雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

今日、学校を休んだ。

 

 昨日から県立高校は授業を開始しました。

新学期の始まりです。心機一転がんばろうとしたところ、私はとても疲れてしまいました。

 思えば、私は学校が嫌いです。中学の時から、学校にはうまく馴染めなかったものです。それは高校になっても続き、11月頃からは不眠を始めとする身体の不調が出てきました。原因を探ろうとするといくらでも思い当たる節が出てきます。しかし、それらに共通して言えることは私が集団に向いていないのだろうということです。

 今回、私をひどく疲れさせたのは「大学受験対策の勉強」です。私の高校は毎日のようにテストがあります。また、ものすごく多い量の課題もあります。それは全て、2年後に迫った大学受験のためなのです。

 学校の友達に聞いてみたことがあります。「どうして勉強をしているの?」と。

帰ってくる答えは決まってこうです。「大学に行きたいから」それはもっともな答えでしょう。でも、大学で学びたい学問は決まっていない。または、その大学進学の理由も親がそれを望むから。そのような答えが続きました。私はそのことをつまらないと感じるのです。

 かく言う私は勉強は楽しいからやるものだと思ってきました。私の通う高校は地元では有名なスパルタ高校で、そこに通うと青春は無いと言われています。それでも私がその高校に進学した理由は、勉強が好きだからです。周りの高校生が楽しいと思うことよりも私は図鑑をめくる方が好きだったから、高校生活を楽しみにしていました。

 しかし、私の思う勉強と学校が思う勉強は少しずれているのかもしれないと気づいたのは、高校入学後でした。どうにもこうにも授業のペースが早く、しかもテストがたくさんあるので、今までのように自分自身の疑問に付き合っている時間がなくなりました。学校の勉強以外は全て無駄でしかないのだという人が周りにたくさんできました。そんな勉強に楽しさなど微塵もなく、かと言ってクラスメイトのように点取りゲームに興じることもできない私は、こんなはずではなかったと思いながらも、いつしか私も疑問を押し殺すことに慣れていった……はずです。

 そんな頃、学校で話しの合う友達が不登校になりました。彼女は「私は私立大学を受験するから、受験科目のみを塾で勉強することにした。無駄なテストに時間を費やさないで、空いた時間に本を読む」と私に語りました。私の思い描いていた不登校の生徒像と友達はあまりにかけ離れていて、どこかで羨ましいとさえ思う自分がいました。でも、私は彼女のやり方にもどこか違和感を抱いてしまうのです。本当に彼女のやり方は正しいのでしょうか?学校という形が世界中で採用され、また長年続いてきた価値はどこかにあるはずです。また、何より彼女がいない学校は私にとって味気ないものとなりました。私という友だちがいたのにも関わらず、不登校という形をとっている彼女に対して寂しい気持ちにもなりました。彼女にも理由があって学校を休んでいるのでしょう。しかし、学校を休むという決断はそれだけ世界を狭めてしまうのではないかと思うのです。

 

 前置きがかなり長くなりました。上に書いたような違和感を抱きながら、それこそゾンビのように学校生活を過ごしていた私。しかも、友達が不登校なのでそのことを誰かに話すわけでもなく、悶々をしていました。そんな私の希望の星はただ一つ「冬休み」だったのです。冬休みにのんびりさえ出来たなら、何か変わるだろう。不眠も治るのではないか?と淡い期待を抱いていたのですが、冬休みにはまた大量の課題に追われていました。しかも机に向かえなかった時期もあったので、冬休みで挽回を狙ったものの、結局できないまま新学期を向かえました。次の私の希望の星は「春休み」です。でもその春休みもすぐに終わり、また新学年が始まります。今度は「夏休み」を希望の星にしても、何も変わらないでしょう。例え、高校卒業まで耐えることができたとしても、次のステップでも同じことがおこることは予想できます。私はどうして、今こんなにも苦しいのでしょうか。そして、その苦しさは死ぬまで続くのでしょうか。しかもその苦しさを感じるということさえも、学校のみんなからすると「甘え」でしかないのかもしれません。

 

 そして、とてつもなく疲れてしまい、どうにも今日学校を休んだのです。今まで私は学校を休むということは罪であることだと思っていました。その理由はまず、学校に通うのは高校生の義務であるから。それから、単に学校で頑張っているクラスメイトや先生方に申し訳ない。また、学校という空間が将来社会に出て行く為の訓練であると幼い頃から親に言われていました。だから、今「学校に適応できない=社会にも適応できない」という方程式が私の頭にはあります。それらの理由から、どんなに辛くても学校を休んだことが私はありませんでした。そればかりか、中学の時からなかなか学校に適応出来ない自分自身を許せないところがあります。

