きのこのこの雑記帳

どきどき台湾留学2018.9.1~ 沖縄と民俗と言葉と本と

春学期オンライン授業の良かった点、悪かった点(受ける側)

 


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 秋学期が始まった。春学期は地元に戻っていたけれど、いまは北関東のアパートに戻って、授業を受けている。秋学期もほとんどオンライン授業だけれど、場所が違えば心境も変わる。そう思ったときに、新型コロナウィルスの混乱の中の春学期のことも忘れたくないなと思ったから、ここに記録しておきたい。

 

オンライン授業、受ける側の工夫および良かったこと
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 大学院生になった実感を持てないまま、オンライン授業がはじまった。大学院生なのでほとんどの授業がゼミである。

 その1

 学部生の話題となっていた「課題の多さ」はわたしも実感していた。スケジュール管理が大事なんだと思っていて、うかうかしてると課題の存在そのものを忘れてしまいそうだった。なので、写真みたいにホワイトボードに課題と締め切りを書き出して、冷蔵庫に貼っていた。そのおかげで、課題に追われることもなければスケジュール管理で失敗することもなかった。これは良かった。

 

 その2

 オンライン授業予定もホワイトボードに書いたこと。実家には弟も住んでいて、彼もまたオンライン授業を受けていた。お互いに静かにしたほうが良い時間を把握するためにも、オンライン授業予定を書き出し、冷蔵庫に貼っておくルールを作った。これがあると、授業が始まる前に掃除機をかけようかなとか、弟の授業中は静かにしないといけないからこの時間に買い物行こうかなとか、一日の見通しが立てやすかった。

 

 その3

 これは大学院生として良い点とも言い切れないけれど、比較的多めの履修を組んでいた。授業が無ければ生活リズムがよりひどいことになると自分でも分かっていて、授業があることが日々のペースメーカーになれば良いと思っていた。あと、新型コロナウイルスの関係で実家に戻ったものの、実家があるのは大学から2000キロ以上離れたド田舎。田舎に残っている友人も少なく、たとえ授業であっても人と関わらないと孤立してしまいそうだなと思っていた。授業があったとしてもオンラインだから雑談等ができるわけでもないけれど、それでも気晴らしになっていたことは確かだ。

 それから、通常なら気後れして履修しないような他専攻の授業もたくさん取っていた。(民俗学専攻に対して、言語人類学、文化遺産論、宗教学等々)他専攻といっても、繋がりは十分あるものばかりで。大変参考になったと思う。他の学問領域で論文を書くことはないと思うけれど(書ける気がしない)それでも、そのディシプリンでどんな考え方がなされているのか、学史があるのか。様々なジャンルの論文や専門書が読めるようになることには大きな価値があると思う。

 大学院にも存在している共通科目(総合科目)も、少しでも興味があったら取っていた。たとえば障害科学の授業を取っていた。災害時に障害者が困ることとか、アプリでの支援とか、実生活で役に立ちそうな話ばっかりだった。そして夏休みに行った教育実習においてすぐに役に立ったのだった。

 

 その4

 授業の合間には散歩に行くようにした。運動は大嫌いだったはずなんだけれど、20歳を超えて身体を動かすことにはメリットがたくさんあるって気づいた。何より、気分を切り替えるなら散歩が一番。実家周辺は自然が多く、海も近いため、サトウキビ畑を抜けて海を見に行くのが毎日の散歩コースだった。新型コロナウイルスで世間がピリピリしていた4月頃、このひとときにどれほど癒されたことか。私は高校卒業と同時に地元を離れていて、実家に住むのはそれ以来、かなり久しぶりのことだった。だからか、忘れていた地元の季節感をたっぷり感じる時間でもあった。季節によって、太陽の照り方はこんなにも違うんだ。風の吹き方も匂いも変わるんだって気づいた。帰省中に行う民俗学調査だと目で見て分かること、お話を伺って知ったことに注目しがちだけれど、実際の生活世界はこんなにも複雑なのだと肌で感じた。

 

 その5

 これも良いことか分からないけれど、ドリンクにハマった!オンライン授業だと気軽に飲み物が飲めることもあり、飲み物くらいでしか気晴らしができないこともあり。祖父からもらったパッションフルーツフルーツティーを作ってみたり、無印良品とカルディのチャイを飲み比べてみたり。業務スーパーにもよく行ったし、たくさん試した気がする。ルピシアのフルーツ麦茶も美味しかったな。もちろん、コーヒーもよく飲んでいた。生活の中では当たり前になっていたから、特記することもないと感じるけれど、閉塞感溢れる日々だとそういうちょっとした楽しみに救われる……。

