雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

台湾南部旅行 2日目 牡丹社事件 琉球人(宮古島島民)の墓

 

 

 台湾南部旅行2日目は、屏東へ向かった。お目当ては牡丹社というところで、台湾原住民族に殺された琉球人の墓。

 

 牡丹社事件(日本語でいうところの台湾出兵)は、高校の日本史の教科書で知っていた。しかし、それを習った当初は気にもしていなかった。ましてや、数年後まさか自分がその現場に立っているとは思いもよらなかった。

 

それがいつから認識が変わったのだろうか。これというきっかけではない。大学で色んな本を読むうち、わたしの故郷である沖縄が最初から日本であった訳でなく、時の選択といくつもの偶然、時局によって選ばれたもの(選ばされた?)であるように実感していった。国家という枠組みが非常に曖昧で、近代的なものに過ぎないと知ったのもちょうどその時だった。

 

 牡丹社事件の被害者は琉球人と言われている。しかし、わたしは琉球人ではない。両親ともにルーツは沖縄にあり、18歳までずっと沖縄で育ってきた。わたしは沖縄人(うちなーんちゅ)であるのかもしれない。しかし、琉球人でない。

 

歴史を振り返ってみれば分かるように、牡丹社事件台湾出兵)がもたらしたのは、その後の琉球処分である。そしてこの琉球処分は、わたしの今のアイデンティティ、つまり琉球人でないと言い切れてしまう心根につながっている。

 

何で牡丹社に行きたかったかと言われると、しっかりとした答えは出なかった。牡丹社事件について調べているわけでない。

でも、単なる興味でない気がした。

 

 

 たまたま縁があって、住まわせてもらっている台湾。その台湾で、昔あった事件。

しかも難破した宮古島島民を殺害したのは、私が台湾で興味をもっている、台湾原住民族であった。

 

私の生まれる前にあった出来事と、今の私の興味と、日本人であり沖縄人であるという私そのもの。それらが交差する場所のように感じたのである。

だから行きたかった。

 

そこには墓しかないんだろうなっていうことは大方予想はついていたけれども、そういうことは問題じゃなかった。

 

 高雄から牡丹社までは、まず台鉄で行ける南限まで向かう必要があった。

台鉄の最南端駅は枋山である。しかし、券売機に枋山の地名はない。駅員さん曰く、1日にほとんど止まらないから、その手前の枋寮まで行ったのち別の交通機関を探すべし、とのこと。

 



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高雄から枋寮への車窓。

工業都市を抜けて、どんどん長閑な景色になっていく。高雄の気候は熱帯である。どこか懐かしさを感じる台湾北部の景色とは違い、旅情がそそられる。ずいぶん遠くに来てしまった。


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枋寮は想像していたよりずっと、賑やかな街だった。
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蓮霧とマンゴーが有名な街で、海岸線も近い。電車から降りた瞬間に、このまちが好きになる予感がした。

 

駅から琉球人墓までの経路だが、当初の予定ではギリギリのところまでバスを使い、その後にタクシーを使う予定だった。しかし、駅前でタクシーのおばちゃんに声を掛けられ。何だか悪くない価格提示だったこともあり、(価格交渉を試みるも、それなら公平にメーターをつかいましょう、ということになった。最終的に最初に提示された金額とメーターでは大差なかった)タクシーで向かうことにした。

 

 

 

枋寮駅から約50分、片道800元程度のドライブ。

このおばさんドライバーの存在は、大きかった。なんせ、何かと押しが強い。かなりスピードを出すうえに、ひっきりなしに話しかけてくる。

 

マンゴーの話をすれば急に停められたのは、フルーツパーラー。
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「買わなくて良いからね、美味しい果物だから食べてみて」の言葉に警戒しながらも口に運ぶと、どれもこれも信じられないくらい美味しかった。

台湾に住んで4ヶ月、あんなに美味しい蓮霧も、釈迦頭もはじめて出会ったよ。

そして美味しさに感動しつつも、マンゴーを購入しようとすると(しかも一箱50元、日本円で200円しない。破格だ)「旬じゃないよ」と止めてきた。ほんとうに、ただのいい人であった。

 

閑話休題

 

おばさんの運転により、パイワン族の村も、現台湾総統を輩出した村も、いくつもの果物市場も越えていった。

集落をまた1つ抜けて、山間に差し掛かろうとする時、それはあった。あまりにひっそりと。 

 

おばさんは、その近くの出身だと言っていた。それでも、お墓のことは知らなかったらしい。道を間違えた。「初めてきた」と言っていた。そのくらい、ひっそりと立っていたのだ。お墓は、その地域の特産である玉ねぎ畑に囲まれたところにある。


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お墓の前には、崩れ変えかけの鳥居が立っていた。沖縄の墓や聖地には本来、鳥居はない。鳥居の存在は、「琉球人(宮古島島民)」が「日本人」として葬られていることを示しているようだった。

 

それでも、お墓の形はどことなく亀甲墓に似ていた。また、お墓の周りにはヒラウコーやウチカビが置いてあった。これらは明らかに沖縄産のものであり、沖縄の関係者がここに来たということを伝えている。言葉を失った。ウチカビもヒラウコーもまだ新しかった。

 

 殺された宮古島島民は恐ろしかっただろう。でも、殺した台湾原住民族(パイワン族と言われている)の方も、小さな集落にやってきた大勢の男性は驚異だっただろう。

でも彼らは、国家という大きな枠組みのなかでこの事件が処理されるなんて夢にも思わなかったのでないか。

 

 そしてその事件の顛末の、その先の未来に、沖縄人であり、日本人でもあるわたしが居て、たまたま台湾に住んでいる。その時の流れを噛み締めた。時と、土地が結びつく瞬間にゾクゾクする自分がいる。ひっそりとしていて、何か大きなものがあるわけでない。しかしそこには確かに歴史の渦が巻いていたと思う。

 

お墓に居た時間はそう長くはなかった。手を合わせたのち、石碑や墓を写真に収める。時間にして20分程度だったと思う。でも、来てよかったなと思った。遠かったけれども、来てよかった。

 

 いま、牡丹社事件について何かを語れるだけの知識も考えもない。でもそこに行ったという強烈な体験は、何度でも思い起こすだろうし、そのこと自体に意味があるように思う。だから行って良かった。

 

 

  行きたいなら行けばいいよと背中を押してくれた、同行者にはとっても感謝している。ありがとうございました。

 

 

 

 

ちなみに、その後は近くの四重渓温泉へ。


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温泉神社跡で足湯を楽しんだのち、高松宮ゆかりの温泉へ。とても気持ち良かった。しかし、神社跡の公園、温泉宿、そこかしこに日本統治時代の残り香を感じる。

 

おばさんタクシードライバーお薦めの羊肉鍋はこれまた絶品だった。

 

いい一日だったと思う。

でも、どこにいても「日本」の存在感を強く感じる一日でもあった。台湾と日本のつながりは良いとか悪いとか二元論で語れるものでは到底ない。

 

ただ単に、こうして旅行をしながらも、「沖縄」や「琉球」や「日本」の枠をこうも揺さぶる国はあるだろうかと思った。

 

 だからこそ、わたしは台湾で、考えたい。

今になってはっきり言えるけど、わたしは台湾に中国語だけを学びに来たわけでない。民俗学や博物館、台湾原住民族も第一の目的でなくて。もっとふわふわとした、自分を歴史の渦の中に置いて、考えたいのだと思う。