雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

6月6日 中国語に専念するといったのはうそでした

 

 卒論題目を提出したら、残りの期間は中国語に専念する。

 そう言っていたのは先週の私ですが、それは嘘です。

 

 何度だって思うんだけれど、やるべきことをやるべき時にやれる人なら、それは私ではない。中国語を勉強しなくては、と言いつつ目移りするものがたくさんある。

 

 

 

 今日は卒論のことについてやっていた。卒論題目提出したんじゃないのとか、卒論のことなんて留学終わってからもできるじゃんとか、自分の中から声がする。けれども、今日の私はこれがやりたかったんだ。

 

 なんでだろう。日本の大学に居る人らがぐんぐんと専門性を伸ばしていることに対する焦り。私の進路はどうなってしまうんだろういう焦りは確かにある。ただ、それ以上にふと手に取ってみた字誌がやっぱり面白くて、止まらなかったという方が近いかもしれない。上の写真は調査地の字誌(郷土誌)卒論のテーマに据えている外来神についての記述に付箋を貼っていったら、あんなにたくさん。やっぱりすごいなあと思う。ぞくぞくする。

 

 これからのインターンのことを考えたり、今せっかく台湾に住んでいるのだからと思うと、やるべきことは中国語だ。中国語を学ぶにあたって、最高の環境に居るといえよう。でも、「ぞくぞくする」という感情に敵うものは何一つない。

 

 調査地の字誌は情報量が多く、かなりしっかり調査されていることが分かる。字誌の内容の8割を郷土史家の方が書いたというのだから、驚きだ。聞き取りのデータも得ることができた。この郷土史家の方はすでにお亡くなりになられている。だけれども、個の方が集めたデータで、私がものを考えられるということに、しっかりとバトンを渡されたのだと感じる。「ぞくぞく」の正体は多分これだ。

 

 聞き取りのデータを書き起こそうと思い立つ。

 ヘッドホンで何度も音声データを聞く。分かるところから打ち込んでみる。ただ、その音声の大部分が方言(琉球語)で語られていて、かなりつらい。私は同年代の中ではかなり「聞ける」方だと思っていた。けれども、対人コミュニケーションでの「聞ける」と聞き取りのテープの「聞ける」は全く違うのであった。

 

 どれだけ集中的にできているかは別として、今私は中国語を学んでいる。中国語を学ぶことによって、台湾社会の解像度は日々上がっていくし、開けていく世界に毎日感動している。

 台湾人の台湾語客家語、台湾原住民の言語についての話を聞くことも多い。こうした言語は中国語を前に衰退の道を辿っている。そういう話を聞いている時に思うのが、「私は琉球語を話せない」ということだ。

 

 私の母語はうちなーやまとぐちだ。関東から那覇空港に降り立った瞬間に、私の言語スイッチは切り替わって、それまで東京四季アクセントをなんとか保っていたはずの言葉も、沖縄のイントネーションに変わる。そうして思うのだ。「ああ、ただいま」と。この実感が迫る瞬間はかなり心地の良いものである。ただ、そのうちなーやまとぐちと、自分よりずっと上の世代の言葉とは断絶が大きい。

 

 沖縄に帰ったら琉球語も学びたいなと思う。卒論の為にある程度は学ばないといけないだろう。今までの長期休みと同じように、毎晩祖父母宅に通って話を聞かせてもらうことになるだろうから、多少耳が慣れるということはある。ただ、その次元ではなく腰を据えて学びたいのだ。琉球語を学ぶための教本は出版されているし、CDまでも付属していることもある。ただ、そのCD音源の多くは首里を基準としている。できれば、祖父母がまだ元気なうちに、祖父母の発音を学びたい。祖父母の発音とは首里の言葉とは異なる、沖縄本島南部の田舎の方の発音だ。

 今までだって何度も「教えて欲しい」と頼んできたけれど、いつも「おばあの発音は汚いから」と断られてきた。高校生の頃は、そう言われてしまうと簡単に引き下がっていた。でも、今なら「汚い」発音なんてないとはっきり言えるし、私は祖父母の言葉だからこそ学びたいんだといえる。「琉球語教えて」と急に言われたところで、祖父母だって困るだろうから、教本の例文の発音を直してもらうようにした方がいいのだろうか。祖父母に話してもらった言葉をボイスレコーダーで録音したい。

 その為には「おばあの発音は汚いから」と言って、私の前ではなるべく話さないようにしてきた祖母を説得しないと。やっぱり卒論を仕上げるのが先かな。調査地と自分の地元は別だけれども、卒論を仕上げて、私が何に惹かれているのかをしっかり形にできたらいいのだけれども。いや、そもそも私は卒論を書けるのか????

 

 ああ、やりたいことが多すぎる!

 

 台湾に住んでいるのに、私はまた沖縄のことを考えている。目前に迫ってくる必要性の問題では、中国語を何とかすべきであることは分かりきっているのに!

 ただ、ここまで本気で琉球語を学びたいと思えたのは、台湾に来たからだ。一年かけて中国語を学んで、少しずつ台湾社会がはっきり見えて来るのを実感したこと。今学期台湾語を齧ってみて、台湾の中にも分断された言葉があることを知ったこと。台湾原住民の言語復興運動について見聞きしていること。そういうことが私を琉球語学習へと駆り立てるのだった。

 

 沖縄でやりたいことが沸々とわいてくる、という意味では、私の心は少しづつ台湾を離れる準備をしているのかもしれない。台湾を離れるまであと二か月無い。

 

 午後は友達と唐詩の勉強をした。来週に迫った期末テスト対策である。お互いに唐詩の暗唱を確認しあいながら、思う。唐詩だって、私が中国語を理解できるようになったからアクセス可能になった世界なんだよなあと。漢詩は中学、高校の国語の時間にも学ぶ。けれども、訓読しながら日本語として読んだ漢詩の世界と、中国語で学ぶ唐詩の世界は、同じ作品でも全く違っていて。中国語で読む唐詩が美しいと思うとき、その美しさにアクセス可能な自分を誇らしいと思うのだった。琉球語だって、そうなんだろう。