雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

近況報告:秋になった北関東でちゃんと生きています

 

 熱い日差しが照り付ける沖縄に住んでいたこと、ましてや私が中国語を操って台湾で生活していたことなんて嘘のように、私は今北関東の暮らしにすっかり馴染んでおります。

 写真は、沖縄から茨城空港への飛行機。窓から田んぼが見えて、わぁっとなった。そう、これがわたしの知っている北関東だ。約一年の留学と、二か月の夏休みを経て、私は元居た大学に戻ってきたのだった。ただいま、わたし。ちゃんと大きくなって帰ってくれたかな。

 

 今回お引越しをしたのも大きな生活の変化だった。今までは大学の学生宿舎に住んでいたんだけれども、学生宿舎で悶々と息詰まった記憶がよみがえってくると、どうしても戻りたくなかった。そうこうしているうちに同じタイミングで留学から帰ってきた友達とルームシェアをすることに決まったのだった。自分で契約したアパートに住むのも、友達とルームシェアするのも、はじめての体験で、留学が終わっても刺激的なことはそこかしこにあるなあと思った。友達とのルームシェア、相手の生活が染み込んでいくような感覚があって、今までにない生活です。色々あるけれど、それなりに楽しくやっている。

 

 ただ、冷蔵庫などの大きめの家電は友達が預かってくれていたとは言え、移動手段がほぼ自転車しかないこの土地で新しい住環境づくりを行うのには骨が折れた。数キロ先のニトリやホームセンターまで往復して、100均に行って、スーパーにも行って、そうしているうちに、残り少ない夏休みはなくなり、新学期がやってきた。

 

 

 久しぶりの日本の大学は緊張したし、やっぱり楽しかった。単位互換問題や教育実習のことなど、頭が痛くなるような問題は次々起こって、そのたびに心がいっぱいいっぱいになってちょっと泣いていた。

 

 現状報告、実は卒業単位が足りてなく、さらに言うとその足りていない単位は今学期履修できず。このままだと確実に卒業が怪しくなっているんだけれども、台湾大学での単位をどうにかこうにか互換することで何とか卒業しようとしている。でも、その結果が出るのは11月で、まだまだ不安はある。この件について泣きついたら先生方がたくさん相談に乗ってくれ、どうにかこうにか単位互換が成功するように、そして万が一単位互換が失敗しても卒業できるように、と作戦を立ててくれた。本当にありがたい。

 

 それでも今学期もわたしの履修はパンパンで、卒論込みで30単位。正直4年秋学期の履修ではない。でも、久々の母語で受けられる授業が面白くって、今学期はがっつり集中して聴いていることが多い。

 日本の大学に帰ってきたことの感想はまたどこかで書きたいんだけれど、一年離れていたからか日本の大学の良さもたくさん感じている。なんかさ、台湾の本科留学生がよく「日本の大学生は遊んでばっかりでしょ~笑」とか言っていて、私もモヤっとしながらうまく言い返せない、みたいな感じを繰り返していた。日本の大学生は勉強しないという固定観念が私自身にもあった。でも、帰ってきてから思ったのは「日本の大学生は勉強しない」ってことはなくて、ただ単に私が勉強していなかったんだということ。私の友達は卒業単位を取り切っている子ばっかりだけれども、最後の学生生活だからとみんな結構授業を取っている。そういう友達に刺激され、わたしも今まで一度も触れてこなかった考古学とかも履修してみたり。これがまた面白いんだ。わたし、絶対考古学好きなはずなのに今までタイミングがなくて履修できてなかっただけだったわ。日本での学びと、台湾での学び、その種類が違うんだよね。言葉を覚えて、生活をしながら、肌で学んだことはたくさんある。その一方で、母語だからこそ到達できる深さもきっとあって。日本に帰ってきて、良さがまた発見できて良かったと思う。

 

 教育実習もこのままいけば、来年の9月に行えるはず。しかも、大学に入ったときから「ここで実習できたらな」と思っていた学校で。教科は日本史です。本当は国語という手もあったし、最初はそのつもりだったんだけれども、いろいろあって変わった。大学に入った時から変わってないことも、変わったこともあって、そういう積み重ねがこの四年の成果のようにも感じたり。変化も、変化しなかったことも、私がここで色々考えてきたことの結果だもんね。

 進路は未だ未決定で、来年の予定が全然決まっていない私だけれども、とりあえず教育実習を行うことだけは確定。この予定は、ふわふわと浮いていた私の心を留めてくれた。教育実習を行ったあとのことは、またおいおい考えようと思う。そもそもまず、教職関係の集中講義は怒涛のようにあるし、教育実習までの道のりも楽じゃない。

 

 

 それから、留学終了後に受けたHSKの結果が出た。なんと5級、6級同時合格。5級はさすがに受かっただろうと思っていたけれど、6級に関しては過去問を解く余裕もなく、手ごたえもよく分からなかったからびっくりした。HSK6級は最高級なので、HSKの受験はこれにてとりあえず終われる(スコアにこだわったらキリがないんだけれど)留学中はあんなに「中国語ができない」とがんじがらめになっていたけれど、目標をすんとクリアしてみると、イマイチ実感がない。HSK6級保持者はもっと中国語できると思っていた、というのが正直な感想。嫌味ではなく、だって、だって、わたしはまだまだだという意識がある。

 

 実際にHSKの結果が出た翌日に大きな試験があった。私の進路に関わる大きな試験。(結果が出るまでボヤして書く)中国語はその試験科目でもあったんだけれども、やっぱり難しかった!これはHSK6級が大したことないってわけじゃなくて、私が「どういう場で、どんなふうに中国語を使いたいか」というところに肝がある。

 台湾で出会った日本人の多くが「HSK6級はある意味スタート地点にすぎない」と言っていた意味がわかる。道はどこまでも続くのだ。そうは言っても、留学前にゴールだと思っていた場所を通過点と思えること、これには自分自身の成長を分かりやすく感じられて良い。評価するところはしっかり評価して、でも次をしっかり見据えていきたい。この中国語能力をキープしたいという消極的なところではなく、これからもどんどん伸ばせたらなあと思う。

 

 またその大きな試験の為、今月は民俗学の勉強もしっかりした。試験勉強というのが苦手で、あんまり集中できなかったなあというのは反省なんだけれども、同時に半ば強制的に体系だって何かを勉強する機会もまた貴重だなあと思った。概説書を何冊か通して読んで、分厚い中項目の民俗学事典を通しで読んで、また小項目の民俗学事典を覚えて、直近5年分の雑誌も読んで。恥ずかしいんだけれどもそうしてやっと自分が専攻しているものが一体どういうものなのか、うっすら分かった気がする。いや、まだ分からないんだけれども。学史もちゃんと勉強して、自分の居る大学がどういう大学なのか。また自分の問いが学史上のどこに位置付けられるのかも考えたり。

 

 試験そのものの結果はまだまだ出ない。試験勉強しながら自分の至らなさをひしひしと感じていた日々だったし、今回だめでもすんなり立ち直れるような気がしている。チャンスはまだあるので、今回だめなら次の機会に向けてまた頑張ればいいやと思う。試験勉強の開始が遅れたのも、その手の勉強があまりできてなかったのも、留学していたことが影響しているんだけれども、試験勉強をしながら一度も留学を後悔しなかった。わたしはその時々で自分が一番いいと思う決断をしっかりしているんだから、その先どこに何が繋がっているか分からないけれど、大丈夫な気がするのだった。

 

 秋になった北関東でちゃんと生きています。

 以上、近況報告でした。大きな試験が終わったおかげで心にちょっと余裕ができたから、またこうして日記を書きたいね。