雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

今年の目標とともにふりかえる

 

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あと1時間で年が明ける。

はっきり言って2021年はここ10年で最悪っていう年だった。家族の病気も世界的に大流行している疫病も、自分自身の調子の悪さもあった。でも、最低限手を動かし続けたことで救われたこともあった。結果として、そういう年もあるよね、って言えるところまでは来れたと思う。総括おわり。今年のはじめに私はどのような目標を立てたんだっけか。

 

 2021年1月に立てた目標は以下の通り。

①健康

→△

 2021年はとにかく自分自身の体調、調子が優れなかった年だった。疲れやすくてとにかく寒くて、眠い。気力も沸いてこないことにずっと悩んでいた。大した病気ではないけど通院することになり、薬の副作用としても指摘されていたことだった。加えて家族のことで大きなストレスも感じていたから、ある程度は仕方ないと諦めていたけれども、今までの元気な自分と比べて活動率がガクンと落ちた。これが修士論文の焦りとも重なり、大変つらかった。あと嘔吐して熱出して寝込むことも数か月に一度やった。食中毒も。PCR検査は陰性だったけれど時勢柄こわかった。

 12月中旬になりようやく色々落ち着いたので、病院に行ったら橋本病といわれた。疲れやすいのも冷えやすいのも気力が沸いてこないことも甲状腺の問題として説明ができるのだが、私の場合橋本病の抗体はもっていても甲状腺ホルモンの値に大きな問題があるわけではなかったので、やっぱり橋本病は関係ないのかもしれない。血液検査したことで貧血等々も分かったので、サプリメントなども利用しつつ、来年も体に気を付けていこうと思う。

 ぼんやりと優れない日々を過ごしていたけれども、致命的に動けなくなることはなかったのは本当によかった。とにかく睡眠時間だけは確保していたおかげだと思う。今年の5月からは平日5日朝7時から9時まで中学校でアルバイトをしていた。このアルバイトのおかげで修士論文執筆期間も生活リズムが崩れることはなかった。ボロボロな一年だったけれど、最低限の人間的な生活を保ってくれたアルバイトだった。

 

②運動

→〇

 夏の間は週に一度プールで1キロ泳いだ。水泳を習っていた子どもの頃と違って、1時間泳ぎ続ける体力はなくなっていたので、水中ウォーキングを組み合わせながらだったけれど大変気持ち良かった。

 11月にはスマホアプリでピクミンブルームが登場し、特に修士論文執筆期間は大いに支えられた。全く進まない修士論文に比べ、ピクミンは足を動かすだけ着実に成長してくれるのが支えになった。足を動かして澄んだ空気を吸ったら気持ちも少し晴れて、また机に向かおうと思えた。ちょうどその時期から沖縄では軽石の漂着が問題とされていたこともあって、近所の海の軽石の具合を確認するのがルーティンにもなっていた。

 それから良い感じのヨガ教室を見つけた。年内には一度しか行けていないけれど、これから継続的に通いたい。

 新たにやってみたこととしては、ボルダリングがある。ボルダリングって壁についた石みたいなもの全てを使っていいわけではないって知っていた?私は知らなかったです。触って良い場所が限定されているから、どのルートで登るのかかなり頭を使った。なお、私はボルダリングジムに着いてから、自分が高所恐怖症であることを思いだした。ちょうど空いていた時間帯だったこともあり、ジムのお兄さんと友達(とても上手い)のアドバイスに従いながら何とか一つ課題をクリアしたけれど、高所恐怖症なのでそこから降りる方が怖くて仕方なかった。翌日は右の筋肉だけが大変痛み、自分の身体の使い方にはクセがあるのだと感じた。新しいことをやってみることには多くの発見があるから面白い。でも、相当怖かったからもう良いかな。

 

③読書

→×

 全然できなかった。研究が追い込まれると、趣味の小説やエッセイにも手を延ばすことができなかった。「いま読んでる場合じゃない」みたいな、でもそれを我慢したからと言って何かをするわけではなく、ぼけっと色々悪循環になる感覚。エネルギーがなくて読書に向かえなかったけれど、本を読むことは自分のエネルギー源でもあるので、やっぱり大事にしたい。

 

④茶道

→×

 こっちもね、茶道のセットを一式買ったもののなかなかできなかった。茶道のお点前に付き合ってくれる人が居ない、っていうのが言い訳。教室に通いたい。

 

