今週のお題「バレンタインの思い出」
2月15日金曜日。今日はバレンタインの翌日。
私は、行事の翌日が好きだ。
何だか、日常が帰って来たみたいで。
でも、昨日の興奮はちょっぴり残っていて。
今日だって、そうだ。いつもの日のようで、少し違う。
昨日、渡しそびれた人にチョコをわたしたり、昨日のチョコのお返しをしたり。
私もそうだった。
用意した友チョコが少なかったので、足りなかった分を今日渡した。また、今日になっていきなりチョコを手渡されもした。
それももちろん嬉しいし、楽しいけれど、見ようによっては、少し寂しい。
今日、チョコをお返しするということは、バレンタインの当日は友達間での気持ちの一方通行を表すわけで。
また、今日、チョコを突然貰うということは、昨日の余りなのかとつい、勘ぐってしまうわけで、実は少し悲しい。
そもそも、友チョコはどうしてあるのだろう?
「いつもありがとう」の気持ちを伝えるために、チョコを贈るのだとしたら、それはとっても素敵だなって思うけれど、最近は違う気がする。
なら、学校での身の保身のため?
皆があげるから、世間様がバレンタイン一色だから?
でも、それも少し違うかも。
昨日、聞いた話だが,びっくりしたことがある。それは、同級生が作ってきたチョコの多さだ。なんと、カバンいっぱいにチョコクッキー。本人にもいくつあるのか分からないのだという。
数を把握していないということは、チョコを誰に贈るかも考えていないということにも考えられる。バレンタインチョコは贈る人の顔を思い浮かべながら、「喜んでくれるかな?」や「いつもありがとう」を込めて作るものだと思っていた。
それは、あまりにも「いい子ちゃん」の発想だったのか?
そうでないことを願いたい。
私は友達が多い方でもなく、今年送ったチョコはわずか5つ。でも、たった5つしか作らなかったから、たった5人しか贈れる人がいないから、とってもその分思い入れは強い。(……と思う)
だからか、私には彼女の気持ちがわからない。どんな気持ちでチョコを持ってきたのか、そして、どんな気持ちでチョコを配るのか。
でも、それはバレンタインの意味から少しだけずれている気がする。
また、ここまで来るとバレンタインの意味がわからない。
中学女子として当たり前のことかもしれないけれども、本当にあげたい、思いを伝えたい、と思ってチョコを贈るより、クラスでの立ち位置やみんなの反応ばかり気にしてチョコを配るほうが大切だなんて、悲しい。
友チョコだなんて、なくなればいいのに。
バレンタインデーは、思いを伝える日として素敵な側面を持ちあわしているけれど、時にして面倒くさい。
これが、日本人体質なのか。
それとも、これがチュウガクセイの性質なのか。
もしかして、西洋のバレンタインもこんなだったりする?
ということで、これが今年のバレンタイン。
いつもどおりでした。チョコは美味しかった。
編集後記
担任に対して、年賀状は送らずともバレンタインチョコは贈る人が結構居た。そんなものなのか。それはそれでアリかも。