雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

博士後期の入学式に行った

 入学式には行こうと決めていた。

 大学院修士課程の入学式は新型コロナウイルスの流行によって中止となってしまったけれども、博士課程の入学式は行われるとのことだった。修士課程が不完全燃焼に終わったことと、入学式が行われなかったこととの間に関係性は存在しないはずだが、それでも、うまくいかない日々を断ち切るため、心機一転、入学式には行こうと決めた。

 

 4月のはじめの関東はすっかり春めいていた。北関東の大学も、入学式に合わせたように桜が満開だった。6年前の春を思い出す。18歳の私は沖縄から関東に出てきて、沖縄では咲かないソメイヨシノに心をときめかしていた。今回も沖縄から北関東へと移動したことに違いはないけれども、1週間たらずで沖縄に戻ることが前提とされていたから、気持ちは全然違っていた。安定した気持ちで、修士論文提出依頼の関東を歩く。沖縄を飛び出した18歳の野望みたいなもの、ギラギラしていた気持ちはどこに行ったんだろう。博士課程への進学を選んだくらいだから、ギラギラした気持ちはまだある。でも、形はけっこう変わったと感じる。これまで色んな困難があったし、県外進学や留学と自分の生活が一転するようなことも経験したけれど、変わらなかった自分自身が居て、これからもきっと大丈夫だろうという安定感。もうヤワな心ではないのだ。

 

 入学式の前日に大学に戻り、受け取り損ねていた学位記と修士論文に付随するいくつかの賞状を貰った。卒業式には自分の意思で参加しなかったから、事務的に渡されると思っていたら、指導教官を呼んで授与式を行ってくれた。受け取る際「よく頑張りましたね」と言ってもらえた。「いや、全然頑張れなかった2年間なんです、先生も私の修士論文を読んだから分かるでしょう」と言おうかと思ったが、時代のことも家のことも色々うまくいかなかったことも全部ひっくるめて「頑張りましたね」と言ってくれているのかもしれないと思ったので、ただ「ありがとうございます」とだけ返した。なんかそれだけで、はるばる2000キロ移動してきて良かったなと思った。

 

 入学式自体は新型コロナウイルス対策のため30分で終わった。30分中15分は学長が話していた。この大学に入るのは3回目(学部、修士、博士)なので感慨も特になかった。入学式とその翌日に行われたオリエンテーションの時間以外は誰かと会っていた。先生に会って博士論文へのスケジュールが思ってる数倍タイトであることを知った。久しぶりに研究の話を気軽にした。研究会以外の場で軽く研究の話をするのがとても楽しい。コロナがなければ当たり前のことだったのだろうけれど、いまはその機会があまりなくて残念だ。いや、残念がってばっかりいないで外に出ていくぞ、と心を決める。

 

 博士課程に進学を決めて良かったと思う。そもそも、博士課程に進学できることが大変ありがたいことである。わたしは「なれたら最高だよな」とぼんやり思っていた某振興会の特別研究員として大学院博士後期に進学する。研究費のほか、生活費ももらえるので経済的な負担はほとんどない。修士でも給付奨学金を貰っていたし、思えば義務教育終了後からずっと給付奨学金をもらってきた。田舎に生まれて、しかも母子家庭で、経済的支援がなければここまで来られなかった。新型コロナウイルスの流行と母の大病で一度は自分のキャリアを再計画しなおしたけれど、特別研究員の内定が出たことで博士後期まで来られた。

 博士後期課程でうまくやれるかは未知数である。博士論文を出すまでのハードルが高いように感じる。でも、もう経済状況のせいには出来んぞと思う。これが嬉しい。環境のせいではもうないのだ。昨年の状況のなかで進学をあきらめざるを得なかったら、きっと環境を恨んだだろう。「だったかもしれない」可能性ばかりを恋しく語るようになってしまっていただろうなと思うから、そうならないことが嬉しい。

 「博士学生」という響きにはまだ慣れない。院生としての立場に戸惑ってばかりの修士だったし、修士号をもらったことすらまだ実感がわいていない。でもこういうのは、そう振る舞っていることで実感はあとからついてくるものなのだろう。今後のハードルを考えると、こわいという気持ちが先にある。でもそのあとでやっぱりじわじわと嬉しいのだった。

 

 

 人と会うってことは何かを食べると密接につながっていて、関東では珍しいものをたくさん食べた。以下、食の記録と行動記録。

 例えばモンゴル料理。北京に留学していた友達と!結構中国北方の料理に似ていた。コースでたらふく食べたのだけれども、喋るのと食べるのに夢中で写真は凉菜のみ。羊肉をこれほどかっていうくらい食べた。テーブルの上に岩塩がおいてあって、お好みで岩塩を削って味を調節する。コースには飲み放題のミルクティーも付いてきて、ミルクティーにも岩塩を削り入れると美味しいと教わる。何食べても大変美味だった。

 

  翌日は台湾留学での友達とウイグル料理。日本で唯一らしい。モンゴル料理と系統が似ているかなと簡単に考えていたら、決してそんなことはなかった。もっと西の味がした。プロフは学部の時に行ったロシアやアルメニアで食べた味で、懐かしかった。ユーラシア、渡ってみたいな。陸路で食べて飲んで、現地の人と喋って、気に入った服を買いながら旅行がしたい。

 

 馴染みの喫茶店でM1に入学してきた後輩と先輩とのランチ。大学周辺の学生街、思い出のお店がたくさんある。「ただいま」と思える場所があることは素敵なことだなと思う。後輩たち、大学院に向けてキラキラしていた。わたしは新型コロナウイルスの流行と同時に大学院に入って、諦めることが癖になりそうだったから反省した。今年こそ、切り開く。余談だけれどこの入学式参加のためにはPCR検査を事前に受けてから渡航した。沖縄に戻った時も同様にPCR検査を受けた。この時代でも動ける方法を模索しながら歩きたい。

 

 

 最終日には東京国立博物館空也上人の特別展を観た。

 今回の特別展は空也上人を360度から見られることが最大の魅力だったと思う。空也上人像は口から出ている仏のイメージが強い。しかし実際に見ると、そうしたデザインの突飛さ以上に、二本足で立っていることそのものに目が釘付けだった。後ろからみた空也上人は思った以上に小さくて細かった。だからこそ、緊張感と静謐さが保たれているようだった。

 信仰対象を「博物館展示物」にすることに戸惑いはある。ただ、わたしの前で鑑賞していた老婦人が思わず仏に手を合わせていて、ハッとする思いだった。東京国立博物館空也上人像と出会うことは信仰と切り離すことではない。それにしたって、「思わず手を合わせる」ってすごいことである。わたしの複数ある関心の中核には「祈り」がある。祈る人はなにをみているのだろう、と改めて思った。

 

 入学式の影響で大学近くのホテルが高騰し、浅草に泊まった。折角なのでお参りしておみくじも引いた。書いてあることが今の自分の気持ちと近くて、とても背中を押してもらった。