 

オンライン授業の反省

 その1。これは特段オンライン授業のせいじゃないかもしれないけれど、とにかく昼夜逆転はだめ!昼夜逆転が酷かった。5時とか6時、鶏の鳴き声を聞きながら寝ることとかもあった。睡眠不足はメンタルヘルスに直結するので、睡眠時間はしっかり確保しようと決めてるけど、寝るタイミングも大事だと知った。ものすごく知った。同じ7時間睡眠でも、起きたときのすっきり度が全然違う。自分にとってベストは12時から8時、23時から7時あたり。2時を過ぎると翌日の朝ダレる。この辺を知ったので、できるだけがんばりたい……。

 

 

 その2。授業に集中できない。はい、根本的に駄目なやつ。自分でも分かっていることとして、視覚優位な人間なんです、わたし。耳の情報を処理するのが本当に苦手。なので、先生や院生の話にだけ耳を傾け続けると、意識がどっかに飛びまくっていた。対面なら板書なりなんなりがあるんだけれど、オンライン授業、しかもカメラオフだときつかった。さらに、環境としても教室ではないのでダレる要因がたくさん。すぐにスマホ触りたくなっちゃう。

 

 そこでやるようにしていたのは、レジュメを事前印刷しておくこと。(当たり前とか言わないで)オンライン授業、パソコンで受講してレジュメもタブレットで読んじゃえばそこで完結できちゃうんだけど、手間でもレジュメを印刷するようにしていた。そして書き込みながら聞くようにしていた。レジュメがないような授業でも、いつも以上に先生の発言をメモするようにした。いつも以上に、というのがミソで、その意識で話を聞けるようにしていた。

 

 その3。家から出るのが億劫になり、文献を手に入れるのが大変。地元に帰ったものの、新型コロナウイルスの流行状況が悪く、地元の大学は学外者立ち入り禁止、県立図書館も閉館。この二か所が閉まってしまうと、学術書の類は手に取れなくなる。しかも仕方がないから購入しようとも、学術書の類を売っている本屋は県庁所在地のジュンク堂のみ。ジュンク堂にも売ってなく、アマゾンで買おうとしても届くまでに1週間以上かかるわけで、かなーーーり難儀していた。春学期のゼミ発表は基本的に手元の文献で何とかしようとした為、結構荒いものを発表してしまった気がする。仕方なかった点もあるけれど、改善点としては大学の近くに住んでいるうちに書籍をコピーしたり、スキャンしたりしておくこと、気になる本が古本で見つかった時には(財布の許す限り)購入しておくこと、あたりが考えられるかな。

 いまわたしは北関東の大学院に所属しているけれど、将来的にはやっぱり地元に戻って研究を続けたい。そう思った時に書籍をはじめ、研究を続けていく土壌が揃っているとは限らないわけで。できるだけ本は手元に残していくようにしようと思った。蔵書は財産である。ちなみに、春学期の途中に大きめの給付奨学金が獲得できたこともあって、月1,2万は書籍に使えるようになった。図書館が使えないこと、ネットで本を買っても届くまで時間がかかることは変わらないけれど、このことで少しは状況が改善されたかな。

 

その4

 ずっと家に居ると飽きる。わたしは飽き性でずっと同じところに居るのも結構つらい。コロナ前なら、大学の図書館(大学内に4カ所あった)を移動したり、カフェに本を読みに行ったりしていた。実家に戻って唯一可能だったのは、海辺で読書かな。でもこれは太陽が本気を出してくる前までの期間限定のこと。それから、祖父母宅に顔を出しながら勉強していたこともあった。ただ、まあ、もちろん、がっつり集中は難しい。わたしの地元はいまもなお、新型コロナウイルス流行下にあるけれど、カフェに出かけるくらいはできるようになって欲しいなあ……。でもまだ難しいのか……。この点はどう改善できるのか、まだまだ考え中。隣町あたりに有料の自習室とかあれば利用してみたい気もする。

 

 

 

 とりあえず、ざっとこのくらいかな。新型コロナウイルスに脅かされる日々はまだまだ続きそうだけれど、うまいこと付き合っていきたい。

 

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』読んだので感想文

 インスタやFacebookでよく見かけた本を手に取った。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』って本。

 

 

 

 