⑤研究

→△

 修士論文は無事に提出できた。でも内容は全然納得いっていない。修士論文なんてそんなもんだとも考えられるけれど、自分自身全然頑張れなかったことも悔しい。でも字数だけはしっかり書いた。19万字。手だけは動かした。調査地の近くに住み、調査地で行われた祭祀の全てに参加した。院生として最低限のことだと思うけれど、この最低限をきっちりやれたおかげで、何とか修士論文を出せた。

 うちの事情を知っている先生から「(この状況で)出せただけで十分褒められると思います」とメールを貰ったことで大変救われた。でも、やっぱり実力主義の世界なのでこっちの事情とか関係ないよな、ということも分かっている。

 なお、今年は学会ではじめて発表した。突然発表依頼のメールを貰い、70分くらいの口頭発表をした。それから3月、4月には某研究員の申請書類と格闘していた。いい経験になりました。大学の方から某申請書の執筆について解説動画を作って欲しいと頼まれてるので(戸惑っている)どこかで文章にまとめるかもしれない。

 修論も含めてなんとかこういう研究活動ができたのは、琉球大学に科目等履修生として受け入れてもらえたからだと思う。在籍校もオンラインでずっと対応してくれていたし、琉球大学に科目等履修生として籍を置くというアイデアは在籍校の先生方のおかげで実現した。思い返すと研究活動は色んな人に支えられていた。もちろん調査地の方々にもたくさん支えてもらった。ありがたいなと思う。でもだからこそ、あのレベルの修士論文を提出したことが悔しい。


 あと、夏頃には某試験も受けてみたりしてました。こっちのほうはやればやるだけ点数になるので自信になった。

 

⑥語学

→△

 中国語のレベルが落ちていることに危機感がある。沖縄で中国語塾を探したけれど、入門から初級の教室が多くて、HSK6級を持っているというと断られてしまった。それで諦めたのが良くなかった。留学を見据えて、明確な目的意識のもとで頑張りたい。

 今年はスペイン語もかじった。世界のウチナーンチュへ興味がある。というか、「移動」に関心がある気がする。スペイン語、発音が分かりやすいからとっつきやすくて楽しかった。でも活用を膨大に覚える必要があり、苦手意識が……。とはいえ多言語を学ぶのって楽しいよね! 

 

⑦ドリンクを楽しむ

→〇

 こっちは達成!ルピシアの福袋がとてもおすすめ。コーヒーも豆を家で挽くようになったらもう戻れない。

 

⑧車の運転

→〇

 こっちもまあまあ達成。運転は決して好きではないけど、高速も乗れるようになったので、コロナが落ち着いたら沖縄県中どころか日本中を運転して色々見てまわりたい。


 今年の目標に対する達成率は50%くらい。でも修士論文提出という大きな目標が(たとえ不本意な出来であれども)達成できたので、全部チャラになる気がする。チャラにならなかった分は来年がんばる。

 今年もあと1時間。来年はいい年になりますように!

半年寝てたんだと思う

 

 近況、修論抱えてるくせにダメダメです

 

 なんかもっと大声で、いまのわたしがダメであることを言ってしまった方が良いんじゃないかって気がしてきた。

 

 環境のせいにはしたくないけど、やっぱり沖縄帰ってきてとてもしんどい。コロナは延々と続いてるし、家に帰ると大病してる母がいる。特に冬の頃、母との関係は決して良いとは言えなかった。母はこのブログをおそらく読んでると思うし(ハーイお母さん、見てる?)やっぱり家庭のことを書いてしまうのはどこかで躊躇する気持ちがあるので、今は具体的に書かないけど、本当にどうやったら救われるんだろうっていう状況だった。

 神経質な母が大病したことと、この世界的な感染症と、そもそも片親であったことと(なんなら父も病死してる)、母と弟とが不仲であることと、その全ての組み合わせが最悪である。 

   

 コロナによって大学院はずっとオンラインだったこともあって、母が大病したとの連絡を受けた際関東に居たわたしは、沖縄に帰ろうと思った。病院の送迎とか家の家事とかできることはやろうと思ったし、それができる立場にはあった。それまでしていた友達とのルームシェアは名残惜しかったけど、沖縄でも研究は続けられると思ってた。甘かったけど。

