雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

思っていた春とは違った

 

 思っていた春とは違った。今ありとあらゆる人がそう思っているのだろうな。

 思い描いていた春は、大学院生として新生活に胸を弾ませている春だった。でも、私は今子供時代を過ごした実家に毎日籠って日々を過ごしている。

 

 大学の卒業式を終え、父の命日のためにもともと沖縄へ一旦帰るつもりだった。大学の春休みで3月も帰省していたから、ほとんどとんぼ返りだ。大学院の入学式がなくなったこと、それから新学期のスタートが三週間ほど遅れるのは聞いていた。でも、茨城の地へまたすぐ戻れるものだと思っていた。大学の授業が当面の間オンラインで行われることとなったのは、私が沖縄に帰る二日前のことだった。またいつ対面授業ができるのか、誰も分からなかった。

 

 いろいろ考えて、生活の拠点を実家のある沖縄に戻すことにした。

 期限は不明。7月あたりに戻れたら良い方で、9月、10月に戻れることを信じている。3月末の地点で茨城に非常事態宣言は出ていなかったけれど、東京はにわかにパニックになっていて。近所のスーパーで買い占めが起こっていたのが私の不安を煽った。アルバイトだってどうなるのか分からない。(のちに休業となった)家賃は無駄になるとしても、食費や光熱費などをうかせたかった。

 本は茨城にもってきていたけれども、オンライン講義でどんな文献が必要になるか分からないから、手当たり次第段ボールに詰めた。冷蔵庫の中身は周りの人におすそ分けした。茨城にようやく慣れてきた生活を、一つ一つ引き剥がすようにして荷造りをした。

 

 

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 首都圏を避け、茨城空港から沖縄へ。満開の桜を目に焼き付けるようにして空港へ向かった。私はこの桜が風に舞うのも、新緑が混じって賑やかになるのも、全部全部目にするつもりだったのに。

 

 

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 でも、私は良い方なのだ。分かっている。帰れる場所があること、帰っておいでと言ってくれる人がいること。もともと住んでいたのが東京ではなく茨城であったこと。高齢者や持病を持っている人と同居しているわけではないこと。首都圏を通らずに帰れること。もともと父の命日で帰る予定だったこと。色んなラッキーがあって、この判断を取れた。しかもそれが3月末のことだったからできた判断である。あの時の判断が一週間遅れていたら、きっと身動きも取れなかった。(まあ父の命日で帰っているのでそれはないんだけれども)

 

 沖縄に帰って二週間は家族以外とほぼ会わず、ひきこもり生活を送っていた。

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 父の命日も、清明祭も家族だけで行った。私が二週間ひきこもっているうちに沖縄でもぐんぐん感染者が増えて、茨城から沖縄へ移動して2週間が経ったあとでも生活は変わらなかった。

 テレビを付けても、ワイドショーが不安を煽ってばかりくるから、NHKドキュメンタリーばかり観ている。身体を動かしたくて、庭でバレーボールしたりキャッチボールしたりして過ごしている。農道を散歩することもある。私のことを屋号で呼ぶこの地域のお年寄りは、新型コロナウイルスなんて関係なさそうにして、いつものように畑を耕している。

 

 2週間の自主隔離が終わったその日にブックオフへ行った。このあたりで一番大きいブックオフは、小中学生の頃からちょくちょく通っていたけれど、そこへ足を踏み入れるのは久しぶりのことだった。何となく、昔好きだった本を手に取る。『デモナータシリーズ』とか『図書館戦争』とか。昔はお小遣いがなくて買えなかった本を10数冊かったけれど、それでも千円ちょっとだった。帰宅後そうした本を読む。間違いなく今読んでも面白い。あの頃の自分が何に胸を弾ませたのか、切に迫ってくる。

 

 

 オンラインでのおしゃべりもよくやっている。小学校からの友だちとのオンライン飲茶会、高校の同級生とのオンライン飲み会、ドイツの友達とのライン通話。

 毎日、何かをしているけれど、やっぱり日々は静か。世界中を揺るがすような出来事が起こっているのに、静かな日々は不気味で不安になる。

 

 私は自分の子供時代、ひいては沖縄のことをずっと考えてきたような大学生活だった。大学卒業とともに子供時代をある程度清算できたように思っていたのに、ここに来てあの頃に戻っていくような感覚になる。沖縄で就職するかどうするのか、という問題もずっと頭を悩ませていたけれど、沖縄で生活することのリアリティは沖縄に居ないと分からないものだと感じる。

 

  憧れていたもので周りを固めていた大学時代と、それから離れざるを得なくなった現在の生活。18歳までを過ごした子供部屋で、私は何を学ぶのか。ここで静かに生活することが苦しいわけではない。ただ、あまりに緩やかで静かだから混乱している。この不安は新型コロナによって招かれたけれど、やっぱり問題は自分の中にある。

 

 この日々をよりよく過ごそうなんてことはとうに放棄した。健やかに過ごせたらもうそれでいいことにしている。スコーンを焼いた。ずっと気になっていたホラーゲームをクリアした。高校生、中学生の頃のものが積みあがっている部屋を綺麗にした。テイクアウトした伊勢海老で大学卒業を祝ってもらった。

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 それから沖縄から茨城の大学へ事務手続きはわりとあって。書類を書いては郵送して、を繰り返している。でもやりたくないから、亀のスピードで書類を片付けているし、大抵大学から不備の電話を受ける(ごめんなさい)沖縄から県外への普通郵便は船に載せるしかなくなっていて、1週間ほどかかるという。速達を使えば飛行機便ですよ、とは言うけれど、「ああここは島なんだな」と実感した。緩やかな日々の穏やかさがより一層増した。それと同時に息苦しくなってきた。今は書類を郵送する手続きと、大学からオンラインで受ける連絡だけが、私が大学院生なのだと教えてくれる。

 

 大学院の授業はまだはじまらない。そうは言っても、オンラインで新入生オリエンテーションを受けてみたり、履修登録をしてみたり、おっかなびっくり大学院生としての生活ははじまっているらしい。この地で大学院の授業を受ける自分を想像してみたけれど、うまくいかない。でも、心の端で楽しみにしている。もちろん、茨城の地で対面授業を受けたかった。院生室で色んな話をしながら研究を進めたかった。でも、この地で学ぶことで起きる自分の中の化学反応みたいなものが、どこかで楽しみである。

 

 思っていた春とは違った。こんな静かで不安に覆われた春を私は忘れないだろう。この春の意味などまだ分からないし、この先の夏も秋も一体どんなものか分からない。ただ、静かに生き抜いて、その先で色々考えたいと思う。近況報告おわり。