に関連して昭和から平成に変わった瞬間を見ているとびっくりする。皇族はもちろん、アナウンサーも喪服を着ていて、自粛ムードが漂っているからだ。お祭り騒ぎの今回とは雰囲気が全然違う。

 じゃあ、近代以前の改元とはどうだったのだろうと思う。ただ、近代以前の改元は、それこそ色んな理由で変えまくっているから、そちらも何ともいえない。近代以前の改元にはゲン担ぎのような役割もあって、それこそ宗教的である。

 私が興味をもっているのは庶民生活の方。庶民は改元をどう見ていたのだろうか。江戸の識字率が高かったことは有名な話だ。大学の授業で読んだ江戸時代の本の中にも、たくさん元号が出てきた。しかもその本は、江戸の庶民が読んでいたという本だ。元号がどれだけ浸透していたかが垣間見れる気がする。でも、江戸以外の地域はどうだろう。絵暦が使われていた地域がある。そうした地域において、改元はどのように伝えられていたのだろう。

 

 そうやって考えていくと、色々と調べたいことがたくさん出てくる。そういう意味でも、やはり日本で改元を過ごしたかったかもしれない。日本の異様な空気を体験して、自分の疑問に答える形で本を読み、同じような人達と色々話したかった。もちろん、改元を海外で過ごせるのは貴重なんだけれども。

 

 台湾は、クリスマスもハロウィンも日本ほど賑やかではない。台湾のクリスマスを大変したくて、教会にまで行ったけれどやはりそれは厳かなものであり、日本のケーキを食べるクリスマスとは全く違った。

 台湾のお正月とは、あくまでも農暦の1月1日が本番であり、新暦の1月1日とは分けて考えられている。今年も1月2日からテストがあり、日本の友達がお正月休みを満喫しているのを横目で見ながらテスト勉強をした思い出がある。とてもつらかった。時の流れ方が日本と台湾では異なるようである、と思う。他の留学生の話を聞いたり、逆に同じタイミングで違う国に留学している友達の話を聞くと、日本と台湾に限らずどこの国にでもあることだと思うけれど。それこそ、「日本」と沖縄だって異なる。沖縄のカレンダーには新暦の他に旧暦も併記される。(台湾と同じである)私の中にも新暦と旧暦、二つの時間が流れている。いや、日本だって新暦の他に旧暦も月後れもあるはず。うまい具合に使い分けられていて、普段は意識されていないかもしれないけれども。東京などの一部の地域を除いたお盆だって、月後れなわけだし。

 

 そうやって一年の流れの中で考えてみると、循環する時間の中を区切って意味をつけていくのは人間なんだなあと思う。地域によって時の感覚が違う。余談だけれど、そういうことを感じられていることは、私が1年留学を選んでよかったなあと思う理由の一つである。半年の留学では見られなかったものが1年の留学では分かることもあるのだ。留学期間の長さのメリットは、単なる語学力の問題だけではない。もちろん循環する時間の話は、大学入ってすぐに習うことだし、頭では理解できている。でも肌で感じられるのが留学の醍醐味である。私には生まれ育った沖縄と、あこがれを募らせて大学生活を過ごしている関東、そして台湾という三つの場所、時があって良かった。

 

 閑話休題

 新年や季節感の話とは違って、元号が変わるというのは循環的な時ではない。むしろ直線的である。そういう意味ではまた意味合いも変わっていくことには注意しないといけない。

 

 うーん、色々書き足りないけれども睡魔がやってきたからこの辺で。

 次の改元はきっと日本で過ごす。

 昭和から平成の改元と、平成から令和への改元の様子が異なるように、次の改元もどうなっているか予想できない。今回の改元と、次の改元では何が違って、何が違わないのか。そのことがもつ意味は何なのか。時代の「空気」に流されるのではなくて、その後ろにあるコンテクストを読み取れる人になりたい。適当なことを書き連ねてしまったけれど、それまでに頑張っていこうと思った。だって、そういうのが面白くて仕方ないんだもの。