 

 病気をした母には余裕がなかったんだろうと思うし、母とは大学生活で物理的に離れてたから忘れてただけで自分の母はもともとそうだったのかもしれないけど、沖縄に帰ってからの生活で私は母にめちゃめちゃに傷つけられた。(傷つけられたというのは私側の視点であるし、おそらく私も母を傷つけてるんだろうけれど)

 

 母と弟と私、家族3人のうち、毎日誰かが泣いてるし毎日怒鳴ってた。大学生になってから誰かが怒鳴る場面に遭遇することはほとんどなかったから、とってもストレスだったし、わたしもイライラすると怒鳴るようになってしまった。恥ずかしいけど、いくら説明したって伝わらないし、怒鳴られたら怒鳴りたくもなる。そのあとに怒鳴った自分がとっても嫌になる。

 

 そのあと話し合いをして家庭状況も落ち着いた。その頃には母の治療も落ち着いた。

 母の病気は母のせいでは決してない、それそのものはとても残念なことである。でもその苦しみは私のものではない。そう思うようになったのも良かったと思う。最初の頃は、「大病してる母にこんなこと言ってしまった」という罪悪感でぼろぼろだったけど、一旦切り離して考えるようにした。(ここで不満が増えるようにもなった)

 

 ところがだよ、状況はだいぶ改善したのに、自分自身の気力というものが湧いてこないのだ。なんかずっと疲れてしまっている。

 

 沖縄に帰ってきて、家の事情とコロナの環境とでも研究を続けられるように工夫はしてきた。大学院のほうはオンラインで対応してもらってるし、沖縄の大学院にも科目等履修生として受け入れてもらっている。沖縄の友達とも時折会って、甘やかしてもらってる。すでに関係ができてた調査地では祭祀の参与観察もさせてもらっている。不幸中の幸いとでも言うべきか、母が外出しないので母の車を自由に使わせてもらってもいる。自分から提案して、大学院同期でも定期的にオンライン進捗報告会したり、沖縄の若手で交流会したりもした。その間に給付奨学金の継続も決まった。年間100万円の給付は、人文系修士ではこれ以上にないんじゃないかっていうくらい恵まれている。

 なのに、肝心の自分の気持ちがもうついていかない。自分でもびっくりしている。

 

 私はさ、体力こそないけれど、今まで結構気合いでなんとかしてきたタイプだった。経済的に困窮はしていたけれど、奨学金の申請書を書くのがまあまあ上手かったり、制度を利用するのが上手かったので、自分のやりたいことを曲げたことなんかなかった。だから、今回もなんとかなるだろうと思っていたのだ。

 

 でも今回のことで分かった。「気合い」とか「頑張り」とか「努力」とかいうものも、出る時出せる時とそうじゃない時とがある。たったアレだけで?って感じだけど、私はいま「気合い」で何とかできないくらいには疲れ切っている。しかも数ヶ月単位で。

 

 研究や専攻分野のことを面白いと思っていたから大学院に進学した。学部の頃は大学不登校みたいな人の気持ちが分からなかったけれど、今なら分かる。大学院、今となってはとても怖いもん。ちょっと前までは色んな指摘を本気でありがたいと思えてたし、「こんなことも見えるかもしれない」と思うとやっぱりわくわくした。あの頃の私はどこに行ったんだろうか……。そしてそんな自分に本気でショックを受けている。自分の好きな自分で居られない状況はとてもきつい。

 

 手当り次第に読んだヤングケアラーの本にも経験者の記述があったんだけど、大学院とケアラーの両立は大変。これが学部や高校だったら別の大変さはあれども、自分の性格的に何とかなったんじゃないかなって気がする。目の前の課題はそれなりにこなせる。大学院の講義にも出席してるし、そこそこにゼミ発表をしている。でも、先が見えないなかで中長期的な自身の研究を進めるとなると、難しさがつきまとう。(これは単純にわたしが大学院向いてなかっただけな気もするけど、自分と似た境遇の人を知ってどこかで救われる気持ちだった)普段の授業だけでなく、行政調査の書き起こしや学会発表、なんなら学振書類まで、満足できる出来ではないけどこなしてはいるから、修論もなんとかなると思われてる気がする。

 

