雑記帳

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台湾留学日記 台湾語を学び、オカリナサークルに行く

 


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 今日は既に一つ日記を書いた後だけれども、言葉にしておきたいから書いておく。

 

 今日の授業である台湾語の話と、放課後に行ったオカリナサークルの話。

 

 今学期からはじめた台湾語はとにかく難しい。中国語(台湾華語)とそんなに変わらないでしょ?と高をくくっていたけれど、そんなことなかった。発音記号から声調、単語まで全く違う。中国語の声調が4種類(+軽声)あるだけで精いっぱいだったのに、台湾語は八声まである。しかも、先生はド、ミ、ソ〜♪とか言っている。台湾語の声調は、単純な音の高低差だけの問題ではないようだ。 

 

 中国語や英語だけでも手一杯だというのに、わたしに台湾語まで学べるのか?と思った。でも、その意味の分からない言葉を、訳分からないなりに話している瞬間が楽しかった。

 あ、わたし、いま台湾語を話しているよ!という小さな、でも確かな感動がそこにはあったのだ。

 またほんの少しだけ、この土地と近くなったような感覚かもしれない。

 台湾語には、日本語や琉球語と類似した語彙がある。そういうことを見つける度に、自分の言語感覚が拡張しているような気持ちになる。どんどん、研ぎ澄まさせるような気持ち。これは快感である。

 

 

 

 台湾語の授業を終えて向かったのは、オカリナサークル。

 見学のつもりだったけど、備品のオカリナを借りて実際に吹かせてもらった。

 私はオカリナ未経験。義務教育で習ったリコーダーくらいしかやったことない。実際、運指はなかなか覚えられないし、かなり指がもつれる。一緒に行った友達はスラスラ習得していくから、少し焦った。そもそも楽譜すら読めないし。友達が見せてくれた楽譜に、カタカナで「ドレミファソラシド」を振らないと分からない。

 でも辛抱強く、繰り返し繰り返し続けていけば、段々と運指を覚えてきた。ほんの少しずつだけれども、聞き馴染みのあるメロディが自分のオカリナからも流れるようになった。嬉しい。楽しい。

 「音楽の才能がないから〜」と泣きつくわたしに、友達が言う「大丈夫」という言葉。オカリナができない自分を笑っているのは、私自身のみであった。もしかしたら、本当に大丈夫なのかもしれない。そもそもね、これは音楽の授業じゃない。下手でも良いのだ、大切なのは自分が楽しいこと。

 

 楽譜を読んでいる時、これも一つの言語のようだと思った。身体で覚えろ、と「ドレミファソラシド」の音をひたすら繰り返している時、そしてふとした瞬間に指が思い通りに動く時、理屈だけでは到達できないある一点のほんの少しを覗いた気がする。こうした気付きがたまらない。

 

 自分でも驚きなのは、語学も音楽も、自分が大の苦手として避けてきたことであるからだ。あんなに、音楽も語学も大嫌いで義務教育の終わりと共に「音楽」の教科から解放されることを喜び、第二外国語の必修を取り終わったことに胸を撫で下ろしたのに。

 今のわたしは、台湾語もオカリナも自分から選択して、やりに行っているよ。そして、ちゃんと楽しかった。

 

 オカリナがうまくいかなくて、私が指がうまく動かない時、脳裏によぎっていたのは、「合唱コンクールで黙っておいて欲しい」と言われたこと。自分で笑い飛ばすしかないくらいの音痴で、本当に仲の良い人としでしかカラオケに行けないこと。さとうきび畑の香りが混ざったような、遠い記憶の中の劣等感がそこにあった。

 

 台湾語だってそうだ。私の発音が下手すぎて、覚えられなすぎて、ペアに迷惑かかってないか?と思う。

 思い出すのは、あの英語の授業。高校の英語の授業は、発音に厳しい先生が担当だった。わたしはいつまで経っても合格できなかった。母語である日本語ですら、通級指導教室に通っていたのだから、構音の問題もあるのかもしれない。(いや、あると言われた)しかも、リズムに乗って、英語を言わなくちゃならなかった。口の動きに集中しすぎて、手足の動きは、音楽から離れてどんどんバラバラになっていく。クラスメイトはそれを見て笑っている。私はそれで英語が、語学学習が大嫌いになった。

 

 でも、ここでは大丈夫。

 誰も私の発音を笑わないし、わたしの音楽センスの無さを馬鹿にしない。私だけが劣等感を募らせている。

 

 客観的に見ても、オカリナも台湾語もうまい部類ではない。でも、ここでは自分のペースでやりたいようにやれば良いのだと分かる。私は、音楽や語学学習が嫌いなんじゃなくて、笑われることが嫌だったのかもしれない。この気付きが妙に嬉しかった。

 

 あの頃、わたしを笑った人はここには居ない。そういえば、つくばにも居なかったなと思い返して、自分の大学生活がとても良いものであるように思った。嬉しかったから、忘れないようにここに書いておく。