雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

5月23日・24日 卒論題目と戦う

 留学日記

 たとえ日が空いてしまっても、たとえどんなに短くても、書き残すことが大切だと思い、更新。

 

 先日のこと

 

kinokonoko.hatenadiary.jp

 があったからか、朝から悶々としていた。自分の生きづらさをひしと感じて、ちょっと辛い。朝はベットから起き上がるのが大変だった。布団のなかの、優しい世界にずっと居たい。しかし、私にはやらなければならないことがある。

 

 1年留学の末、教員免許と学芸員資格を取得し、4年で卒業したい私には、いくつもの乗り越えるべきことがあった。「卒業論文の題目提出」はそのうちの一つだ。

 

 ここでの問題は、私が卒業論文のテーマにしたいことは台湾のことではなく、沖縄のことであるということ。それなら、何故今台湾留学をしているのかと言われそうだけれども、ここでは説明を省略する。台湾にも沖縄民俗の本は10冊以上持ってきているし、冬休み、時には週末弾丸帰省までもしていた。ただ、それでも、同期と比べて圧倒的に向き合えている時間は少ないだろう。

 

 最近少しづつだけれども、民俗学史なども勉強している。そうすると、その世界で何が問題となってきていたのか、がようやく分かりはじめ、私が最初の頃漠然と組み立てていた卒論構想のお粗末さを痛感する。もっと、もっと、本を読まなければならないし、もっともっと足を動かして、手を動かさなければならない。読むべき本が次から次へと出てくる。参考文献の参考文献の参考文献、という感じで芋づる式である。台湾で手に取れる本もあれば(台湾大学の蔵書は本当にすごい。台湾大学の蔵書がすごいのか、台湾における日本の知の占める割合が依然として高いのか)手に取れない本もある。

 

 結局のところ、良い問いというのはその学史を理解したうえでしか出てこないのだろう。やりたいことは決まっているが、その中の何を書くのか、そこからどのような論を導き出すのか。そういったところまで詰めてみると、自分が書きたいことというのが、如何にふわふわした、曖昧なものであったかを知る。大学の方で指定されたフォーマットで構想を書いてみるものの、「それは本当にそうであると言い切っていいものか?」とか「その意義は?」とか色々な点で自己ツッコミが入る。孤独で、とても怖い作業である。

 

 そうは言っても、私は国際郵便で卒論題目の書類を提出しなければならなくて。それにはタイムリミットも迫っている。台湾で学んでいることのほとんどは、私の卒業論文に直結はしない。けれども、台湾の授業の課題やプレゼン、テストも迫っている。できるだけ目に焼き付けたいと思っている道教のお祭りだって、私を待ってはくれない。台湾は台湾の時間で、時がまわっているのだ。

 

 院生の友達や同期にLINEで意見交換もしつつ、何とか形にした。ほとんど何も言っていないような題目である。10月に変更申請が効くので、変更は必須だろう(この点も相談済みではある)ある程度、割り切ることも大事なのかもしれない。そして先生からもオッケーと言われたので、目下のところは一安心。「目下のところは」

 

 気が付けば、台湾大学で学ぶのもあと1か月を切っている。焦りと焦りとほんの少しの諦観。卒論題目を提出してしまったら、ひとまず民俗学事典と字誌以外の民俗の本を日本に送ってしまおうかなあと考えている。台湾に居られる最後の2か月くらい、台湾のことに集中してみようかなあと思っているのだ。台湾に来た当初「中国語を仕事するわけではない」と言いわけのように言っていたけれど、もう少しものにしたいような気持にもなっている。欲が深いのだ。

 

 台湾を離れたくないと言えば言うほど、留学生活が充実したもののようだったみたいだから、声高らかに帰りたくないと言っている。その気持ちは本当なんだけれども、卒業論文にすこし向き合ってみると、日本に帰ってやりたいこともたくさん出てきた。中国語や留学の成果に対する焦りもあるけれど、日本でのことに対する焦りもあるわけで、同じ焦りでも色んなことがごちゃ混ぜになっている。

 

 この前友達にポロっとこぼしてしまった。帰国すれば、「成長しなければならない」という留学に関わるプレッシャーからも解放されるし、中国語と英語ができないことで劣等感を覚えることもなくなるんだなあと。そう思ってしまうこと自体、仄かな挫折感がある。本当はもっとできるようになったことも、得たものもあるのだけれども、台湾ではそれを感じることがなかなかない。中国語だって、先学期よりレベルの高い授業を取っているから、いつだって「できない」という自己評価のままだ。できないことを反省することは大切だけれども、できるようになったこともしっかり分けて評価したい。

 

 この日はたくさんの息抜きもしました。

 お気に入りのカフェで進捗を生む図。

 台北は本当に便利で、住みよい街で、美味しいものがたくさんあるので、そういうものが手に入らなくなるのがとても悲しい。都市生活にすっかり慣れてしまって、もとの田舎暮らしに戻れるかが心配。

 

 22日は「日本統治時代の卒業生にお話しを聞く会」もあり、行ってきた。

 

 私の祖母は沖縄戦疎開の為、台湾で暮らした経験がある。曽祖父は琉球官兵として、南投の方で警察官をやっていたそうだ。実際に赴任地にも足を運んでみたし、思うところはたくさんある。けれども、台湾生まれのいわゆる「湾生」の方が語る台湾の思い出と、祖母が語る台湾は全く違っている。そもそも、祖母はあまり教えてはくれない。建成小学の卒業生と祖母が住んでいたところは、わずか数キロしか離れていないのにも関わらず、だ。

 

 建成小学の卒業生のお話はとても面白かった。ただ同時に、祖母の語りとの温度差も感じた。やっぱり、学ばなければ。知りたい、という好奇心よりも、もっと違う感情のような気がする。学ぶことは、そのこと、その経験をした人、その地域に対する敬意を払うことのように思うのだ。

 

 祖母と台湾についてのこと。色々書きたいことはあるけれども、まだそういう時期ではない気がするのだ。でも、そういうこと全部ひっくるめてやはり台湾で学んでよかった。