 でも沖縄に帰ってきて、半年以上、たぶんずっと寝てたんじゃないかってくらいの進捗。寝てたってことにしようかな。実際、たくさん寝ている。自分まで病気になったらダメだって思って、一日7時間から8時間は寝るようにしている。睡眠の質は悪いのでなんなら16時間寝るときもある。眠れなくなったこともあるけれど、そのときは日中でカバーするようにして、結果としてベットにばかり居る生活だった。そのおかげ?でとりあえず、自分自身は健康である。ただ、疲れてる。これも症状としてのメンタルの沈み方(あの焦燥感と死にたくなる感じね)ではなくて、ただ無気力なだけ。本格的に鬱々としてるわけじゃないのはよく寝てるからだと思うので、この半年の自分の行動で褒められるのはそこだけだ。

 

 とりあえず今年で何とか修了したいので、やれるところまでは粘りたい。どうやったら気持ちというものは復活してくれるのでしょうかね……。とりあえず、いい感じのコーヒー屋で民俗学の入門書開くふりをしてた。(このコーヒー屋、普段は教会で週に2日だけコーヒー屋となるんだけれど、とても落ち着く空間で、思わず久しぶりにブログを書いてしまった。)


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1月のこと

 

 このままだと無のまま一年が終わるのではないかという恐怖から、毎月のまとめを書くことにした。

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 自粛に次ぐ自粛の中、年が明けて。昨年抱えた問題が特に解決するわけでもなく、割とつらい月だった。親の病院関係のことや家事をしているか、自分が体調悪くて寝ているか、たまに思い出したように大学院の課題をやるかの生活。親のことの拘束時間はそう長くはないはずなんだけれど、家の中で怒鳴り声とか泣き声とか聞いたら気持ちを持ち直すのに数時間かかって一日がおわる。さらに色んな調子が良いなって日でも、地元の大学の図書館は新型コロナウイルス対策で使えないし、県立図書館までは1時間くらいかかる。色んなことに焦ってるのになかなか気持ちも身体もついていけていない。でも、住んでいる地域の自然は豊かで、海を見ながらぼけっとする時間がわたしにあって良かったと思う。

 

今季アニメはゆるキャンにハマってる

1期からかなり好きだったけど、2期になってさらに面白いよ、ゆるキャン△。高校生が等身大でキャンプをただ楽しんでいるだけなんだけれど、そこが良い。

 1期観てた時はピンとくるキャラが居なかったんだけれども、2期になってようやくダブルヒロインの魅力が分かるようになってきた。しまリンは感情表現が少ない子だけど、彼女なりに友達を大事にしようって努力している。逆に天真爛漫なように見えるなでしこだけど、しまリンの一人の時間も尊重しようとしていて。この子たち、高校生ながら自分のことも他人のことも大事にできる、なんて良い子なんだ!って思ったら一気にキャラのことまで気になるようになった。

 家ごもりで娯楽のない日々だから、ゆるキャン△に思い切り感化されて庭キャンプも始めた。近所のホームセンターでアウトドア用椅子(800円)とアウトドアテーブル(1300円)を調達し。100均で固形燃料や五徳、クッカーを買った。これだけで十分楽しめる。キャンプ雑誌からいそいそとメスティン料理を調べて試してみるのも楽しいし、もっとシンプルにカレー麺だけでも満点の星空の下で食べてる事実がうれしい。

 

思えばわたしの今まで、アニメや映画、本から興味をもって世界を広げてもらってばっかりだ。f:id:kinokonoko11:20210207181120j:plain

 

ボタニカルキャンドル作った

今年の目標にも書いた、ボタニカルキャンドルづくりをさっそくやってみた。

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 これも道具はほとんど100均で揃えて、ドライフラワーはアリエクスプレスにて格安価格で買った。初めてにしては結構かわいくできたな、というのが3割。蝋が固まるタイミングでどうしても色が濁って、ドライフラワーが映えないなという思いと、このままだとドライフラワーが燃えるのでは?という思いが残り7割。まだまだ試行錯誤が必要。次は二層にしてドライフラワーが燃えないようにしてみようと思う。(基本中の基本)将来的には家のまわりに咲いている沖縄の植物を使ったボタニカルキャンドルを作れるようになると楽しいんだけれど。

 

