雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

11月7日~11月15日 息抜き記録

 

 卒論を抱えていると、何でもない日記を書きたくなる。

 ここ最近の日々は、日中授業に行って、夜ご飯を食べたあとから卒論を書いている。毎日、まいにち間に合うだろうか、と心配しているし、結構やばいスケジュールと、それでも思うように進まない現実とでちょっと疲れている。だから、自分の中のバランスを取り戻すかのように、なんでもない文章を書きたくなる。以下、息抜きの記録です。(結構多い)

 

 はい、焼き肉!

 これは大学院合格して、友達といった焼肉!お祝いと言ったらやっぱり肉だよね、ということでたらふく食べて、たらふく飲んだ。これからの人生もこれくらいの単純さを持ち合わせていきたいものだし、やっぱり嬉しい時に一緒に喜んでくれる友達がいるってありがたいことだよね。

 この数日は色んな人に「おめでとう」と声をかけてもらえ、大学を歩きながらほくほくしておりました。私が入試前に散々「不安である!!!」と言いふらしていたということもあり、色んな人に「ほらね、大丈夫だったでしょ」とも言われ。自分が一番自分のことを信頼できてないんだなあとも思ったり。

 進学するんだから、やっぱり卒論頑張らないといけないし、英語とか中国語とかやることもたくさんあるなあと思うんだけど、浮かれポンチな私なのでした。

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 家で黙々と作業していると身体を動かしたくなる。(ならない?)

 性質的には、結構アクティブに動いていたいんだけど、最近はそんな余裕がなく。心と体のバランスがイマイチなので、そういうときは走ったり、サイクリングに出かけている。

 

 関東の秋は綺麗。寒くなると同時に空気が澄んできて、これから訪れる冬も悪いものじゃないことを感じさせる。自宅からちょっと走るだけで田んぼが広がって、土の匂いもする。ラジオを流しながら作業しているおじいちゃんが居る。空気が澄んでいるから、筑波山もしっかり見える。それだけで欝々としかけていた気分ががらりと変わるのだった。

 

 サイクリングの目的地をパン屋や喫茶店に設定している。自転車を走らせながら、神社やお寺、お墓を見つけたり。どきどきしながら、ちょっと覗いて見たりして、そういう発見が楽しい。

 関東に引っ越してきてから、2週に一回は東京に出かけていた私だけど、今学期はどうもそこまでの気力はなく。東京に行ったのは夏休みの留学奨学金研修が最後である。でも、足元にも楽しみがたくさんあって、それがまた楽しいんだ。

 

 

 それから、11月11日に22歳になりました!

 この日の夜には友達に祝ってもらった。誕生日をお祝いしてもらうのは、照れくさくてもぞもぞしてしまうんだけど、たまらなく嬉しい。だって、誕生をお祝いするんだよ??全肯定じゃん??すごいよね??ありがとう(ありがとう)

 誕生日には今までやったことのないことに挑戦してみよう、と決めて髪を染めました。元々の髪色が真っ黒だから、そんなに派手に染めることはできなくて、他人から見たらよく分からない変化なのかもしれない。でも、鏡の中の私がちょっと違うことを私自身はよくわかっていて、それがちょっと楽しいのです。

 私は自らの外見に気を配らずに生きてきたけれど、外見を整えるということは自己肯定感に直結するし、自信を持っている人はやっぱり美しい。外見に気を配ることは、他者を強く意識しているようで、実は何より自分の為になる行為なのかもなあと思うのでした。(しかしお金がない)

 

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22歳になるころ、私は留学を終えているし、もしかしたら進路も確定しているかもしれない。大事な一年、貴重な一年、というと自分自身でもにわかに緊張する。でも、そういうことよりどこに居ても変わらないこと、たとえば自分の声を大切にすることとか、心身ともに健康であること(これが結構難しい)とか、そういうことに気合いを入れていきたい。あと、猫背を直すこと!