 英国で保育士として働く著者の息子が「元底辺中学」に入学し、様々な問題や出来事に遭遇していく日々が母親の視点から描かれている。これがまた現代的というか、人種差別、貧困、LGBTQ、いじめ、デモ、ニュースで取りざたされているような出来事がたくさん出てくる。そして、聡明な著者の息子は一つひとつ自分のこととして考えていくし、この進学先の中学校が「元底辺中学」というのが肝で周りの大人もたくさん考えながら子供を見守っている(ように見える)。もちろんそう簡単にならない現実も描かれているけれど。

 

 「話題になっていたし」と手に取ったら、ページをめくる手が止まらなくなって、気が付けば一気読みしていた。その後TAやっている授業の準備があったから、本のことを考えながら大学へ向かったんだけれど、今まであった色んなことが頭に浮かんでは消え、泣けてきちゃった。

 

 例えば、7章の「ユニフォーム・ブギ」。制服を買えない生徒のため、制服リサイクルのボランティアの話だ。著者と息子「ぼく」は、貧困家庭で制服が買えなくて困っている友人に、いかに自然に制服を手渡すことができるか苦心するんだけれど、その優しさが自分にも沁みてくる。

 

 あ、そういえば、と思った。私は中学生の頃、双子の弟と同じアルトリコーダーを使っていた。中学校三年しか使わないアルトリコーダーを一人一本買う必要はない、っていう判断だったと思う。でも、思春期の男女の双子がリコーダ―を貸し借りしている様子は、いじめにつながらないか先生たちはやきもきしていたのかもしれない。ある日、先生が音楽準備室に呼び出して「余っているから」とアルトリコーダーをくれた。その時、私たち双子は何を思ったか覚えていない。「別に良いし」という反応だったかもしれない。不意にこのことを思いだしたのだった。あの時アルトリコーダーをそっとくれた先生の優しさに10年近く経って気づいた。

 

 そしてもう一つ頭に浮かんだのは、最近出会った女子高生のことだ。何かの拍子に彼女に「うち、母子家庭なんですよ」と言われたから、「私も母子家庭で育ったよ」と返した。そしたら「母子家庭なのにこの大学に合格したってすごいですね」と言われた。なんかもうびっくりしちゃって、何も言えなくなってしまった。私の中では、母子家庭と「今居る大学に行けてすごい」がどうにも結びつかないのだった。(ちなみに、「沖縄出身なのにいまの大学に行けてすごい」も言われたことある)私の地元は塾に満足に行けないような田舎だし、本屋もなかった。上のエピソードからも分かるように経済的に恵まれているわけではないから、新品の本を買うようになったのは、奨学金を貰うようになった大学生になってから。(それでもブックオフオンラインやメルカリで買うことがほとんどだ)確かに、そういう面でハンデはあったと思う。でもだからと言って、「母子家庭だから○○大に行けない」って思ったことはなかった。

 

 それはそれまでさりげなくサポートしてくれた大人のおかげだと思う。高校合格祝いにkindleをプレゼントしてくれた友達のお父さんのおかげで、青空文庫が大量に読めた。那覇の県立図書館に行くって言ったら、帰り道だからって送ってくれた先生。(結構な遠回りになっていたことを後で知った)とある文学全集が欲しい話をしたら「使い道のない図書カードだから」とくれた大叔母(使い道のない図書カードってある??ないよね?)(しかもぴったり文学全集が買える金額だった)全部ぜんぶありがたかった。

 

 それと同時に、「母子家庭なのに」と考える高校生のことが気になった。どうしてそう考えるのだろう。大学の入試偏差値とは関係していないような気がする。もちろん多少はしているのかもしれないけれど、彼女とわたしの出身高校の入試レベルはそう変わらないし、さらに彼女は特進クラスに居るわけで、高校生の頃の私より成績も良いのだった。たったひととき彼女と関わったわたしが「大丈夫だよ」とか「そんなこと関係ないよ」とは安易に言えない問題がそこにあるような気がした。わたしはもう彼女と会う機会もない。ただ、自分と同じような家庭で育った子に会った時、何を言えるんだろう。

 

 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で「元底辺中学」に入った息子がぶつかる様々な問題は決して英国だから、ではなくて。7章だけではなく(ちなみに言うと、私はそれこそリサイクル制服を着て登校していたし、まわりも当たり前だった)本全体にわたって言えることなのだった。「うんうん、わかるなあ」と思うことも、「この言葉が出てくるのはすごい」と思うこともあったけれど、本を通して素敵なのは、自分の肌で感じたことを自分の頭で考えて、言葉にして、それにまた耳を傾ける人がいるってこと。「私も」と言ってもそう簡単なことではないけれど、自分を熱くさせるものがあった。