自作パソコンとかその他周辺機器を買った  

 来年度も実家でがっつり修論に向き合うことが確定し。こりゃ、高校生のままの部屋、大学入学時に買ったパソコン(だいぶガタ来てる)じゃ厳しいなと思い。伯父からの修士進学祝い10万円で諸々揃えることにした。自作パソコンは弟に組み立ててもらったので、私の知識は中々に足りないけれど、「買う以外選択肢がない」と思い込んでたものでも作れるんだなという発見が嬉しかった。ちなみに、ダブルモニターにしたら書き起こし作業がかなり捗るようになった。イラレで地図を描くのも、国土地理院地図やグーグルマップを参照しながらできるので、スムーズになったかな。

 

 それから冒頭に書いたように、思い通りに研究も勉強もできていない現在。気持ちに全然余裕がないうえ、大学から離れていると大学院生としての自我も忘れてしまいそうで、ダメな自分に落ち込む。自分はやりたい研究があって大学院に進んだはずだったのに、一年前の希望にあふれてた自分を裏切っている。でもコロナや母の病気やらで仕方ないのでは?と言い訳したくなったりもする。そして言い訳してしまう自分がやっぱり心底いやになる。このループが堂々巡りを続けるとたいてい良いことがないので、まだまだ余力があるうちに、実家の環境を整えたのは正解だったと思う。iPadも買ったよ。

 

 

 

観た映画とか 

パラサイト 半地下の家族(字幕版)

パラサイト 半地下の家族(字幕版)

  • 発売日: 2020/05/29
  • メディア: Prime Video
 

  パラサイトを観た。ガッチガチの社会派映画だと思い、なかなか手が出せずにいたんだけど、ギャグもあればハラハラするところもある。当然その背景には貧困、格差というヘヴィな問題が横たわっているのだけれども、楽しく観れた。そりゃ人気作になるわって感じ。

 印象に残ったシーンは、インスタント麺のチャパグリを食べるシーン。お金持ち家族なので和牛を入れて食べるんだけれども、それでも「インスタント麺食べるんだ!?」ってことが意外だった。意外と成り上がり家庭なのか……。日本じゃ過去に、当時の総理がカップラーメンの値段を知らなかったとかで話題になってたくらいだからねえ。そして単純にチャパグリは美味しそうだった。

 

 ちなみに、チャパグリはカルディで見かけたのですぐさま買って食べた。

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 パラサイトに影響されてたから、牛肉も入れたよ。牛肉の油によってコクが増して、おいしかった。ちなみにノグリはちょっと辛すぎるけど、チャパゲティ単体も大好き。ああ、韓国行きたい。

 

 

映画「下妻物語」

映画「下妻物語」

  • 発売日: 2016/08/31
  • メディア: Prime Video
 

  茨城弁が恋しくなって観た「下妻物語」。聞きなじみのある地名が出るたびにテンション上がってた。あ、関東鉄道じゃん!牛久大仏、やっぱりでかい!!って。2004年の作品なんだけれど古さを感じさせない。そのくらい田舎は閉塞感に満ちているのかもしれないんだけれど(映画公開の翌年につくばエクスプレスが開通してるから少し都会になった?)ロリータ少女とヤンキー少女はそんなことおかまいなしにぶっ飛ばしてくれるから最高だった。


読んだ本・漫画とか(かたい本は除く)

 

  キャンペーンで黒執事全巻が無料で読めたため、一気読み。1日で30巻まで読みたくなっちゃうスピード感だった。最初は完璧な執事が何でもやっちゃう系の漫画かなと思ってたんだけど(偏見がすごい)そんなことなかった。じっくりと練られたダークファンタジーって感じ。どれだけ伏線がはりめぐらされているんだ?って何周もした。

 

 

図書館戦争 LOVE&WAR コミック 1-15巻セット (花とゆめCOMICS)

図書館戦争 LOVE&WAR コミック 1-15巻セット (花とゆめCOMICS)

  • 作者:弓きいろ
  • 発売日: 2015/06/05
  • メディア: コミック
 

 ネットオフのタダ本っていう、本のサブスク的なものを利用している。これは月に15冊本や漫画が届くんだけれども、今月は図書館戦争の漫画版にした。原作もアニメも大好きな作品で、堂上教官にはかれこれ10年以上も夢中になっているんだけれど、漫画でもキュンキュンしまくった。少女漫画っていうのもあって、原作以上に甘々じゃない?本棚に並べて置くにはちょっと照れてしまうような。でもそんなところも素敵よ……。

