雑記帳

沖縄と民俗と言葉と本と

車を買った

 

 車を買った。とても嬉しいから日記を書いてから寝ようと思う。

 何をしている時が一番「大人になった」と感じるか。

 わたしの場合は、酒を飲むときでもクラブに入場したときでも、ひとりで海外旅行に行った時でもなく、運転している時だった。遠くに行きたいと願っている子どもだったこと、それに対してほとんど移動の自由がないような田舎で育ったからだと思う。

 

 沖縄の大学生の多くは大学入学のタイミングで車を購入する。沖縄の大学の多くは不便なところにあって、車がなければ通学に不便するからである。しかしわたしは沖縄県外の大学に行ったから、車を買うタイミングを逃していた。帰省の時だけだったら母や弟の車を借りれば用が足りた。新型コロナウイルスが流行して、関東の下宿を引き払ったのとほぼ同時期に母が病気療養に入り、母がほとんど外出しないこともあって、自分専用の車を買わなくても済む状況が一応あった。でも、車を使う時には「いつ、どこに行くのか」を母に言わなければならないし、母の通院などの事情にも左右されるから面倒だった。

 

 沖縄に帰ってきて、この1年くらいずっと車が欲しいと思ってきた。車を買うために、ひそかにアルバイトをした。朝7時から9時まで、週5日の中学校でのアルバイト。そしてそのバイト代をコツコツと貯めて、ようやく、キャッシュの一括払いで買ったのだった。アルバイトの話もいつか書きたい。かなり地味なアルバイトだったけれど、だからこそ、自分の行為の積み重ねがモノとなったのだという感動がある。

 

 納得のいく車と出会えるまで粘っていただけあって、わたしの車は結構な掘り出し物だと思う。走行距離は5万キロ、車検2年残り、2年保障付きの27万円のダイハツタント。前の所有者は丁寧に乗っていたと思われ、12年も経つのに全然くたびれていなかった。古さにちょっと躊躇ったけれど、周りのおじさんたちに「日本の車はまだまだ走る」と言われた。東南アジアでかなり古い日本車が走っていたのを思い出し、確かになと思って買った。2年保障だから、24ヵ月で割ったら月1万円くらいだし。決して高価な車ではない。だからこそいまの自分にぴったりな車だと思う。

 

 自分の車があるということにまだ慣れない。土曜日、スマホをいじっている時にこの車を見つけ、そのまま見に行って、試乗して、その日のうちに購入を決めた。そして月曜日に入金して、水曜日に納車であるから、1週間足らずのうちに車が手に入った。人生で最も大きな買い物である。大きな決断は勢いでやっちゃうもんだと思った。

 

 自分の車があるということは、自由に図書館に行ける。母と喧嘩しても家を飛び出せる。夜、帰宅時間を考えずに大学に残れる。調査に行くときの移動手段の心配が要らない。どうして今まで車を買わなかったのだろうと思えるくらいに自由だ。この自由さに「大人になったな」と思う。車はガソリンを入れなきゃ走らないし、ガソリンの為には稼ぐ必要があること、運転には体力も要ることも含めて、「大人になったな」という実感。本当に心から嬉しい。

 

 そして、この車を買ったということは、おそらく長く沖縄に住むのだということを指す。せめて博士が終わるまでは沖縄に住みながら研究を続けたい。覚悟みたいなものをそっと持つ。