雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

放送委員は役立たず

 

 

私は、放送委員だ。中2の時から、週2日朝と給食時間の放送を担当している。

私は、校内放送をよく聞く性質ということもあって、いわば「学校の中心となる放送委員」には憧れていた。また、文章を書くことが好きな私としてみれば、「校内放送」というのは、とても可能性が広がる場でもあると思ったのだ。

 

 でも、結局は違った。放送委員は役立たずであったのだ。たとえ、小さな学校の校内放送で有っても、「マスコミ」であることには変わりない。無法地帯としてほったらかしにしてくれれば嬉しいのだが、「こうしたい」と企画書を提出した段階からいろいろと難しくなる。だから、私が思っていた「立派な仕事」というのは、所詮先生たちの伝言係でしか無かったのだ。そう思った途端、私はたかが委員会ごときに何を期待していたのか?と、一瞬にして冷めた。

 

 そうは言っても、放送委員の仕事は嫌いではない。体育祭の開会式のアナウンスを務めたときは、胸いっぱいに自尊心が広がった。昨年の卒業式のアナウンスを後輩がやったときは、苦い思いもした。

 

 それに、今日だ。今日は、ある先生の誕生日だった。そこで、同級生から頼まれた「誕生日おめでとう メッセージ」を給食時間の放送で読んだのだ。読む瞬間までは、照れくさかったうえ、うまく言えた自信はない。でも、お礼を言われた時に素敵だなと思ったのだ。

 

 私は間違っていたのかもしれない。私が努力するべき点は、「限られた時間と予算、そして自由でそれだけはじけるか」というところにあった。でも、私は短絡的にしか考えられず、簡単に失望してしまった。

 

 私は、本当のことを言うと番組を作りたかった。クラスの1,2名が真剣に耳を傾けてくれる、そんな番組を作りたかった。私が真剣に取り組めば、学校側も了承しただろう。(いや、担当の先生は面倒臭いからノータッチかもしれない)でも、できていない。企画書まで作成したというのに、担当の子と気持ちも時間もすれ違っているうちに萎えてしまったのだ。あぁ、もったいない。

 

 私に残された、放送委員としての活動はあと3回の通常放送のみ。

普通にやっていれば、何の楽しみもない放送だ。でも、楽しみたい。何か最後にできないものかと思う。誰かとやるのは難しいから一人で、とびきり楽しいことがしたい。

 

 因みに、放送委員の予算としてiTunesカードがたくさん余っている。全部私達3年が使っていいとのこと。さて、どうしようか。

 

 卒業前のイタズラとして、『ドナドナ』や『魔王』でも購入しておこうか。それとも、『般若心経』がいいかな。でも、それはさすがに怒られるか。

 

 編集後記

 高校でも放送部に入りたいです。