 

 

ラブコメ今昔 (角川文庫)

ラブコメ今昔 (角川文庫)

  • 作者:有川 浩
  • 発売日: 2012/06/22
  • メディア: 文庫
 
クジラの彼 (角川文庫)

クジラの彼 (角川文庫)

  • 作者:有川 浩
  • 発売日: 2010/06/23
  • メディア: 文庫
 

  図書館戦争から火がついて有川浩(ひろ)キャンペーン月だったなと思う。病院の待ち時間で読んだり、寝る前に読んだり。高校生、大学生の頃は近代文学とかちょっと背伸びした読書傾向をしていたんだけど、最近は原点回帰気味。本を開けばすぐに物語に入りこめるような作品の良さをしみじみ感じている。

 

観に行った展示とか

 沖縄県立博物館美術館にて開催していた「名画を読み解く―珠玉の東京富士美術館コレクション」を観に行った。モネの睡蓮が沖縄初上陸とかで話題になっていたもの。

 絵を鑑賞する時に何を観ているのか、は人それぞれだし、同じ人でも時によって全然違うと思う。構図や技術の巧拙、作家論を読み取る人も居るんだろうけど、私はやっぱり絵から透けて見える名もない人たちの生活が好きだなあと思う。一つの絵を色んな人と一緒に見つめて、そこから見えるもの・見るものがそれぞれ異なるってなんかいいよな。台湾で博物館インターンしていた時に監視員もやったけれど、絵を観ることと同じくらいに絵を観る人を見ることも面白かった。

 

 私は美術館に行った時には一番気に入った絵のポストカードを買うことにしている。今回買ったのは、アンリ・ル・シダネルの「森の小憩、ジェルブロワ」だった。森の中でピクニックしているみたいな絵。雨続きの日に行ったからか、絵のなかの木漏れ日に妙に惹かれたのだった。美術館のような空間で集中して絵を観た時の没入感や、かすかな興奮とその後の身体の重さっていい映画を観た時とも近い気がするし、水の中に潜っているのとも近い気がする。気に入った絵のポストカードは自分の部屋に貼ったり、友達に送ったりする。ポストカードももちろん素敵。でも、身体が重く感じるような没入感って本物の迫力だからこそなのかもしれない。

 

 

その他

 言っちゃいけないことって訳でもないだろうから書いちゃうと、茨城の聞き書き調査の書き起こしを謝礼(?)時給(?)をもらいながらやっている。自分が直接お会いしたことのない方の話を書き起こすのは初めてのことなんだけれど、書き起こしているとどんどんその人に会いたくなる。

通信制大学で教員免許(国語)を目指した話② スケジュールとレポート

 

 更新がかなりあいたけど前回のつづき。

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今回はスケジュールとレポートについて。

 

 1.スケジュール

 4月入学(3月末に書類を出した)のわたしのスケジュールは以下の通り。(ただし、かなりダラダラしてる)

 

4月末

 入学書類が届く。ここではじめて履修科目のシラバスが確認できて、指定教科書とレポート課題も判明。

 なお、コロナの影響で遅れていた大学院の授業もちょうどこの時期はじまったため、教科書を買ったきり、しばらく放置……。(大学院の授業がはじまる前に終わらす予定だったんだけども……)

 

・5月

 まだまだ放置

 気が向いたときに教科書をパラ見する程度

 

・6月

 放置

 自分が通信制大学の学生であることも忘れる

 

・7月

その後大学院の春学期が終わったので、思い出したかのようにレポートに取り組む

 

・8月

 夏休み中の8月にレポートを提出

 

・9月

 月末にそのレポートの合格が分かる。(合格していた)

 

・10月

 10月はじめの土日でテストを受け、10月末に合格。単位取得

 

 ざっとこんな感じ。ほかの通信制大学生(特に他に本職をもっている科目等履修生)はどうなのか分からないけれど、私は結構放置の時間が長かった。その理由として、大学院の方でもやるべきことがコンスタントにあり、科目等履修生やってる通信大学の方まで気を回すことができなかったことが挙げられる。社会人学生の凄さが分かった……。

