雑記帳

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  文具☆愛~第三回ノート~

   文具☆愛~第三回ノート~

 

 私はノートに無限の可能性を感じる。白紙のノートを手に取り、このノートを埋めることを考えるだけで、たまらなくワクワクするのだ。

 

 

 私はノートの一ページ目を使うことに躊躇する。だって、もったいないではないか。一ページ目といえば、ノートの顔だ。オチオチ変なことも書けやしない。だから私は、一ページ目には気に入った小説の一文や詩を書くことにしている。日本史は歴史小説の一文を、数学は数学者の言葉を、というように決めている。小さなこだわりだ。しかし、このこだわりがノートを開く瞬間を彩ってくれる、私はそう思っている。

 

 そんなノートにこだわりをもつ私だが、使い切れないノートがある。

 

 東京大学へ訪れた時に購入した東大ノートだ。

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 一見普通の大学ノートだが、よく見ると東大の銀杏のマークが表紙に押されており、その下には「東京大学」と威厳のある字で書かれている。かっこいい。上品さもあってすごくいい。このノートを使っていると、私も頭が良くなりそうだ。実に馬鹿っぽい考えで手に取った東大ノート。価格は三〇〇円と高価だったが、これで私の数学が幾分ましになるのなら問題ない。すぐさま、購入した。それから約一年。私は未だにノートを使っていない。もったいないという思いもあるが、何より「東京大学」の文字が恥ずかしいのだ。ミーハー丸出しではないか。因みに東大ノートを使っていないせいか、私の数学の成績も未だに壊滅である。