 

約1ヵ月、ちゃんと高校に通えた話

 

 教育実習を終えました。

 

 約一か月、関東の高校で日本史を教えていた。大学生活、教職が大きな比重を占めていたから、一つのヤマを越えたんだと思う。新型コロナウイルス流行下、そもそも出来るのかぎりぎりまで分からなかった。それに、毎日の引きこもり生活で体力は落ちていて、1ヵ月の教育実習ができるのか不安でたまらなかった。

 

 ううん、それだけではない。わたしは自分の高校生活が苦しくてたまらなかったから、再び高校に戻ることに不安があった。それなら「何で教職を取ってるんだよ」って話ではあるけど、高校を経て、教育に疑問があったからこそ、教職課程を受けてみたかった。教職課程を履修していくうちに目的は増えたり減ったりしたけど、最初の動機は確実にこれだ。

 高校をクソだと思っていたから、教育で有名な大学の教職課程を「どんなもんか見てやろう」と思って履修していた。そうするうちに、あの頃の自分を救うような言葉に出会ったり、あの頃を思い出してムシャクシャしたり、なんだか面白くなってここまできた。教員になるかは分からない。

 

 自分の高校時代、1ヵ月丸々登校できたのはどのくらいあっただろうか。たぶん、とても少ない。高校1年の1学期を除けばほとんど無いんじゃないかって思うくらい。

 

 でも、立場を違えて向かった高校は案外平気で、案外楽しかった。

 

 もちろん噂に聞いていた通り、実習そのものはハードだった。夏休み期間に手探りで作っていた指導案は全て現場で通用せず、一から書き直したし、SHRの進行も授業も自分がいざやってみると基本的なことすらできなかった。先生ってこんなに視野が広くて、マルチタスクなんだなって知った。

 

 恵まれていたなと思うのは、実習の指導教官と同じ日本史の実習生仲間のことがすごく好きだったこと。自分よりすごい人が目の前に居ること、これはすごく刺激的なことだ。高校生相手の日本史の授業、こんなに作り込まれているものなんだな、と思ったし、それが無性に嬉しかった。(自分にできるかは別)最初の頃はお互いに緊張していたし、自分のだめさ加減にも悩んでたけれど、それでも実習が進むにつれ、どんどん楽しくなっていった。

 

 同じ実習生の小さなミスがやたら面白かった。指導教官の見守るような眼差しがくすぐったかった。生徒が全員帰った放課後、黒板の前で模擬授業をしたこと、指導教官が見ている部活動を覗きにいったらスーツのままでバレーボールしたこと、ずっと笑っていた気がする。

 

 生徒も可愛かった。40人を前にして話し続けるのは正直少し怖さもあった。これは立ってみないと分からなかったことだけど、高校生の感情のパワーはすごいし、高校生は想像以上にこちらを見ている。明るい高校生だったなと思うけど、教室の中には高校生のときのわたしみたいな生徒も居るんだろうなとも思う。教室に居るのがきつい子。

 

 実習生として高校にまた戻ってみると、教室にはたくさんの生徒が居て、わたしもその中の1であったことが思い出される。教室が窮屈でたまらなかった。学校に馴染めないやつは社会に出られないんだという呪いにかかっていた。高校を卒業して、一人暮らしとか留学とかアルバイトとかいろんな経験をして、高校に戻ってみると、やっぱり高校は窮屈である。

 

 でも、教室はあの頃の自分が思ってた以上に広かったなとも思う。いろんな生徒が居て、それぞれにはそれぞれのやりたいこと、考えてること、思ってることがあって。たまたまいま同じ教室に居合わせてるだけの彼らの可能性の広さを感じた。そして、彼らを見守ってる大人の多いことよ。彼らは何にも守られていないみたいな顔して過ごしているけれど、そのすごさよ。でも彼らは数年前のわたしであるし、彼らもあと数年したら働き出すのだと思うとすごい。

 

 教育実習、やって良かった。教職課程の集大成として学びも多かった。それに、そういう経験のひとつひとつが「あの頃のわたし」を救ってくれる。春休み、一番休んでた高1、高2の担任に「教育実習行くんです」って言ったら笑われた。でも「あなたがやりたかったことのフィニッシュなんだから行っておいで」との言われた。いろんな思いがどんどん氷解していく。