 その為、大学院の授業が終わった夏休みから思い出したかのようにレポートに取り組んだ。この通信大学の受講科目とは別に、夏休みには日本史の教育実習も控えていたため、結果的に教職漬けの夏休みとなった。今となって思えば、これは結構良かった。通信大学と実習とでは教科が異なるものの、そこで学んだことが実習ですぐに活かせた気がするし(例えば、しばらく触れてなかった指導案の書き方とかはダイレクトに役立った)教育実習で高校の雰囲気が分かってきていたからこそ、その後にあったテストの方はとても楽だった。 

 通信大学の場合、様々な学習スタイルが選べることはメリットである。気持ちと頭の切り替えが下手な私は、夏休み期間にバァーーーーと取り組むことができて良かった。このような学習スタイルがアリなら、これからも専門外のことにもどんどん手を出しやすいなとも感じたり。

 

 ちなみに

 個人差が大きいだろうから、あんまり参考にならないだろうけれど、8単位分のレポートにかかった日数は1週間程度でした。1日あたり6時間くらいやっていて、その7日間なので、時間数でいうと42時間くらい。一つのレポートがそのまま一単位になるわけではなかったので、正確には割れないけれど、一単位あたりで割ると5時間25分。これは、指定テキストを読む、指定テキスト以外の教材を探して、読みこむ、レポート執筆、(モノによっては)模擬授業ビデオの撮影等々のほか、通信大学のシステムがよく分からなくて右往左往している時間も含む。システムの意味の分からなさに悩んだり不安になったりする時間も結構長かった……!

 私が卒業した通学制の大学の場合だと、一回75分の授業を10回受け(この時点で12時間以上)その上でレポートやテストを受けたり、ゼミ発表や小課題があったりした。そういう意味では、一単位あたりの時間は全然違うもんだなあと思った。教職科目の取りこぼしのために通信大学に入学した私の場合、一度学んだ内容も大いに含まれていたので、基礎の基礎から講義を受けてレポートを書くのではなく、テキストを読んでレポートを書く学習スタイルもまた合っていたと思う。

 

・スケジュールについての注意点

 これは私がうっかりしてて冷や汗たらしたことなんだけれども、レポートの提出とテスト受験が同月にできるわけではない。レポートを提出して、その結果が出て、テストの受験が許されて、テストを受け、その合否が分かり、単位が認められるまで、実は結構時間がかかる。ぎりぎりに取り掛かろうとすると、既にタイムオーバーになっている恐れがあるので、本当に気を付けて……。私もヒヤッとしました。

 

2.レポート

・私が履修していた科目は、国語科教育法。(正式名称ではないはず)その名の通   り、中学生、高校生を対象に国語を教えるための理念と技術を学ぶ科目。

 

・科目の性質にもよるのだろうけれど、履修した8単位(2科目)に対してレポートは  3本。一本あたり指定字数は3200字だった。これは何かの規定なのか、レポートすべてが3200字指定だった。なお、「3200字程度」なのか「3200字以上」なのか「3200字以内」なのか、シラバスだけでは分からずこれが地味なストレスだった。字数制限を間違えて捉えてしまうと、大きな減点になりかねないと思ったが、結局どうだったのだろう……。

 

・レポートは学習指導要領の内容を理解しているか問うものや指導案を書くものが多かった。これも先生によるのかもしれないけれど、どのようにレポートを書いたら合格できるのか、細かくアドバイスシラバスに書かれていた。

 正直な感想としては、テキストの要約が求められているようで、あまり学習内容に面白みを感じることができなかった……。シラバスでの指示に指定字数内で従おうとすると、個人の考察等を書く余裕はなく。「本当にこれ(ほとんど要約のような文章)でいいのか??」と思いながらレポートを書いた。

 そういう意味でも、やっぱり通信大学の勝手が分からずストレスになった。自分の経験から言っても通学制の大学だと、先輩や友達のレポートから雰囲気を掴んだり、細かいところを直接先生に尋ねたりとそういうストレスは少なかったよなあと思う。

 

・その他、レポートで書いた指導案を基に模擬講義を行い、そのビデオを提出することも。ただこれは3分程度だったので、準備と撮影で1時間かからなかった。(通学制の方の大学だと20分の模擬講義に院生からの厳しいフィードバック付きだったので、卒論提出間近の修羅場に苦しみながら指導案作ってた思い出……)

