雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

台湾留学日記 台湾に来てしまいました

2018年9月12日

 台湾に留学してから12日が経った。本当に長い12日。9月1日に、真新しいスーツケースとリュックサック一つで台湾に渡った私は、寝床を得、友達を得、移民局やSIM、銀行、奨学金といった煩雑な作業を乗り越えた。

 

 日本であってもへとへとになる新生活をこうして過ごせているのは、周りに恵まれて何とかやってくれただけであって、私一人だったら絶対に無理だった。この12日の間、私は自分のふがいなさばっかり感じている。信じられないことにわたしは英語も中国語もできない。そのことによって、ありとあらゆる困難が降りかかって来るけれども、台湾の人は大抵とても優しい。私のつたない中国語を聞こうとしてくれるし、レジのおばちゃんが即席中国語講座を開いてくれることもある。(私はそれで、レシート要りませんも、レジ袋要りますも、ポイントカード持ってませんも言えるようになった)

 

 どこに居ても、私は友達を作れるんだな(今のところ、日本語に大分頼っているんだけれども)ということは、確実に私の自信になっているし、到着直後にIKEA無印良品、寮のぼったくりセールに通って理想の部屋を作り上げたことによる安心感はすごい。台湾の料理は大抵口に合う。時にはヒラヤーチーや沖縄そばを連想させるような料理に出会うこともあって、沖縄という軸を持って台湾で暮らすこと、それは生活の端々で学びがあるのだと感じる。中秋節を目の前にした月餅大売り出しも、バーベキュー用のお酒が売られていることも面白い。道端で出会う神様に大興奮している。留学生活は概ね順調なスタートを切った。

 

 でも、私は不安に襲われる。トラブルがあったらどうしよう、トラブルを説明する語彙を持たないし、そもそもトラブルを説明されても理解できない。台湾人も台湾で出会った日本人もとても優しいから、私に絶対に言わないんだけれども、私の中で声がする。「英語も中国語もできないお前が何故、台湾大学に居るのだ」と。センター入試では入れなかった賢い大学にAC入試で入って、英語のできる同級生に囲まれて、完全に語学がコンプレックスになってしまっている。それはずっと前から自覚していたんだけれどもここに来て、外国語学部や国際学部の人達に囲まれることにやってさらに加速しているようだ。このコンプレックスは単純に語学の問題ではない。高校時代、学校が求めるような偏差値教育に馴染めずに一般入試を受けなかったコンプレックス。自分の好きなこと以外に頑張れなくて、好き嫌いも得意不得意も激しい。積み上げ式のものが苦手というコンプレックス。語学は私の人生におけるツケであるという意識。

 

 日本で中国語も英語もしっかり勉強すればよかったという声が自分の中からする。でも、日本では興味のままに私なりに頑張ってきた。民俗だけでなく、文化人類学も宗教も文学も齧りながら、将来のことはありとあらゆる対策をかけながら資格習得にも励んできた。保険のつもりでとっていた教育の授業は面白いし、学芸員実習は本当にやれて良かったと言い切れるものだ。キャパオーバーを繰り返しながら頑張ってきた大学生活に後悔は、ない。一年前に戻れても、私はまた同じ一年を繰り返す。私は中国語で仕事がしたくて留学したわけでもないし、単純な語学の習得の為に来たわけでもない。ましてや、就活を意識していたわけでもない。だからこそ、私は何で台湾大学に来たんだろうと思う。コンプレックスの塊みたいな毎日。日本人の友達には恵まれていて、ぼやぼやしているとそのまま彼女達の語学力に頼って一年過ごせてしまいそう。だからこそ、私は自分のやりたいことを見失いように、こうして言葉にする必要がある。

 

 私は沖縄をやりたいから台湾に来た。この沖縄をやりたいは学問だけでなく、自分の肌感覚、口からでる言葉、思想、人間関係など全部である。大学で沖縄を出たことによって、自分の中の物差しが一つ増えた。たとえ沖縄で就職することになっても、私はこの大学生活を大切に抱きしめていくんだろうなという予感が既にする。沖縄にだけ居た18歳のわたしから、20歳の私は遠くに居るし、沖縄に永住してもあの頃の私にもう戻ることはできない。私は稲穂が風に揺れる美しさも、春先に香る梅も、湯船につかることでほぐれる筋肉も知った。「内地」でくくられていた地域が、「思い出のある茨城」「友達が愛する川越」「素敵な新年を過ごした名古屋」「素敵な萩焼を頂いた萩」に変わっていった。そして私はそれを豊かなことだと思う。

 

 それによって、私は沖縄だってまったく違うように見えるようになったからだ。沖縄は沖縄だけで成立しているわけではない。東アジアの中で関係しあいながら成立している。尊敬する民俗の先生に「あなたは自分の経験から出発した民俗学で安心した」と言われた。私の武器はその生活を肌感覚で知っていることだ。それは民俗学の範囲だけのことではなく、物事を考える上で大切にしたいことである。だから、今回台湾で生活したかったんだと思う。よくネットで「こんな留学は失敗する」とされている曖昧な理由だろうか。

 細々とした理由を挙げればいくつでも挙げる。特に惹かれている沖縄の土地神が中国由来であることとか、大学での単位をほとんど取り切ってしまったこととか、素敵だと思う人の多くが留学経験者であったこととか(留学経験者ってよく「○○の国では~」みたいな話し方をする気がする。それが何年前のことでも、考える基準に日本以外の視点をもっているって良いなと思う)つくばでの生活に疲れているところもあったかもしれない。周りの人がみんな背中を押してくれたのも大きい。奨学金のおかげで経済負担もないっていうことも大きい。

 

 だから私は台湾で街に出て、歩きたい。色んな神様に出会いたいっていうこともあるけれど、台湾の人の姿を見たい。博物館にも行きたいし、日本統治時代の遺構にも行きたい。台湾に来て何をしているんだって思うけど、沖縄民俗に関する本も読みたい。そして幸運なことに台湾大学の図書館には、沖縄民俗の本がかなり充実している。私の留学には、こうして絶えず自分の思いを言語化することも大切なんだと思う。留学というと外向的なイメージがあるけれども、私が見たいのは結局自分自身のことでもあるのだから。でも、こうした目的の裏にはやっぱり言葉が必要なんだ。信仰を見る上で生活が切り離せないように、文化と言葉もくっついている。そうやって、目的をはっきりさせて学ぶ語学はしんどいものじゃないかもしれない。

 

 むやみに焦らず、私なりに、わたしのやりたいことの為に、頑張る。それがこの留学の第二目標である。(第一目標は、健康に過ごすこと)

 

 今は、こんな私が台湾に来て良かったのかと不安に思うこともある。一年後の自分の姿なんて全く想像つかない。でも、どうにかなっちゃいそうな気もする。この留学が終わるころの私は、今の自分が持っていないものを持っていることは確実だ。それがどんなものであっても、自分を大きくする、豊かなものであると思ったから私は留学を選んだんだった。きっと、大丈夫。色々くじけそうになるけれど、それでも私は元気にやっています。