雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

大学院合格していました

 

 この前の日記でちらっと書いたけど、10月末に行われた大きな試験の結果が出た。合格発表は10時、1限目と2限目の間の休み時間で行われた。トイレに籠って、息をひそめて、その結果を見た。自分の身体が次第にこわばっていくのが分かる。でも頭の芯の方は冷めていて、どこか冷静だった。自分の番号を見つけた時、真っ先に来たのは安堵で、嬉しさはジワジワやってきた。合格していた。よかった、本当に良かった。

 

 来年の春から、わたしは大学院生になります。

 

 留学中、「日本の同級生は専門性を高めているのにわたしは全然だめだ」と思っていたのは、この大学院試を見据えていたから。一年留学して4年で卒業したいと思っていたのも、進学を考えていたからでした。

 7月末に帰国して、夏休みは沖縄で調査して、勉強をはじめられたのは結局9月からだったし、本当に間に合うかぎりぎりのところだったと思う。現に過去問を一通り解けるようになったのは院試の一週間前だった。



 先生方、先輩方に「大丈夫だよ」と励まされるたびに「ああ、これからこの期待を裏切るのか」と思ってたし、「結構難しいからねえ」と言われると「もうダメだ」と思っていた。同級生はみんな進路が決まっていることもつらい要因だった。単位互換の問題も抱えていたし、そもそも日中の授業も多いからいっぱいいっぱいになって、卒業を伸ばすことを何度も何度も考えた。

 

 ただ救いだったのは、勉強していることが楽しいと思えていたこと。気持ち的には大分追い詰められていたけれど、民俗学事典を持ち歩いて、付箋だらけにして読んでいるのが楽しかった。わたしの大学生活、興味の赴くままに走ってきたけれど、それを整理する貴重な時間だったかもしれない。低いスタート地点だったからこそ、一日いちにちの伸び幅も大きくて、昨日の自分より今日の自分は確かに進んでいるのだと思えた。そういう気持ちがあったから、今回の結果がダメでもまた挑戦しようと思えていたのだと思う。

 

 


chAngE Miwa

 

 

  私の受験ソングはmiwaのchAngE。といっても、ひたすら聴いていたのは高校生の時で、大学入試の直前にもこの曲を聴いていた。今でも覚えている、高鳴る胸の鼓動を抑えながら音楽を聴いていた時のこと。

 

 chAngE なびかない 流されないよ

 今感じることに 素直にいたいの

 

パターン化したこんな世界じゃ 自分が誰なのか分からなくなる

枠にはまりたくないわ 決めつけないでよ

 

 あの頃の自分は、とにかく今を変えたかった。沖縄で感じていた閉塞感。高校に居た時は自分を否定されているような気がした。だから、絶対に沖縄を、実家を、あの環境から出なくちゃダメなんだと思っていた。あの焦燥感にも似た、切実さ。自分の中の熱い感情が沸き上がってどうしようもならない時があったから、私は今ここに居ると思うし、大学に入ってわたしは確実に変わった。

 今では信じられないけれど、高校入学時には今いる大学の存在すら知らなかった。私は沖縄の大学とか看護学校に行って、沖縄から出ずに人生を終えるものだと信じてやまなかった。私が行った高校だって、高校受験の時には「あんたがあの高校でついていけるわけない」と母に言われていたし、結局沖縄を出たことに対する罪悪感はある。進路選択時に誰かがかけてくれた言葉とか、小さなちいさなきっかけが積み重なって、いまがあるけれど、そうじゃなかった人生もかなりリアルなものとして自分の側にはあるのだった。

 

 大学に入って、これまでの人生では出会うことのなかった人たちに出会った。それは引け目にもなったりしたけれど、新たな道が見えるようにもなった。勢いで決めた留学も、友達や先輩が海外に飛び出していくのを見て決めた。そうして得たものは大きい。大切なものを得られたからこそ、高校生までの自分が感じていた閉塞感もいつの間にか感じなくなった。ただ、得たものが大きいからこそ、自分が子供の頃に描いていた未来図との差も大きくて。そこに対する戸惑いも、確かにある。

 

 そうやって思い返すときに、18歳の時の自分の切実さを、21歳の私はちゃんと受け止められているのか、と思う。18歳の時がらりと進路を変えたこと、その後の生活。大学院試の勉強をしながら、大学に通いながら、miwaのchAngEを聴いて、あの切実さを思い出せば出すほど、あの切実さから遠ざかっているのを感じていた。いつの間にか思春期は終わってて、あの時「絶対に忘れない」と思った感情までもが遠くにある。

 

 大学院に合格して安心したのは、進路未決定の不安から逃れられたこと、プレッシャーからの開放以上に、あの時の自分を裏切らずに済んだからだと思う。私はいまも、自分で最善だと思う道を選んで、そこでちゃんとやれることをしっかりやっていますよ、という自信を持てて良かった。

 

 大学に入って「私は変わった」と思うところ、高校の頃の自分なら人文系で大学院進学という進路は選ばないだろうなあと思う。高校の頃自分が辛かったのは、周りが押し付けて来る「正しさ」に敏感でありすぎたのだろう。高校の勉強をせずに文章ばっかり書いて好きな勉強ばかりしてごめんなさいとか、学校に馴染めずに学校行けない日があってごめんなさいとか、常に思っていた。偏差値教育に反吐が出ると思っていたけれど、反吐が出るのはそれを自らが内面化しているからだとも意識していて、そんな自分も嫌いで仕方なかった。「大切なのは自分がどうありたいか、それだけだよ」と言ってくれる大人は周りにいたのに、その意味がわからなかった。

 

 でも、今は自分が最善であるという道を選んで、そこに対してきっちり結果も貰って。社会的にそれが「賢い」生き方なのかどうかなんてどうでもよいなあと思えてしまうのだった。もちろん、経済的なところなどはしっかり考えているし、いつまでも親の支援を受けているわけでもない。だから、誰かに何を言われても知らん顔すればいいし、自分は胸を張れる。もちろん、その思いが揺らぐ日もあるんだけれど。

 大学院に合格してジワジワ込みあがってきた嬉しさはそういう類の実感でもあった。ああ、良かったなあ。春からの生活で、何が変わって何が変わらないか分からないけれど、新生活を楽しみに思えることが幸福だ。

 

 

 次は12月中旬までに卒業論文を書く。分かりきっていたことだけども、日々が目まぐるしい。でも、年末まで走って走って走り抜きたい。