雑記帳

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ラオス研修 9日目 COPE VISITOR CENTER

ラオス研修 9日目 COPE VISITOR CENTER2013.08.02

 

 

 沖縄イゲトーのあとの昼過ぎ、私達はCOPE VISTOR CENTER(以下COPE)へ行きました。そこでは、不発弾の被害者のために義手・義足の提供やリハビリサービスを行っています。

 本当にそこのセンターの様子が衝撃的だったのです。私達が不発弾被害の実態を展示しているセンターに一歩踏み入れたとたん、目に飛び込んできたのは天井から芸術的につるされたくラスター爆弾の数々。また、不発弾被害者の実態をまとめたVRTを放映しているテレビの周りにはまたしてもたくさんの義足。本当に何もかもが目を引きます。いい意味でも、悪い意味でも、センス抜群といったほうが良いでしょうか、見ている分には面白い展示方法です。でも、それが「義手・義足」であることを考えたときに何だかおかしな気分になるのです。

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 隣にいた城間さんとも話しになりました。「日本ではありえない展示方法ですよね」と私。「絶対にこの展示方法は不謹慎であるという意見もあると思う」と城間さん。

 私はあのような過激的な展示方法だったから、胸にくるものがありました。あのような方法でしか伝えられないものもきっとあるはずです。でも、やっぱり日本には無い資料館の形に私は戸惑ってしまいました。

 街の博物館などでもそうです。日本の博物館はお堅いイメージがあって、つまらない。そんな意見を聞いたことがあります。アメリカなどは体験型のテーマパークのような博物館であるとも。私は博物館に興味を持っている身。だから、ついCOPEでも資料館のあり方について考えてしまいました。不発弾という歴史が生み出した負の産物に対して、COPE側は明らかに日本と違う視点から見ています。そもそも、伝えようとしているもの自体は同じなはずだというのに、あれだけ違う展示方法なわけですから、きっと反対側から見た「不発弾」の現状はこちらと全然変わってみえるのでしょう。少し、今までの常識を全て白紙にしてあちら側からこちらの世界をのぞいて見たいものです。

 

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 不発弾問題は、世界共通のものです。世界に残っている不発弾の理由には様々です。西進国が資源のためにまいた爆弾。思想のためにまかれた爆弾。どんな理由であっても、不発弾の残っている発展途上国諸国だけの責任として押し付けることは何か違うでしょう。ですから、人類の課題として共有すべきだと思いました。

 義手・義足の問題についてもそうです。このような技術支援はもっと活発に行われるべきであると思うのです。「この義足の技術はどこの国から学んだものですか?」と、誰かが聞いていました。その答えがこうです。「カンボジア」被害者の多い国がそういう面では発達するのが当たり前です。でも、私はてっきり先進国諸国を想像していたものですから驚いてしまいました。
 

 それから、「不発弾問題」は私の生まれ育った沖縄にも深いかかわりがあります。68年前の沖縄戦。それによってあの島にもたくさんの爆弾が降り、今も尚残っているのです。そのようなことを考えたときに、沖縄は戦争の被害者であるといえるでしょう。でも、ラオスに爆弾を降らしたベトナム戦争へは沖縄の米軍基地からも戦闘機が飛びました。基地の存在をどこかで黙認している現状を考えると、日本人や沖縄県民の立場はどうなるのでしょうか。

 

 戦争については、私の勉強不足な部分が特に多く、分からないことがたくさんあります。どうしても腑に落ちない。感情的に許せない部分もあります。でも、これだけは思います。先進国の近現代史はブーメランのようなものであると。

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 今回のプログラムは特に、考えさせられたものでありました。私は日本の歴史をどうやって捉えればいいのでしょうか?私の背負う歴史は誇れないものなのでしょうか?私は、日本人としてアジアや世界の中で生き抜くためにどうすればいいのでしょうか?また、たくさん勉強してたくさん考えます。
日本に帰ったら、やりたいことが私にはたくさんあるのです。