 そうは言っても、体は正直です。不眠が2ヶ月近く続き、気分も落ち込むばかり。その他体の不調が目立ってきたのでこのままでは、本当に壊れてしまうと思いました。それに、苦しんで学校にいても授業には到底集中できないものです。また数学以外の科目は得意なので、そもそも授業を聞かずともそんなに困らないということもありました。

 今日の私は本来、登校する時間にはふとんにいました。2ヶ月ぶりに熟睡できたと思います。ゆっくりと朝食をとり、図書館で勉強しました。あくまでも、勉強は好きなのです。しかし、学校の勉強がつまらないから面白い自分なりの勉強をしよう!というコンセプトです。古典の勉強と称して、更級日記を原文で読みました。意味をしっかり把握して読もうとしたら、驚いたことに授業で取ったノートの形式とそっくりな読書ノートができていました。私が頭ごなしに否定していた勉強も正しかったのかなと気づきました。一つ言わせてもらうなら、自分の手で辞書を引いて読み進めることは授業よりはるかに楽しく、しかも効率が良かったことです。また、美術の授業として絵画展にも足を運んでみました。平日ということもありのんびりできたばかりか、画家さん本人とも話すことができたのです。とても興奮しました。聞けば、その作者も高校の時は学校に馴染めなかったそう。そんな生き方もあるのだとしみじみ思いました。

 今日私は学校を休んで、とても楽しかったです。私を閉じ込めていた学校というのは、実はものすごく狭い世界なのではないか?とも思いました。最も驚いたことは、私が学校を休んだということを誰も責めなかったことです。

 私は大学進学を希望しています。その点では学校やクラスメイトとも目標は同じです。「センター入試で1点でも多くの点数を取る」そのことの意味は分かっています。センター入試で高得点を狙うことができたなら、名門大学に行ける。それこそ東大なら、研究費用も国から潤沢に貰っているはずです。学問を深めることが可能です。また、私が今ぐだぐだといくら文句を言おうともそれは守られている高校生の今だから言えることです。今、私は親が建てた家に住んでいます。親が働いて、親が作ったご飯を食べています。親に守られて生きています。それだけではありません。国も社会も高校生という私を守ってくれます。だから、授業料が無料で高校に通えるのです。でも、その特権は高校卒業とともに失われます。どんなに長くとも、せいぜい成人するまでが限度でしょう。その後は私はわたしの力で生きていかないと行けない。私は否が応でも社会に出て行くことになるのです。私は生きていけるのでしょうか。

 今日学校を休んでわかったことは、そろそろ私は学校に適応できないことを認めようということです。目標は皆同じでセンター入試だとしても、その行き方はたくさんあっても良いはずです。どうして学校はそれを認めてくれないのでしょうか。学校に行ったら、私は押しつぶされそうになります。今日は一人で勉強して、とても楽しかったです。でも、それはどうして認められないのでしょうか。社会は甘くないんだぞ、と学校は言っているのですか。

 学校に適応できないのなら、適応できないなりの方法があると思います。先生と直談判をして、授業中の図鑑の持ち込みを許可して貰ったので、授業も少しは楽しいものになるかな、目論んでいます。また、休み時間は私が今ハマっている写経をして過ごしたいです。私の行動は正しいかわかりません。社会性が私には足りないのだと怒られたこともありました。でも、それが今私にできる精一杯の生き抜く術なのです。

 私は明日、学校に行きます。本当は明日も休みたいところですが、このまま休んでしまったら本当に不登校になりそうで怖いので登校します。

 かと言って、私は今日休んだことに対して何の後悔もありません。ただ単に、こうでもしないと潰れてしまいそうな自分自身が少し嫌です。また、こんなにも窮屈な学校が嫌です。

 学校に適応できない私がおかしいのでしょうか。それとも、こんなに窮屈な学校がおかしいのでしょうか。

 それから、私は本当に生きていけるのでしょうか。

 

 編集後記

 私はわたしのために学校へ通い、勉強をしているのにそれが苦しいというのはどうもおかしい。

 不安はたくさんあるけれど、私はもう少し学校にしがみついていこうと思う。まだ知り事や読みたい本はたくさんあるから。