雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

大学を卒業しました

  

f:id:kinokonoko11:20200325161203j:plain

 

大学を卒業しました。

新型コロナウイルスの影響で一般学生の式典参加は禁止、学類ごとの学位記授与式もなくなってしまったけれども、卒業式当日はうららかな陽気で、とても素晴らしかった。大学入学式の時に見上げた桜が満開で、それが心底嬉しかったのを強烈に覚えている。沖縄では咲かない品種の桜。本とか映画とか歌詞とかでしか知らなかった桜だったから、風に舞う桜を見ようって受験の時に言い聞かせていたんだった。自分の知らない環境に身を置いて、期待と不安、どちらが大きいかなんてわからなかった。怖かったけれど、ずっと島に居る自分もまた想像できなくて。故郷を飛び出した4年間は、私にとって本当に大きなものとなった。

 

 卒業式当日は式典が行われるはずだった講堂に集まって写真を撮ったり、サークルの練習場で写真を撮ったり。後輩からも花束をもらって、式典の有無なんて気にならないほどだった。

 

 卒業式の日は色んな人に「おめでとう」と言ってもらった。駅と大学をつなぐ、普段は荒々しい運転をするバスのおじさんも「本日大学を卒業したみなさん、おめでとうございます」とアナウンスするものだから、涙ぐんでしまった。学校を卒業したら、次に「おめでとう」と言ってもらえるのはいつだろう。社会全体に微笑ましく見守ってもらえる、学生と言う立場のありがたさよ。

 

 

 限られた時間ではあったけれど、友達と祝杯。

f:id:kinokonoko11:20200325191158j:plain

 茨城の地酒を飲みながら、四年前の私は「内地」に出てきたつもりであったけれど、それが茨城で良かったなあと思った。「内地」でくくられていた日本にも色んな姿があることを知れたことは、間違いなく豊かさである。茨城の自然とか、食べ物とか、人ととか、沖縄とは全く違う空気感にぽかんと置かれて、それはそれは不安だったけれど、全身で感じていた日々だった。私はサークルでは茶道をやっていたし、専攻は文化に関するものであったけれども、周りの自然環境があってこそ、実感をもって学べていたんだなあと思う。

 

 帰り道、友達が「自己肯定感が上がった四年間だった」と話していて、本当にそうだよなあと思った。私の居た場所は、各々が好きなことをのびのびとやっていて、誰もそれを茶化したり邪魔したりしなかった。心からすごいなあと思える人がたくさん居て、それは私にとって心地よいものだった。本当にありがたかった。この四年間を思ったら絶対に泣いてしまうと思っていたのに、周りの人がみんな笑顔だから大学では一度も泣かなかった。同級生は「働くのが不安」と口々にしながらも、やっぱりどこか期待している目をしていた。寂しそうに「この大学に来るのも最後」と言う姿が、私にはまぶしかった。

 

 私はあと二年、この地に住む。自分で決めた第一志望の進路だけれども、それでも友人が一人また一人と去っていくのはつらくて寂しくて。友人と分かれた帰り道、夜の公園で美しく咲く桜を見ていたら、人の別れが春に集中していて良かったなと思った。これが秋なら耐えられなかった。

 

 

f:id:kinokonoko11:20200327112616j:plain

 その日はどんな気持ちで布団に入ったのか、覚えていない。ただ、翌日の朝目が覚めたら後輩からもらった花が鮮やかで、おめでたい日に花を贈る意味がわかった気もした。贈ってもらった花の鮮やかさは、華々しかった日の名残をしっかりと伝えていた。

 

kinokonoko.hatenadiary.jp

 

kinokonoko.hatenadiary.jp

 

 

kinokonoko.hatenadiary.jp

 

 

kinokonoko.hatenadiary.jp