 

 去年の私は誕生日にこう書いている。留学は終わったし、進路も確定している。でも何かをガムシャラに頑張ったということではなく、日々を着々と過ごしていたらちゃんとここに立っていた、という感じ。次の一年も、日々を重ねて、行きたいところにちゃんとたどり着けたらいいな。なお、猫背はなおっていません。

 

 

 大学院合格を報告すべく、久しぶりに茶道のお稽古にも行った。

  抹茶を飲んで帰るはずだったのに、気が付いたらお点前していた。久しぶりのお点前は緊張したけれど、意外と身体がスルスル動いてびっくりした。袱紗捌きも、茶筅通しも身体がちゃんと覚えてくれていたのだった。「頭で理解せずに、何も考えなくてもできるようになりなさい」という茶道の教えが苦手で、同期イチの劣等生だった私なのに。留学直前まで2年半続けていたら、その分の教えはしっかり体に染み込んでいて。楽しいなあ、すごいなあ、豊だなあと思ったのだった。

 帰り際先生に言われた「これからもっと身を入れないといけませんね、また来週」と。卒論提出まであと35日。茶道に復帰するかまだ決めかねているけど、惹かれちゃってて、かなりやばい。写真はお稽古の翌日、ねりきりを食べながら雑誌を読んだ朝。

 

 幼稚園、小学校、中学校、高校まで一緒だった友達がつくばにやってきた。

 写真は一緒に行った海鮮レストラン。蟹ピラフが看板メニューで、フラミンゴがたくさん居る。このちぐはぐ感がたまらない。フラミンゴは大変大事にされているようで、毛並みが大変美しい。お客さんが居ない時間帯に行ったから、人間の数よりフラミンゴの方が多くて、笑っちゃった。

 あと、フィンガーボウルというものを初めて使った。フィンガーボウル、「飲んではならないもの」という知識はあったが、実際に出されたのは初めてで、びびっちゃった。フィンガーボウルの中に入っている液体が茶色かった思い出。そういうのって水じゃないんだね。勇気を出して聞いてみたら「ジャスミン茶」とのこと。また一つ、私は強く賢くなった。

 

 

 夜はわたしの大好きな飲み屋さん、わかたろうに行った。幼稚園から高校まで一緒の友人は、こう不思議な関係だ。彼女と一緒に北関東に居るのがさらに可笑しかった。幼馴染がありがたいのは、自分が忘れているあの頃をしっかり思い出させてくれることなんだと思う。頻繁に会うような関係性じゃもうなくなっているけれど、たまにこうして会って話せるような関係が今後も細く、長く続きますように。

 

 

 写真はないけど、昨日は沖縄からの高校生を前に話した。一種のバイトのようなものである。「難関大学の先輩」として扱われるのは正直苦手だ。沖縄から大学見学に来るような高校生は真面目な子ばかりで「高校生の頃、先輩はどれだけ勉強しましたか??」と聞かれて、吹き出しちゃった。ここでいう勉強が何を指しているか、多分「センター入試の点数につながるようなこと」なんだろうけれど、それなら私は全然勉強していなかったからだ。

 

 でも、更級日記を手で書き写して全文読んでみたこと、琉球語の係り結びについて調べていたこと、模試の誤答ノートに鎌倉旅行記をつけてみたこと、そういう学びが私にはとても大切で、しっかり今につながっているんだなあと思い出した。そういう私をしっかり認めて、評価してくれる先生方が居たこと、拾ってくれる大学があったことに感謝しつつ、高校生には「ゴールは同じでも道は一つじゃない、自分の適性に合わせて戦略を立てるところから受験もはじまるんだよ」というような話をした。

 

 「卒論って何字くらい書くんですか」「民俗学を専攻しようと思ったのは何でですか」「何で教員免許を取ろうと思ったのですか」「中国語はどうやって勉強したんですか」「なんでこの大学を選択したんですか」色んなことを聞かれて、そのたびにぶっちゃけすぎる程正直に答えた。沖縄の高校生に対して話すと、どうしても「あの頃の私を救いたい」という気持ちになってしまう。今となっては、先生方の立場もなんとなくわかっていて、こういう部外者の立場だからこそ言ってあげられることもあるだろうなと思うから余計に。ただ、そうやって話した言葉は自分にも返ってくる。「すごい先輩」という眼差しを向けられ、これは卒論を放置している私へのダメ―ジが大変大きいのであった。