きのこのこの雑記帳

どきどき台湾留学2018.9.1~ 沖縄と民俗と言葉と本と

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』読んだので感想文

 インスタやFacebookでよく見かけた本を手に取った。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』って本。

 

 

 

 

 英国で保育士として働く著者の息子が「元底辺中学」に入学し、様々な問題や出来事に遭遇していく日々が母親の視点から描かれている。これがまた現代的というか、人種差別、貧困、LGBTQ、いじめ、デモ、ニュースで取りざたされているような出来事がたくさん出てくる。そして、聡明な著者の息子は一つひとつ自分のこととして考えていくし、この進学先の中学校が「元底辺中学」というのが肝で周りの大人もたくさん考えながら子供を見守っている(ように見える)。もちろんそう簡単にならない現実も描かれているけれど。

 

 「話題になっていたし」と手に取ったら、ページをめくる手が止まらなくなって、気が付けば一気読みしていた。その後TAやっている授業の準備があったから、本のことを考えながら大学へ向かったんだけれど、今まであった色んなことが頭に浮かんでは消え、泣けてきちゃった。

 

 例えば、7章の「ユニフォーム・ブギ」。制服を買えない生徒のため、制服リサイクルのボランティアの話だ。著者と息子「ぼく」は、貧困家庭で制服が買えなくて困っている友人に、いかに自然に制服を手渡すことができるか苦心するんだけれど、その優しさが自分にも沁みてくる。

 

 あ、そういえば、と思った。私は中学生の頃、双子の弟と同じアルトリコーダーを使っていた。中学校三年しか使わないアルトリコーダーを一人一本買う必要はない、っていう判断だったと思う。でも、思春期の男女の双子がリコーダ―を貸し借りしている様子は、いじめにつながらないか先生たちはやきもきしていたのかもしれない。ある日、先生が音楽準備室に呼び出して「余っているから」とアルトリコーダーをくれた。その時、私たち双子は何を思ったか覚えていない。「別に良いし」という反応だったかもしれない。不意にこのことを思いだしたのだった。あの時アルトリコーダーをそっとくれた先生の優しさに10年近く経って気づいた。

 

 そしてもう一つ頭に浮かんだのは、最近出会った女子高生のことだ。何かの拍子に彼女に「うち、母子家庭なんですよ」と言われたから、「私も母子家庭で育ったよ」と返した。そしたら「母子家庭なのにこの大学に合格したってすごいですね」と言われた。なんかもうびっくりしちゃって、何も言えなくなってしまった。私の中では、母子家庭と「今居る大学に行けてすごい」がどうにも結びつかないのだった。(ちなみに、「沖縄出身なのにいまの大学に行けてすごい」も言われたことある)私の地元は塾に満足に行けないような田舎だし、本屋もなかった。上のエピソードからも分かるように経済的に恵まれているわけではないから、新品の本を買うようになったのは、奨学金を貰うようになった大学生になってから。(それでもブックオフオンラインやメルカリで買うことがほとんどだ)確かに、そういう面でハンデはあったと思う。でもだからと言って、「母子家庭だから○○大に行けない」って思ったことはなかった。

 

 それはそれまでさりげなくサポートしてくれた大人のおかげだと思う。高校合格祝いにkindleをプレゼントしてくれた友達のお父さんのおかげで、青空文庫が大量に読めた。那覇の県立図書館に行くって言ったら、帰り道だからって送ってくれた先生。(結構な遠回りになっていたことを後で知った)とある文学全集が欲しい話をしたら「使い道のない図書カードだから」とくれた大叔母(使い道のない図書カードってある??ないよね?)(しかもぴったり文学全集が買える金額だった)全部ぜんぶありがたかった。

 

 それと同時に、「母子家庭なのに」と考える高校生のことが気になった。どうしてそう考えるのだろう。大学の入試偏差値とは関係していないような気がする。もちろん多少はしているのかもしれないけれど、彼女とわたしの出身高校の入試レベルはそう変わらないし、さらに彼女は特進クラスに居るわけで、高校生の頃の私より成績も良いのだった。たったひととき彼女と関わったわたしが「大丈夫だよ」とか「そんなこと関係ないよ」とは安易に言えない問題がそこにあるような気がした。わたしはもう彼女と会う機会もない。ただ、自分と同じような家庭で育った子に会った時、何を言えるんだろう。

 

 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で「元底辺中学」に入った息子がぶつかる様々な問題は決して英国だから、ではなくて。7章だけではなく(ちなみに言うと、私はそれこそリサイクル制服を着て登校していたし、まわりも当たり前だった)本全体にわたって言えることなのだった。「うんうん、わかるなあ」と思うことも、「この言葉が出てくるのはすごい」と思うこともあったけれど、本を通して素敵なのは、自分の肌で感じたことを自分の頭で考えて、言葉にして、それにまた耳を傾ける人がいるってこと。「私も」と言ってもそう簡単なことではないけれど、自分を熱くさせるものがあった。