 因みに私は、高校二年生を対象として、教材は中島敦山月記』を選択。『山月記』と「人虎伝」との関わりから、日本文学の漢籍受容についての説明をした。授業展開でいうと、単元の最後の方。3分というかなり短い時間設定なので、自分の好き/得意な箇所の説明だけで乗り切れるというのが正直なところ。内容も「高校生対象にしては難しすぎるかな?」と思ったが、ここも指導案の生徒観の書きぶりによっていくらでも調整できるところでもある……。(つまり、進学校や国語が得意な生徒に向けての授業です、と指導案の方で言い切ってしまえば良い)実際に教壇に立つのであれば、教材や授業ありきで授業が成立するはずもないけれど、3分間の模擬授業ビデオだし……まあね……。

 また、黒板があるわけでもない自宅で「どうやって模擬授業を撮るのよ??」と思った。結果として、冷蔵庫にホワイトボードを貼って授業しました……。三分の動画なので、板書は既に終わっているという設定……。撮影は弟に頼んだけれど、1人暮らしだったら結構苦しかったかもしれない。

 

・レポートを書いて思ったこと

 とにかくシラバスを読みこむべき!

 レポートに記して欲しいポイントはシラバスに書いてあるので、その通りに書いていけば基本的には間違いない。寧ろシラバスを誤読して、方向性の違うレポートを書いてしまったら、レポートの質とか抜きに落とされると思った。大学を一度卒業しているので、レポートの書き方など「いつものやり方」があったけれど、ここはグッとこらえてシラバスに忠実になるよう努力した……。

 

 愚痴っぽくなってしまうけれど、表や図が盛り込まれがちな指導案を大学指定フォーマットに打ち込むのがすごく大変だった。表を使わずに授業展開を書くのって冗長になりがちで、ムズムズした。大学指定フォーマットに打ち込むのも、時間を使ったけれど、これって結構要らない方向の努力だよなあと思ったり……。

 

・提出後のこと

 提出後は「提出済」と表示されるだけなので、本当に提出されているのかソワソワした。成績開示の日にアクセスすると「受理」の文字が。これはレポートの「合格」と同義らしい。最初は分からなくて、「レポートの提出が事務的に受理されただけで、採点とはまた別」と勘違いした。そもそも履修要覧をちゃんと読んでないのが悪い

 

・レポートのフィールドバック

 レポートには担当教員から300字から400字程度のフィードバックが貰える。これが唯一の人肌を感じられる瞬間だった……。画面の向こうに人が居た……!事務的な文言だけでなく、励まされたり褒められたりして嬉しかった。

 レポート不合格(不受理)の場合はここで良くなかった点を指摘してもらえるらしい。何度も何度も先生からコメントを貰いながらレポートを書き直して、合格していくまでのプロセスこそが通信制大学の醍醐味なのかなあと思ったり。サクッと合格してしまったが故に、「卒業した大学よりずいぶん短い時間で単位が貰えるもんだなあ」と不遜なことを思ったけれど、多分じっくり取り組もうとすると先生からフィードバックを何度ももらえるわけで。(合格したらそれきりだけど)ただ椅子に座っていれば単位が来るわけでもないというのが通信制大学の特徴でもあるなあと思った。

 

 今日のところはここまで。

 更新はゆっくりだと思うけれど、次はテストについて書きます。

 

 アクセス解析によると、前回のブログも結構読まれているみたい。

 

kinokonoko.hatenadiary.jp

 

 私のように教職単位の取りこぼしがある人だけでなく、新型コロナウイルス関係で家籠りになって何か初めてみたいと思っている人等々居るのかもしれない。通信大学を選ぶ際、そして科目等履修生になったあともよくインターネットで通信大学について調べたけれど、情報が少なく大変困ったので、私が答えられる範囲であれば質問にも答えます。

 これはアウトなのかセーフなのか分からないけれど、合格したレポートとテストの答案を公開しようか迷ったくらい……。通信大学のレポートについて検索すると、どうやら有料で合格レポートを売っている人も居るみたいですね。「どういうのが合格レポートなのか見てみたい、書き方の参考にしたい」という人が居たら連絡ください。私もレポートの書き方には迷ったくらいなので、無料で送ります。