雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

台湾大学の学修を終えました。ただいまインターン

 

 

 ほんの1ヶ月前は台湾大学の交換留学生として、毎日授業に通っていたのだ、というと嘘のように思える。私は台湾大学での学修を終え、台湾大学学生寮も追い出された。交換留学で私が台湾に居られるのはたったの10ヶ月しかない。だからだろうか。毎日がめまぐるしくて、1ヶ月前のことがひどく遠い昔のようにだって感じられるのだった。
 前回の日記を書いたあと、端午節のフィールド調査をしたり、彰化への旅行に行ったり。期末のテストウィークにさらされたりもした。

 


 そう、テスト!やる気がどうにも起きず、大変おっくうだった。単位はすべて回収できたけれど、最後まで台湾大学での勉強があんまり好きになれなかった。私の語学力のせいで、多くの科目は教養科目にすぎなかったこともあり、授業に関してだけ言えば、日本に帰って勉強したかったくらい。私は日本では大学四年生で、教養科目で習うようなことはすでにどこかで聞いたことばかりだったのもあるし、日本の友達と比べて勝手に焦っていたところもある。そんなんだから、テストにも当然やる気を見いだせず。何とか乗り切ったという表現が正しい。単位はすべて来たけれども、苦しかったな。やっぱり自分がやりたくない勉強からはできるだけ避けていたいよ。

 


 その合間で、台湾大学でできた友達とのお別れもしたし、桃園の山奥のタイヤル族集落へ出かけたこともあった。ずっと行きたかった故宮博物院の南院に行けたことも良い思い出だ。台湾大学学生寮は入居時から汚かったわりに、退去の際の掃除テストは厳しく、引っ越しには手間取ったし、大層くたびれた。

 

 

 本当に色んなことがあった。多くの留学生が帰国するなか、私は台湾留学の延長戦というべき時間を過ごしている。台湾大学からひと駅離れたアパートに住み、留学開始時からの予定どおり、台湾原住民関係の私立博物館でインターンをしているのだ。朝7時半には家を出て、満員電車に揺られて1時間ほどの道のり。これまで約9ヶ月台湾に住んできたけれど、今まで見てきた台湾と、インターンをしながら見る台湾がまた少しだけ変化しているのが面白い。


 通勤途中何となく車窓を眺めていると、健康体操をしているおばちゃん達の姿を見つけたり、ここの通りには朝ご飯屋さんが立ち並ぶのだという発見をしたり。日本の通勤の様子は、スーツの人ばっかりでなんだか黒っぽいけれど、台湾はものすごくラフだったり。気楽な交換留学生だった頃は、そんな朝早い時間に電車に乗らなかったし(そもそも授業があった)自分自身の時間の余裕からか、台湾もゆったりとした町並みに見えていた。ただ、今度は自分が9時から17時という出勤時間をもってみると、台北もせわしなく思えるのだった。少しずつ、台湾人のリアルな金銭事情も耳にして、私が奨学金で買っていた物の価値を再認識する。


 私はできるだけ色んなところに足を運ぶよう心がけていたし、台湾についての本もできるだけ読んできた。それでも、私の知らない台湾は無限にあって。立場の数だけ台湾があるのだということを何度だって突きつけられる。今をそれを肌で実感できて良かったのかもしれない。私はもうすぐ日本に帰る。日本に帰ったとき、私が見てきた台湾を台湾のすべてのように語ってはいけない。それと同じように、気楽な交換留学生の、たった一年しか住んでない私が目にした台湾を、価値のないものとして語ってもいけない。自分が見てきたものすべて、自分の財産だし、真実だ。謙虚に、けれども卑屈にならないようにして語ろう。考えてみれば、交換留学にインターンを組み合わせるような形の留学、最初はぜんぜん考えていなくて、大学の先生にお勧めされるがままに奨学金の申請書を書いたのだった。インターンできるだけの中国語能力、っていうことはずっと私を悩ましていたし、不安の種でもあった。でも、今になってはっきり言えるのは、挑戦して良かったなという気持ち。留学を決めたころ、一年半前の自分には、今の自分の姿が全く見えてなかった。自分にできるとも思ってもなかった。それにもかかわらず、今のようなかたちの留学をおすすめしてくれた先生や、それを全面的に支援してくれている奨学金の団体(奨学金が取れなかったら留学を取りやめようと思っていた)には本当に感謝している。

 

 

 インターンの方はおおむね順調です。インターン先の博物館は、日本語ボランティアガイドとしてずっと関わってきた博物館。だから、通い慣れているし、職員さんとはすでに知り合いだし、文物に対するある程度の知識もある。でも、ボランティアガイドとして、さらには来館者として、見てきた博物館は表の部分でしかなくて。インターン生として受け入れてもらうなかでの発見も毎日ある。どんな仕事でも、裏方の地道な作業のうえで成り立っているのだなあと思う。一方で博物館の収蔵庫のなかに入ったり、貴重な経験もさせてもらっている。学芸員資格取得のため、去年のちょうど今頃沖縄の県立博物館で実習をさせてもらったけれど、日本の公立の総合博物館と、台湾の私立の専門博物館では、類似点も相違点もあって、日々勉強になっている。特に「民族」博物館でインターンできていることは、私にとって非常に意味のあることだ。日本には民族博物館は少ない(民俗博物館ではない)ということもそうだけれども、文物の扱い方や文物との向き合い方、そのまなざしみたいなところで、考えさせられることばかり。例えば、私がインターンしているのは台湾原住民の博物館なんだけれども、「台湾原住民」として彼らをひとくくりにしない配慮や、文物に関わる合法性の重視などなど。そういった問いに対して、一つ一つ立ち止まって考える機会があるのは、本当にありがたいことだと思う。

 

 インターンを行う上で最も不安だったのは中国語。こちらの点は、周りの職員さんや実習生仲間に大変助けてもらっている。「何とかなった」というより、「何とかさせてもらっている」という方が近いかもしれない。ただ、インターンを行えるくらいの中国語力というのは、留学当初のひとつの目標だったから、一つ自信にもなっている。嬉しいのは、ほかの実習生と同じ実習内容をさせてもらっていること。
 語学力、というだけではHSKや中国語検定で測れるような能力を考えがちだったけれど、実際の生活は総合力だ。インターン期間で博物館についての講義があった。そこでの中国語は、私にとって難しいものも多かったんだけれども、日本で受けていた博物館学の知識が私を救った。IPMといわれて何を指しているか気づけるだけで、理解度はグッとあがる。中国語学部でもないのに台湾留学、というのは語学の面で大変な部分もあったけれど、どこで何に救われるか分からないものだとも思う。

 

 それから、私の実習生仲間の多くは香港の学生だった。台湾の中国語(台湾華語)は特殊なところがあるし、私は私で発音に自信がなかったけれども、彼女たちと仲良くできているところも嬉しいことの一つだ。ああ、私はこの一年で台湾だけではなく、もっと広い世界、中華圏につながる力を手に入れられたんだなあと。小さなことかもしれないけれど、これは嬉しかった。

 

 インターンはまだ続くし、課題もあったりして、これからきっと大変だ。本当に平日はくたくただったりする。ただ、できる限りのものを日本に持ち帰りたい。インターン期間の終わりと、台湾留学の終わりはほぼイコールみたいなもので、焦る気持ちもあるけれど、大丈夫、だいじょうぶ、私は着実に歩めている、と自分にささやこう。