 

 最終日には生徒から寄せ書きとビデオをもらった。指導教官たちやHRの先生からありがたい言葉ももらった。わたしは「明るい先生」と言われることが多かった。大学入学以降、そういうことを言われることが多い。それは自己評価とはかけ離れているし、高校の頃そういうこと言われたことはなかった。でも、それだけわたしが楽しそうにしていたってことなんだなと思うと、やっぱり嬉しかった。

 

 自分が高校の先生になるかは分からない。いま自分がやるべきことは大学院生として自分の研究に集中することだと思う。でも、その先に高校の先生になれるかもしれないという可能性、そして自分の研究してることがそこで活かせるということ。そして、(マイナスの理由から)関心をもっていた教育について知れて、そのスコープで社会を少し見れるようになったことは大きいよなあと思う。

見晴らしの良い場所で

 

 沖縄に帰ってきて3か月。

 昼夜逆転しちゃっているし、関東に居る自分よりずっと頑張れていないと思うけれども、沖縄で、学ぶこと、その実感がふいに訪れたことがある。鍵垢のツイッターでバーッと書いて自分の気持ちを発散させて、それで終わりにしたって良いんだけれども、この気持ちをTLに流してしまうのもまた惜しくて、ブログにしました。

 

 私は土地神のことを研究したいと思っている。土地神のことで卒業論文を書いた。修士論文もそのつもりだし、もしものもしもで博士論文を書くことになってもやっぱりそのテーマだと思う。

 

 でも土地に対する信仰、その実感は全然分かってなかったんだと思う。

 沖縄に帰ってきて、祖父母の土地に建てた家に住んで、祖父母の畑が隣にあって。おじいちゃんが炎天下で毎日サトウキビの世話をするのを見ていて。収入には全然ならないのに、うちのおじいちゃんはそんなこと関係ないみたいに畑を大事にしていて。機械化できない農業は時代遅れだと思いながらも、それでもおじいちゃんはまた誰かが畑を続けて欲しいと思っていて。

 

 田舎だから自分にも相続する土地があって、その土地を見に行って。就職とか引っ越しとかそういう大きな決断をする時、「この土地をどうするのか」という問いが生まれるものだなと自分の問題として強く実感して。

 

 そうして、土地というのはそれを継承した祖先とのつながりを感じる場所であり、生活の基盤であり、(農業が主流な時代は特に)経済の基盤でもあったんだなと実感したんだった。言葉にすると簡単だけれども、いつもと変わらない、でも日々背丈が高くなるサトウキビ畑を前にして、「ほう」という実感があったのだった。

 

 そして、昨日は旧暦5月15日で5月ウマチー(地域の拝み事)があった。地元の方にも「地元の子」として参加した。うちの地元は元々山手の方に集落があったが、郡道が整備されたこと、生業変化の結果、現在では海手の平らなところに集落が移っている。でも、拝所は以前集落があった山手の方にあるから、自治会の人と草生い茂る斜面をぐんぐん登った。

 

 そしたら、本当に見晴らしが良い。自分の家が、いつも歩いている道が小さく見えて、緑の向こうにはきれいな海が広がっていた。すっかり上がった息を落ち着けるようにその景色を見つめていたら、やっぱりまた「ほう」という実感がこみあがってきた。「これ、山手に家があった昔は毎日見ていた景色だったんだ」と思った。山手に集落があった時代、平地には田があったという。裕福でない限り主食はイモで、米は大変に美味しかったとおじいちゃんから聞いた。つまり山手に集落があった時代、毎日自分たちの生活、経済基盤であった田を見ていた。一面の緑の絨毯だっただろうその景色はどんなだっただろう。刻一刻と表情を変える海を見て、その水平線の先に何を見ていたんだろう。その海の向こうから来たという土地神さまと、どんな思いで向き合っていたのだろう。

 

 大学の授業がある時だけの仮住まいでは、絶対にこの実感は訪れなかっただろうなと思う。新型コロナウイルスの影響で訪れるはずだった大学院生活は訪れなかったけれども、この土地で学べて良かったこともあるなと思った。学問を修めるうえでは、そういう個人的で感情的な実感をどう生かしていいか分からないけれども、それでもそういう積み重ねがあること。ここで生まれて、育って、ここを学びたいと思っていること。それはやっぱり大事にしたいと強く思う。