雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

見晴らしの良い場所で

 

 沖縄に帰ってきて3か月。

 昼夜逆転しちゃっているし、関東に居る自分よりずっと頑張れていないと思うけれども、沖縄で、学ぶこと、その実感がふいに訪れたことがある。鍵垢のツイッターでバーッと書いて自分の気持ちを発散させて、それで終わりにしたって良いんだけれども、この気持ちをTLに流してしまうのもまた惜しくて、ブログにしました。

 

 私は土地神のことを研究したいと思っている。土地神のことで卒業論文を書いた。修士論文もそのつもりだし、もしものもしもで博士論文を書くことになってもやっぱりそのテーマだと思う。

 

 でも土地に対する信仰、その実感は全然分かってなかったんだと思う。

 沖縄に帰ってきて、祖父母の土地に建てた家に住んで、祖父母の畑が隣にあって。おじいちゃんが炎天下で毎日サトウキビの世話をするのを見ていて。収入には全然ならないのに、うちのおじいちゃんはそんなこと関係ないみたいに畑を大事にしていて。機械化できない農業は時代遅れだと思いながらも、それでもおじいちゃんはまた誰かが畑を続けて欲しいと思っていて。

 

 田舎だから自分にも相続する土地があって、その土地を見に行って。就職とか引っ越しとかそういう大きな決断をする時、「この土地をどうするのか」という問いが生まれるものだなと自分の問題として強く実感して。

 

 そうして、土地というのはそれを継承した祖先とのつながりを感じる場所であり、生活の基盤であり、(農業が主流な時代は特に)経済の基盤でもあったんだなと実感したんだった。言葉にすると簡単だけれども、いつもと変わらない、でも日々背丈が高くなるサトウキビ畑を前にして、「ほう」という実感があったのだった。

 

 そして、昨日は旧暦5月15日で5月ウマチー(地域の拝み事)があった。地元の方にも「地元の子」として参加した。うちの地元は元々山手の方に集落があったが、郡道が整備されたこと、生業変化の結果、現在では海手の平らなところに集落が移っている。でも、拝所は以前集落があった山手の方にあるから、自治会の人と草生い茂る斜面をぐんぐん登った。

 

 そしたら、本当に見晴らしが良い。自分の家が、いつも歩いている道が小さく見えて、緑の向こうにはきれいな海が広がっていた。すっかり上がった息を落ち着けるようにその景色を見つめていたら、やっぱりまた「ほう」という実感がこみあがってきた。「これ、山手に家があった昔は毎日見ていた景色だったんだ」と思った。山手に集落があった時代、平地には田があったという。裕福でない限り主食はイモで、米は大変に美味しかったとおじいちゃんから聞いた。つまり山手に集落があった時代、毎日自分たちの生活、経済基盤であった田を見ていた。一面の緑の絨毯だっただろうその景色はどんなだっただろう。刻一刻と表情を変える海を見て、その水平線の先に何を見ていたんだろう。その海の向こうから来たという土地神さまと、どんな思いで向き合っていたのだろう。

 

 大学の授業がある時だけの仮住まいでは、絶対にこの実感は訪れなかっただろうなと思う。新型コロナウイルスの影響で訪れるはずだった大学院生活は訪れなかったけれども、この土地で学べて良かったこともあるなと思った。学問を修めるうえでは、そういう個人的で感情的な実感をどう生かしていいか分からないけれども、それでもそういう積み重ねがあること。ここで生まれて、育って、ここを学びたいと思っていること。それはやっぱり大事にしたいと強く思う。