雑記帳

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【台湾】留学日記 3月3日 MINIATURE LIFE 展2in台北 感想

 

 今日は、華山1914文創園区というところでやっている展覧会を観に行った。

 文創園区とは、日本統治時代の施設をリノベーションしてできたアートスペースや文化施設のこと。華山1914も日本統治時代の酒工場をリノベーションしている。台北の中でもお気に入りの施設のひとつ。

 

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 お目当てはこちら、ミニチュア写真家の田中達也さんの作品。田中達也さんは、朝の連続テレビ小説ひよっこ」などで一躍有名になった方。日常にあるもので作られた、見立ての世界観が面白い。

 

 

  せっかく台湾に来ている展覧会が、今日までと聞いて駆け込み観覧。連休最終日だしね。みんな、おんなじことを考えたのか、会場は人、人、人!

 写真撮影可だった為、たくさんの人が写真を撮りながら進む。そうなると、列はなかなか進まない。かくいう私もスマホを片手に。ぞろぞろ列を進む。「あ、これいいな」で何も考えずにまずパシャリ。後ろに飾ってある写真のような、渾身のアングルでパシャリ。今度は引いてみたアングルでパシャリ。気に入ると最低3枚は必要だった。カメラギャラリーをいま見返してみると、シャッターを切った作品には共通点があるようで。そういうことが見えるのも、カメラと一緒に鑑賞するメリットなのかもしれない。

 

 最近の人にとって、博物館で観ることと、写真を撮ることはとても近いんだと思う。

おもしろいな。写真を撮ることでそのものを既に観た気になってしまう、とか問題点もありそう。

 しかし、同時にカメラで撮りたいっていう気持ちは、新しい博物館の在り方までも作るのでは?と思った。撮りたいという欲求って面白い。自分よりよっぽどの腕前で描かれた画集や写真集、図録じゃ無いんだもの。あくまで、自分で撮りたい。この気持ちは一体どこからやってくるのでしょう。

 

 人混みはすごかったけれども、作品にはそこまでしてでも観たいなと思わす力があり、観に来て良かったなと思いました。

 展示されている作品は、ミニチュアの世界だから、遠くからは何がなんだか分からない。でもどんどん寄っていくと、その世界が見えてくる。次は何が来るのだろうという楽しみがたしかにあった。展示ケースを覗くことで、ミニチュアの世界にアクセスする楽しみ。

 

 それから作品の魅力は、シャレとも取れるタイトルにもあると思う。

 

 作品タイトルをいくつか挙げてみると、

「新竹マンション」(新築マンションと、竹でできたミニチュア写真をかけている)

「これは修行ではない。さ行じゃ。」(辞典の中(さ行)の中で修行する人形)

「ぞうよりぞうきんが欲しい状況」(象に乗った人形が出くわす、こぼれたコーヒーの川)

「時間が解決してくれることもあります」(時計と牧場。時計の針が動くことで羊も一緒に動いてくれる)

等々。

 (展覧会の写真をSNSにあげていか分からないから、言葉で説明しようとしたけど、野暮だねぇ。)

 

 日本語の単語的な面白さを感じるダジャレ、作品を見ればタイトルの意味がわかるものもあり。言葉遊びが好きなわたしは、すっかりタイトルをメモするのに夢中になっていた。

 気になったのは、海外の展覧会でこうしたタイトルをどう訳すのか?という点。

 モノがそこにある限り、博物館や展覧会は言葉の壁や国境を簡単に越えられると思っていたが、やはり問題もあるんだなぁと。

 

 作品タイトルの訳には数パターンあった。まず、日本語の単語を使ったダジャレ出ない場合は、素直に訳す。日本語の音を踏んでいる時は、「ぞうと、ぞうきん、日本語では発音が似ている」などと言った注釈をつける、いっそのこと日本語のダジャレを無視し、それっぽいタイトルをつけることも。この辺の努力の跡を見ることができるのは、海外で日本人の作品を観る面白さだと思う。貴重な経験かもしれない。

 

 これまで田中さんのミニチュア写真を、「日本的な」アートだと思ったことは無かった。「日本的な」アート、それは例えば日本画とか、女子高生の制服やブルマ姿が強調されたアニメ画とか、そういうものをイメージしていた。けれども、作品に使われているサンプル食品は、台湾ではあまり見かけない。外国人観光客が日本のお土産に買っていくことからも、「日本的なもの」と言えるだろう。

 

 ダジャレだって、世界各国にあるものだけれど、オリジナルが日本語タイトルである以上、日本の生活に浸かってこそ、のものも多い。(布団がふっとんだー、とか、緊張とキンチョールをかけたものとかもあり)「ちゃぶ台返しでできた島」という作品があったけれどと、「ちゃぶ台返し」というのも、実は日本的なものなのかもしれないなと思ったり。そもそも、ちゃぶ台返しって現在本当に存在しているのだろうか? 星一徹の世界観。少なくとも、わたしが育った家にちゃぶ台はなかったし、わたしのお父さんはちゃぶ台返しをしなかった。それでも「ちゃぶ台返し」と言われて、その意味を理解できるのは、ある種の文脈を共有しているからであって。これは、漫画のコマをどの順番で読むか、とか、「ガーン」と書かれていれば主人公は何かショックを受けていると読むんだとか、そういった種類のルールを理解しているからなのではないか?と思ったり。

 

 でも、台湾人がその文脈を理解していないかというと、そうでもない。展覧会をまわっている最中も、あちこちで日本語タイトルを読み上げる声が聞こえたり、「ああ、アニメで観るやつね」みたいな反応が見られたり。

 タイトルを読んでない人も多いようだったけれども、それでもみんなカメラ片手にショーケースを覗き込み、楽しそうだった。ただ、それが可能なのは、お隣の国、台湾や中国だからなのかもしれないなとも思った。

 

 

 話変わって、作品展を出たあとにはお昼を挟み、

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 同じく華山文創園区でやっていた、「沖縄全島祭」へ。

 沖縄をテーマにした写真と、映画を観た。沖縄と台湾って、ほんと近いよね。地理的にだけでなく、文化的にも。沖縄アートフェスみたいなものも、よくやっているイメージだし、台湾人に「沖縄出身です」というと結構な割合で「行ったことあるよー!」との反応が返ってくる。

 いいよなぁ。わたしはその中でも、信仰の部分に興味がある。沖縄にいる神様と、台湾の神様。沖縄と台湾の人的交流と、信仰部分での共通点。

 つくばと、台湾と、沖縄で、沖縄について勉強して、その後、なんか出来たらなあとぼんやり思っているけれども、その「なんか」は多分そのへん。沖縄と台湾が近いこと、そのポテンシャルを活かして、「なんか」したいよねぇ。

 いや、まだ「なんか」は「なんか」のままですれけども。

 

 でも、たぶんその「なんか」をする時、私がやりたいのは書くことだから、今のかなり不確定で抽象的な気持ちも文字にしておくのだ。

 

 連休最終日、この連休は程よく外に出ていて楽しかった。

 しかしお気づくだろうか。わたしはここ数日、勉強していない。ほら、山積みの課題がそこに。中国語を書くのには人一倍時間がかかるのに、どうするんだ、これ。憧れの大学に入学したら、台湾に留学したら、勉強するようになるのだと思っていたけれど、まあ長い年月をかけて染み付いた習慣は治りませんね。日曜日の夜に追い詰められながら課題をする悪しき習慣。